第3話 特定業務委託者

 自己完結型都市第一号。通称、独立自由都市ムサシ。かつて日本政府によって計画、建造されたこの都市は、東京、埼玉、千葉というかつて存在した都県を統合した存在で、かつては日本を再び経済大国へと押し上げるための経済特区として構想されたが、第三次世界大戦以後、当時のムサシ市長であったゴードン・ナカモトにより、国家と決別、独立を宣言された。現在では、自由都市ムサシは企業や犯罪者、のし上がりを夢見るニュービーたちにとって都合のよい場所となっている。


 かつての自由は既になく、混沌としたある種の秩序がそこにはあった。かつての清潔で安全だった日本は忘れろ。ここは既に煉獄の釜の縁である。





『七十二時間働けますか? 大丈夫! これを飲めば万事解決、Ⅹモンスター!』

『実際ハヤイ! 実際ヤスイ! 実際スゴイ! エモーショナルパワー!』

『本日までの死亡者数は二十八人。このペースでいけば先月よりも死亡者数が二十パーセント減となるでしょう』

『…ムサシ行政府庁舎前での市民グループによるテロ行為は、トモエカミナリ社の警備隊により速やかに鎮圧されました。業務は本日の午後三時より再開されます』


 ドローンによって空中に投影された合成電子オイランの宣伝映像や、横っ腹の巨大ディスプレイから他愛のないニュースを垂れ流す飛行船が頭上を通り過ぎる中、雑居ビルに囲まれた裏路地を駆ける男がいた。


 グレーのスラックスに水色のワイシャツ。身なりからして企業の中堅社員といった姿だ。年の頃は二十代後半。だがそれはインプラントによるアンチエイジングによるものだ。彼の実際の年齢はもう一回り上だった。機械やバイオ技術による人体改造が一般化した昨今では、このような若作りは珍しくない。目を凝らせば、男の右前腕が高度な義手であり、いくつかの奇妙な分割線が入っているのがわかるだろう。


 男は息を切らしながら走り続けた。心臓が早鐘を打つ。彼は今の窮地から逃げ出せたら、肺を下取りに出して人工心肺と交換しようと考えた。その時! 右横から男の顔面に拳が叩き込まれた! 男は狭い裏路地を抜けることばかりに目がいっていた為、物陰に隠れ息を潜めていた襲撃者の存在に気づくことができなかったのだ!


 男は前後不覚に陥り、二三歩後退して尻もちをついた。高い鼻が折れ血が流れだしている。

「アガーッ! アガガガ!」男が鼻を抑えながら悶える。


「うろちょろと逃げ回ってくれちゃって。ドブネズミに転職でもしたらどう?」

 男の顔が恐怖に歪み、視線が眼前に立つ女に注がれる。襲撃者は二メートル近い高身長の女であった。


「特定業務委託者セナ・リンゴ。犯罪取り締まり代行『オンブズマン』の権限により、ノモト・ゼンゴ。あなたを逮捕する。さて、一緒に来てもらおうかしら」セナ・リンゴと名乗った女は、黒いジャケットのポケットから電子手錠を取り出し男に近づいた。その足運びは極めて慎重だ。


「待て。私は何もしていない!」ゼンゴが右手を突き出して弁明する。だがセナの歩みは止まらない。二人の距離が後一歩でワンインチ距離になろうかという直後、ゼンゴの右腕の甲がバカリと音を立てて開いた。腕の中から飛び出したのは、黒く酸化した血液に塗れた、刃渡り八十センチの鋭利な仕込みブレードだ!


 間一髪、セナはゼンゴの前腕が開いた瞬間に、バックステップで間合いの外へと退避していた。セナは視線をゼンゴに向けたまま、右半身を引いて戦闘態勢に移行。そのまますり足で再接近。


「上手くいっていた! オレは上手くいっていたんだ! それを邪魔しやがって、殺してやる!」ゼンゴが荒々しく声を上げる。錯乱しているのだ。


「上手くいっていた? 妻への不満を夜な夜な殺人で発散することが? 女を何人も殺しておいて被害者面するんじゃない!」


 そう、バンジョーテクニコ社の中堅社員であるノモト・ゼンゴは、昼は会社に尽くし家族を愛するごく一般的な会社員だが、その正体は、夜ごとに繫華街の暗がりの中、多くの娼婦を切り刻んできた連続殺人鬼だったのだ! そして彼の右腕の仕込み義手は、会社からの福利厚生の一環で購入したものだ!


「う、ううるさい!」ゼンゴが右腕を振り上げる。ブレードがそれに連動してカマキリのような動きで動作、セナへと死神の一撃が振り下ろされた。


 セナが上半身を後方に逸らし攻撃を回避。ブレードは風切り音をたてて空を切る。セナはその隙を見逃さない。ゼンゴが右腕を横に薙ぐと同時に、手刀を作った左手をブレードの横腹へと叩きつけた。するとどうだろう。ブレードは刀身半ばからへし折れたではないか!


 これはけして偶然ではない。ゼンゴのブレードは本来敵の意識の外から不意打ちを行うためのものだった。ブレードは前腕部に収納する都合上、伸縮式の二段階構造となっている。特殊警棒を思い浮かべていただければ分かりやすいだろう。


 だが、これは叩けばそれで役目を果たす棍棒ではない。切るという繊細な行為に特化した暗器である。暗器ブレードを内蔵しているゼンゴの仕込み右腕は、本来相手と正面で向き合って使うものではないのだ。血錆をそのまま放置した状態で整備もされていなかったブレードは、そもそもの構造的脆弱性も加わり、すでにナマクラ、いや、ガラクタ同然だった。


 セナはそれを見抜き、大胆にもブレードの刃と刃の継ぎ目に的確に掌打を加えて破壊したのだ!


「あ? アアァ⁉」ゼンゴが驚愕の声を上げた。その真横にセナが急接近。ゼンゴの右腕を確かに掴み、アイキドーの要領で硬い地面に転倒させた。そしてそのままゼンゴの腕の関節は、本来なら曲がってはいけない方向へと力を加えられ、一息でへし折られた。

 ゼンゴが見苦しく叫ぶ。「黙ってな!」だがすぐにセナに顎を殴られて気絶させられた。


「もしもし、あたしよ。頼まれてた仕事、今終わった。これからそっちにつれていくから」気絶したゼンゴを担ぎ上げながら、セナは今回の仕事の依頼者へと連絡を入れた。その両手に携帯端末は見当たらない。インプラント技術やサイバネ技術が普及した昨今は、前世紀のスマートフォンなどの携帯端末のようにインプラントによる脳内無線が一般化しているのだ。

「ええ、ええ。大丈夫、生きてる」セナは男一人を抱えているとは思えぬほど軽やかに裏路地を後にした。



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