第4話 三丁目の人工夕日

 ムサシ中央東区下町にて


 ムサシセンター街にほど近い下町である三丁目は、ノスタルジックな町だった。景観保護の条例により、建物は最大で二階建てまでに制限。立ち並ぶ家屋はいずれも合成スギの木材によって製作されている。前世紀の姿を残す三丁目は、ムサシ観光の目玉であり、中級低級労働者を押し込めた檻でもあった。


 間隔をおいて家々の間に立ち並ぶ電柱のスピーカーから、まばらなカラスの鳴き声が流れる。太陽は水平線へと沈みかかりながらも、平等に三丁目の街並みをオレンジ色で照らした。それは、背景の一部と化した昔懐かしいレトロ喫茶店にも同様だ。喫茶店の窓ガラスから、陽が奥ゆかしく店内に差し込んだ。


「リンちゃんは仕事が早くて助かるよ」髪が白くなって久しい角刈りの老人は、湯呑から熱い緑茶を啜り言った。老人の羽織る半纏の背中には大きく「管理人」の漢字がプリントされている。


「あれぐらいならなんてことはないわよ、ショーヤさん。でも、まさかショーヤさんからこの仕事を依頼されるとは思わなかった。だって殺されたのは二丁目の女の子でしょう?」セナがショーヤと呼んだ目の前の老人こそが、彼女に殺人鬼の捕縛を依頼した三丁目の自治会長であった。


「へへ、そうなんだがね、二丁目にいる昔の知り合いから連絡がきたんだよ。俺の方からリンちゃんに話を通してくれないか、てな。以前にトラブったことを気にしているようだったぜ」ショーヤは笑いながら手元の羊羹を竹串で切り分けて口に運んだ。


「別に気にしなくて良いのに。ショーヤさんの方から言っておいてよ。気にしてないから良い仕事をよこせ、ってね」

 ショーヤが羊羹を口に含んだまま、にやけながらわかったと首を縦に振った。


「失礼します」二人のいるテーブルの真横に、蝶ネクタイにシックなベストを着こみ、よく整えられたちょび髭を生やした初老の男が立っていた。この喫茶店の店長だ。


 時代錯誤ともいえるその姿は、まるで映画から抜け出したようだとセナは思った。


 店長は手に持ったトレーから一枚の皿を手に取ってセナの前に置き、一礼してカフェカウンターの向こうに引っ込んだ。昨今失われて久しい日本人的奥ゆかしさである。


「少しだが色を付けておいた。また頼むよ」皿の上に載っていたのは今回の報酬である通貨素子だった。


「またいつでもどうぞ」セナは通貨素子を手に取り上着のポケットに突っ込むと席を立ち、店の出口へと向かった。その時、差し込むオレンジの光が遮られた。扉の外に誰かが立っている。


 扉に備え付けられた鈴が軽やかな音を響かせる。上下揃いの黒のスーツを着た厳めしい顔をしたサングラスの男が頭を屈めて入店してきた。


 セナはちらりと男の頭部や両手のインプラントを見て、すぐに視線を外した。一瞥しただけで、男の装備しているインプラントが市場には出回ることのないハイグレードの戦闘用インプラントであることがわかった。おそらくは企業の兵士。セナはそう推測した。


 男が店内を見回すと、背後に向かって頷いて脇にどいた。そして新たに、いかにも企業社員といった風貌をした小柄な男が入店。


〈趣味の悪いスーツ〉セナは反射的に思った。おまけに整髪料もつけ過ぎだ。見ろ、陽の光が髪の毛に反射しているではないか。


「席は空いていますか?」小男が言った。人に安心感を抱かせる独特の声色だ。


「申し訳ありません。本日は貸し切りとなっていまして、また後日いらしていただければ…」店長が言い終わる前に、小男はカウンター席へと座った。店長は困った顔をしてショーヤの方を見る。ショーヤが腕を組んで頷く。構わないという合図だ。


「大丈夫ですよ、庄屋さん。すぐにすみます。そうでしょう? セナ・リンゴさん?」小男がセナを真っ直ぐに見た。セナもそれを見つめ返す。

「さあ、どうぞこちらに」小男がセナに自分の隣に座るよう促す。まるで自分の店であるかのようなふるまいだ。


 小男の誘いにセナはあえて乗ることにした。相手の様子を伺いつつ、セナはカウンター席に座った。

「どこかで会ったことがあるかしら」とセナが言う。


「いいえ。貴女は私を知らないでしょう。でも、私は貴女を知っている」小男はそう言うと、懐から名刺を取り出してセナに渡した。


「トモエカミナリ社即応処置係?」手のひらに収まるサイズの小さな厚紙には、それだけしか書かれていなかった。氏名らしきものはどこにもない。名前を教えるつもりがないのだ。


「聞いたことがない名前でしょう。表に出ないようにしている部署なのでね。まあそこは重要ではないので気にせず」小男が咳払いをしてセナに向き直った。

「単刀直入に言わせていただきます。貴女に荷物の回収を依頼したい」


「話を聞きましょうか」セナは平然とした顔でそう返した。だがその実、脳内では危険を知らせるアラートがけたたましく鳴り響いていた。


 トモエカミナリ社とは、世界の企業番付では常に十位以内に入り、日本では、通称、御三家と呼ばれる大企業の一つに数えられる、軍事、医療、その他諸々の事業を手掛ける日本に本社を置く暗黒メガコーポである。


 はいて捨てるほどいる数多の傭兵あるいは探偵の一人であるセナに、わざわざトモエカミナリ社の社員が会いに来るなど、異常事態としか言い様がなかった。


「ここに仕事の概要とその他情報が入っています」小男が懐から人差し指サイズの薄いメモリーチップを取り出し、セナに差し出した。


 セナはチップを受け取ると、自前の携帯読み取り機のスリットにチップを挿入。ケーブルを引き出して左耳の後ろに設置されたポートに接続した。情報がわずか一秒で読み込まれ、文章や写真がセナの網膜ディスプレイに映し出される。


「貴女には簡単な仕事でしょう」


「簡単? よく言う。この荷物がある場所、企業倉庫じゃない」セナは舌打ちをしながらも情報を吟味した。この仕事を受けるべきなのか、自分の手に余りはしないか、ここを読み間違えれば簡単に命を落とすことになる。探偵傭兵の仕事には常に大きなリスクが伴うのだ。


「念のために聞いておくけど、報酬はいくら出すつもりか教えてもらえるかしら」


「口座を確認してください」小男はこめかみを叩いた。その数秒後、セナに自身の口座に入金があった事を知らせるメールが届いた。その金額は、去年のモデルの新車を購入してもお釣りがくる程度の額だった。


 セナの目が驚きで見開かれる。〈こんな額を軽々と出せるなんて、この男何なの⁉〉口がにやけそうになるのを必死で抑えながら、セナはただ一言、「この仕事、受けることにするわ」と言った。


 小男は満足そうにうなずき、手を差し出した。セナがその手を握る。交渉成立だ。


「ちなみに、今入金させていただいたものは手付金ですので」


 小男の言葉に、セナは再び驚いた。ダブル驚きだ。




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