別れ
巫女の歩く速度は早くて、ようやく追いついた頃には彼女の目的地であろう場所に着いた頃だった。
小さな小屋へ入っていこうとする彼女の背に、縋るように声をかける。
「待って」
「何か用?」
振り向きざまに放たれたその声色は冷たさを帯びていた。あの美しく人を魅了する舞とは対照的に、相対する人を遠ざけるように。
「消えないで……!」
「何を言っているの?私がこの世から消えることはもう決まっていることなの。ずっと……物心ついた頃からそう言われてきたんだから。覚悟はもうとっくにできてる」
全てを諦めたように吐き捨てる彼女に、届いてほしいと願いながら食い下がるように言った。
「私が消えさせたりなんかしない」
「何なの、あなた……?急に現れて、邪魔しないでもらえる?桜祭りにいたのか知らないけど、今日初めて見て会ったばかりの私が消えても、あなたが損することなんて何もないでしょう?」
「あるよ。だって……私の初恋の人だから。消えることが決まっているだなんて受け入れられるはずない」
彼女は私の告白に、面食らったような表情をして固まった。
「どういうこと……?だって私、私は……消えなければいけないことを知らされてから、ずっと人目を避けて一人きりだった。親族としか話したこともない。それなのに……」
何故。透き通った水色の瞳が訴えかけてくる。
「今よりもずっと小さい、五つの頃。私は城を抜け出して当てもなく歩き回った。その時に、見つけたの。桜の木の下で、瞳を閉じて微笑むあなたを。一瞬で目を奪われて……話しかけたかったのに、何も出来なかった」
「城から抜け出すって、まさかあなた……」
「姫っていう身分らしいけど、今はそんなの関係ないよ。とにかく私は、消える運命からあなたを連れ出したい」
少しの間を置いたあと、彼女は拳を握りしめ怒りをあらわにして叫んだ。
「分かるわけない……!城の中でのうのうと暮らしてきたあなたなんかに、ずっとこの日のためだけに生きてきた私の気持ちが!」
私をキッと睨んだかと思うと勢いのまま小屋へ向かう。その先には、得体の知れない存在感を放つ杯があった。きっとあれが……存在を無くす儀式とやらで使うものなのだと見ただけで直感した。
「待って!絶対だめ……!」
必死になって彼女の腕を掴んで引っ張り、小屋から出るとそのまま強引に歩き出す。とにかく、あの杯から彼女を遠ざけたかった。
「離してってば……!」
緩やかな坂に差し掛かったところで、彼女が私の手を振り払う。それだけだったら、別に私もバランスを崩したりしなかった。けれど、地面に転がっていた石のせいで見事に足を踏み外してしまう。
「あっ……」
私だけならまだ良かったけれど、驚いた表情をした彼女は私の手を強く握った。巻き込みたくないのに振りほどく余裕もない。
彼女が少しでも傷つかないよう、咄嗟に抱きしめた。急な坂ではないけれど、身体のバランスを崩した時の衝撃でどんどん私達の身体は転がっていく。
止まった頃には、痛みよりも平衡感覚がおかしくなってぐらぐらとしていた。
「大丈夫……?」
声をかけ、彼女の姿を見た途端、息を呑んだ。
目の前に、私がいる。桜の巫女の美しい姿ではなく、町娘の格好をした私が。
目を開いた私……恐らく彼女も、驚いた様子で目を見開く。
「なん、で……私が……?」
はっとして自らの髪、衣服を確認して、私は再び自分の目を疑うこととなった。どう見ても、私の身体は桜の巫女になっているのだ。
「どうしよう、このままじゃ消えることが出来ない……桜のためには、あの村にはどうしても必要なのに……」
こんな状況になっても彼女が真っ先に心配するのはやっぱり桜のことのようだ。
動揺する彼女に対して、私はほっとしていた。
これで彼女が消えないで済む。消えないでほしいという私の願いは、叶えられる。
それに、彼女の願いも叶えられる。だって……彼女の姿をした私が消えれば良いのだから。
「良かった……!」
喜ぶ私を、私の顔をした彼女が怪訝な表情で見る。
「これであなたが消えないで済む。私が消えれば村の桜も守られる。良かった、本当に……!」
思わず笑顔になってしまう私に、彼女は信じられないと言いたげな様子でつぶやいた。
「なんで、怖くないの……?自分が存在しなくなってしまうのよ?」
「怖くないよ。だって、好きな人をそんな状況から守ることが出来るんだもの」
私がそう言ったら彼女は瞳を潤ませ、やがて涙をぽろぽろと流す。私の姿なのに、そのままの彼女を見ているように綺麗な雫だった。
「ダメよ、そんなの……。私が消えなければいけないのに……私が消えるために生まれてきたのに……」
泣いて項垂れる彼女を、私は強く抱きしめる。自分の姿だから少し変な感じがするけれど、彼女の心ごと包み込むことが出来たら良いなと思った。
ずっと消えることを聞かされて一人でいた彼女の、少しでも側に……今だけでも。彼女が私の姿で生きたなら、きっと他にも側にいてくれる人がいるだろうから。
「消えるために生まれてくる人なんていない。私はあなたに存在していてほしい」
さらに涙を流して私の身体を抱きしめ返す彼女が、愛おしくてたまらなかった。本当なら連れ出したかったけれど、迎えに行くことが出来ただけ良かったと思おう。
離れがたいと思う自分の心を納得させて、私達はその時がくるまで抱きしめ合っていた。
「姫様……!」
松と、その他たくさんの城の人達がやって来て、私と私の姿をした彼女を引き剥がす。
「待って、私は姫様じゃないの……!あの子が……」
「何を言っているんです姫様。現実逃避をするのはお止めください。さ、行きますよ」
もがく彼女を松が傍らに引き寄せ、周りを他の人達が囲んだ。彼女の姿が見えなくなる。人垣の隙間から、彼女が何か言いたげな目をして私を見た。
微笑んで頷くと、対して彼女は首を振る。
彼女が無事に連れられていったのを見届けると、私は小屋の方へと身を翻した。
中へ入ると、躊躇いなく杯の中の液体を飲み干す。
予想はしていなかったけれど、こうなったことを全く後悔していない。彼女の姿まではダメだったけれど、彼女の魂は存在したまま、守ることが出来た。
私は松に言った通り、自分の幸せを自分で掴んだのだ。
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