消えた私

 ずっと一人だった。そうするよう諭されたし、どうせ消えるならそれでいいと思った。

 なのに……あんな風に私に好意を向けてくれる人がいて、運命まで大きく変わってしまうなんて思いもしなかった。


「姫様、今日の体調はいかがですか?」


 もう随分経ったというのに『姫様』と呼ばれることは未だに慣れない。

 どうやらあの子は『お転婆姫』と称されるほど元気で逞しかったみたいだけれど、中身が私に変わってからの『姫様』はそうではなくなった。だからなのか普通でいても体調を心配され、人が変わったようだ、どこか悪いのだろうと噂されるようになった。

 本当に人が変わっているのだから、至極当たり前の反応だろう。


「もうじき姫様も嫁がれるのですから元気になってもらわないと。前ほどお転婆に戻られるのも困りますけどね」


「嫁ぐ……」


「本当にどうしてしまったんですか、姫様。以前は迎えられるんじゃなくて、この人だと思った人を迎えに行きたい……なんて仰っていたぐらいなのに」


 力なく呟く私を松さんが心から心配した表情で見る。私をこの城に連れてきてからの松さんは、よくこの表情をする。その度に私は申し訳なさと罪悪感で一杯になるのだった。松さんが心配しているのは私ではなくあの子なのに、今目の前にいるのは別人の私なのだから。

 ここに来てから知ったこと、あの子の名は朝日というらしい。あの逆境すら吹き飛ばす、眩しいほどの笑顔に相応しい名だった。

 あの笑顔を、もう一度見たい。過ごした時間はたった数刻ほどだったけれど、そう思うほどに魅力的な笑顔だった。私の空虚だった心の中を全て埋めてしまうぐらいの。

 一度血迷って鏡に向かって笑顔を作ってみたけれど、ぎこちない笑みが映るだけで眩しい朝日みたいな笑顔とは程遠かった。同じ顔だというのに。

 あの笑顔を、私は奪ってしまったのだ。

 片手で頬を触ってから、拳を握って太ももをぐっと押す。

 このままではダメだ、あの子が当たり前に過ごすはずだった日々を私が成り替わったままでいるなんて。

 何より――こんな私に好意を伝えてくれたあの子と、もう一度会いたい。

 障子の外へ視線を移せば、あの子と入れ替わってから何度目かの桜が見える。

 桜祭りの日、私は桜と舞いながら一心同体となった。叶うならば、もう一度あの子と会わせて……願いながら手を伸ばすと、ふと頬に花びらが飛んできて、張り付く。

 花びらをとれば、僅かに湿っていた。

 そうか……私はまた、泣いていたんだ。

 気づいて、手の甲で拭おうとしたその時。


「どうして泣いてるの?」


 心配そうな声が部屋に響く。

 その声は、紛れもなく私の代わりに消えてしまったはずの朝日――今は私の声――だった。

 私が固まっている間に、朝日が私の頬を指で拭う。


「良かった~。突然目覚めて、動いて自由に歩けるのに、他の人には触れられなかったんだよね。まるで透明にでもなったみたいに反応もないし」


 どうやら、彼女の存在は完全ではないみたいだ。なら……何故私には見えて、こうして触れられるんだろう。

 これは夢ではないことを確実にしたくて、手を伸ばし両手で朝日の頬を包む。


「どうしたの?」


 自分の顔だけど、仕草も言動も、確かに朝日だ。あの日少し会っただけでも分かる。離ればなれになってからずっと、あの日の朝日に思いを馳せていたのだから。

 せっかく拭ってくれた頬に再び水滴が流れる。

 我慢できず朝日の身体に抱きつくと、朝日は驚きながらも受け止めてくれた。


「朝日が、いる……」


「あの日名乗らなかったのに……。これだけ長い間私でいれば、そりゃ分かっちゃうよね。そうだ、あなたの名前は?」


「私は咲。桜が咲くの、咲くの字」


「ぴったりの名前だね。咲……」


 朝日に名を呼ばれるだけで嬉しいと思っている自分がいる。このくすぐったいような、もどかしいような感覚は初めてだ。

 私は確かに、朝日に恋をしているのだと確信する。

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