第5話 企業倉庫

 企業倉庫とは、企業が自社の資産や物資その他諸々後ろ暗い秘密を保管する、レンタル倉庫が立ち並ぶ広大な区画の通称だった。


 ここには行政ですら生半に立ち入る事は出来ない。倉庫の運営会社がムサシ行政府に多額の献金を行っているからだ。仮に内部での犯罪行為が露呈して警察組織が出動したとしても、煩雑な手続きや根回しなしに強引に突入すれば、私設警備隊による容赦ない攻撃が待っている。


 この区画一帯を運営する警備会社は、クライアントの資産の保護を第一としており、それを脅かすものはたとえ相手が行政や警察であっても敵対行動を辞さない。企業倉庫は一種の治外法権となっていた。


 もし企業倉庫に侵入する者がいた場合、警備隊は事前の警告なしでその侵入者を殺害することが許されている。過去何人もの犯罪者が企業倉庫からの窃盗を試みて実際に死亡した。現在、企業倉庫は手を出すべきではない場所だと大多数の人間から認識されている。だが、そんな危険地帯に侵入して、さらには倉庫から荷物を持ち出そうとしている愚か者が、今ここに一人いた。



***



「本当にやるつもりなのかい?」二杯目の緑茶を飲み干したショーヤが尋ねる。その言葉には、言外に止めておけという意味が含まれている。


「心配してくれるなんて嬉しいわ」もちろんその意味をセナも理解している。だがショーヤの言葉などどこ吹く風だ。


「ほんとに止めておけ。企業倉庫へ盗みに入るなんて、命がいくつあっても足りない」忠告が無駄であることはわかっていたが言わずにはいられなかった。彼のような仲介業者には、信用できる傭兵というのは得難い存在なのだ。仮にセナが命を落とすことになれば、それはショーヤに少なくない経済的損失をもたらすことになるだろう。


「それじゃあ用意しておいてほしい物のリストを送ったから時間までによろしく」


「あ、おい」

 ショーヤが引き留めるよりも早く、セナは喫茶店を後にした。



***



 その日の深夜。


 企業倉庫の中と外を分けるゲートは、普段と変わらず屈強な兵士たちによって守られていた。兵士たちは派手なオレンジ色の制服と顔を覆うフェイスヘルメット。そしてボディアーマーで身を包んでいた。その手に握られているのは、明らかに軍用モデルのライフルだ。暗黒メガコーポの資金力をもってすれば、小国以上の戦力、装備を整える事は造作もない。


 ゲートに一台のバンが近づいてきた。バンのハイビームが兵士とゲートを照らす。兵士の一人が腕を突き出してバンをゲートの前で静止させた。バンの前方に兵士が二名。運転席のある右側に一名立っている。


 運転席側の兵士がバンに近づいた。バンのドアガラスが降りる。


「IDを」兵士が運転手に身分証明書の提示を求めた。通常の管理手順だ。


 バンの運転手は無言で書類を提出した。兵士が書類に目を通す。そこに記載された顔写真と運転手を見比べる。そこに映るのはショートヘアのアジア系女性。


 兵士が書類を運転手に返却。そして仲間に向けてゲートを開けるようにジェスチャーを送る。黄色のサイレンが回る。ゲートが開放され、バンが入場した。


「さっすがトモエ。ほとんどノーチェックなんて、大したものね」作業着で変装したセナは、バンの中で誰に言うでもなくつぶやいた。「トモエカミナリ社配達係ナブロ・ミヅキ。フフッ」書類に記載された自身の顔とその横に書かれた偽名を眺め、彼女は小さく笑った。先ほどゲートで提出した書類は精巧な偽造書類だ。データも書類も、すべてトモエカミナリ社のあの小男が用意したもので、今この瞬間、セナはたしかにトモエカミナリ社の社員として登録されていた。そういう意味では、書類は本物であるとも言えるだろう。


 セナはゆっくりとバンを走らせ、指定された倉庫に向かった。まずはそこで準備を整える手はずとなっている。


 倉庫に到着するとバンを停止させ、荷台からダンボールを下ろして中を改めた。アサルトライフル。ライフルの予備弾倉。ハックデッキ。愛用のマシンピストル。拳銃の予備弾倉。思いつく限りのアイテムを投げ込んでこの場にやってきたのだ。


 セナはジッパーを引き下ろし作業着を脱ぎ捨てた。その中身は、黒の合成皮ジャケットにジーンズ。お気に入りのいつもの装いだった。


***


 暗闇に溶け込みながら、セナは目的の倉庫へと慎重に向かった。持ち物は拳銃とその予備弾倉。そしてハックデッキ。いつも腰のベルトにぶら下げている折り畳み警棒だけだ。ライフルは隠密行動には必要ないという判断である。

 幸いなことに、小男からのプレゼントの中には企業倉庫全体の警備計画を記したデータも含まれていた為、警備の隙間を縫って難なく倉庫へと到達することができた。


 倉庫を見上げ、セナは倉庫番号を確かめた。間違いなくこの場所だ。


〈あれは?〉倉庫正面の大扉には、双頭の蛇が絡みつく剣のシンボルがでかでかとプリントされていた。この倉庫の借主「グンジャンダイナミクス」の社章である。


 トモエカミナリ社とグンジャンダイナミクス。この二社はアジア方面の兵器市場で長年の敵対関係となっていた。新聞の経済面をあまり熱心に読まないセナでも知っているくらいの常識だ。


 嫌な予感を覚えつつ、セナは倉庫脇にある人間サイズの扉、その真横に設置されたテンキーに触れた。暗証番号を入力することはしない。その代わりに、セナはテンキー外郭の下側にあるカバーを外した。ケーブルを差し込むためのコネクターが露わになる。セナはすぐさま持ち込んだハックデッキを取り出す。ケーブルを引き出すと、コネクターに連結した。すぐにハックデッキの操作を開始。数分の格闘の末、扉の開錠に成功。


 セナはホッと胸を撫で下ろし、そのすぐ後自分のしたことの無意味を悟った。三メートルほど頭上に設置されている大窓が開け放たれていたのだ。セナは肩を落としながら倉庫内に侵入した。

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