第12話 最高のシチュエーション

 両親との食事を終えて、自分の部屋へ戻ろうとした時に足が止まる。


 一度サボったら今後もサボりが増えていくように、一度夜に出かけたら今後も夜に出かけたくなるのだ。


 そのまま玄関に早歩きで移動する。バレないように扉を慎重に開けると、雲ひとつない薄暗い空が目に入る。


 数時間ほど星空が見えるまで散歩していようか。こういう日の散歩こそ楽しい時間にしたいものだ。


 朝の登校時間にいつも通る病院を過ぎると、狭い路地裏があった。昔はここから市場に向かっていたというが、今は通れるのだろうか。


 狭められた道に足を踏み入れる。結構ギリギリだ。靴の足先から少しだけ隙間がある程度だ。カニ歩き牛歩で進むしかない。


 子どもでないと入れない路地裏だ。憲兵などのパトロールに見つかってもここなら逃げられるのだろう。


 すり足で動いているとやがて左足に解放感が訪れる。暗くてわかりづらかったがゴールは近かった。


 市場は既に閉鎖しているのか、人の賑わいは感じられなかった。とはいえ人影が時々通る程度は見える。


 市場への道は先程の道よりも広いので、今回の路地裏はいつも通り歩けそうだ。


「待って」


 いつの間にか制服の裾を引っ張られていた。俺は体育座りをしている者の正体をまじまじと見た。肌は白いけど表情はよく見えないし服装も…籠手と胸当てを装備しているくらいで他は見えないな。


「どうしたんすかこんなところで」


「しっ!静かに」


 強めに引っ張られた俺は促されるがままに体育座りをした。並んで座っていると微かに上品な香りが漂う。こういう香水が一番自然でいいんだよ。


 俺はつい気になって小声で話しかけた。


「あのぉ…なにやってるんすか」


「追手が来ているから隠れているのだ」


「なんで俺まで」


「ここから出て行ったら追手が確認しに来るだろう」


 まあ一理ある。それに市場側の路地裏は大人も通れる。この場所を確認する事くらいはできるだろう。


「でもずっとここにいるわけにはいかないっすよ」


「そうなのだ。だからここから近くて見つかる事なく追手から逃れられて休める場所を知らないか?」


「そんな都合のいいところ…」


 あー、自宅だわコレ。


 しかし会ったばかりの女性を家に連れ込んだ事が家族やミアムにバレたら大変だ。何とかして誤魔化したいものだが。


 まあ仕方ない。その場凌ぎの嘘で何とかしよう。俺はカニ歩きで通ってきた道を指差した。


「そこの狭い路地裏を通ればすぐに俺の家があるんだけど来るか?」


「えっっ!!」


 急にガチで引いたような野太い声を出すな。


「お前が大声出すなっての」


「…すまない」


 彼女が謝った途端、今度は俺の二の腕辺りを親指と人差し指で挟めてきた。


「それと、お前じゃない。ボクはヘルミ・キノス・ラヴィーニというれっきとした名前があるのだ」


 白い肌と整った顔立ちが露わになる。視界が暗順応し始めると、吊り目の彼女は透き通る灰色の瞳を見開いていた。亜麻色の髪がそよ風に揺れて彼女の耳元が目に入る。


「え、尖ってる…!」


「エルフくらい今時珍しくも…ああ、エスカレラ王国は人間しか住んでいない国だったな」


「確かにノルトゥーガ学園でもエルフは見た事ないな」


 俺が思い出しながら話すと、ヘルミはいきなり血相を変えた。よく見ると腰には剣を提げており、鞘が地面を打ち付けた。


「キミ、ノルトゥーガ学園の生徒なのか!」


「え、ええまあ」


 ヘルミは眉間に皺を寄せた険しい表情で忠告した。


「明日は学園に行かないほうがいい」


「え、でも2日連続でサボるのは流石に…」


「ダメなんだ!キミだけでも休むのだ!」


「だぁら声デカいって」


 程なくして広い路地裏から男性2人の声が聞こえてくる。言葉の内容は聞き取れないがヘルミには聞こえているようですぐに立ち上がった。


「ここがバレた。早く家に案内してほしい」


「わかったよ…」


 止むを得ず立ち上がり、狭い路地裏に再び足を突っ込む。対角線上にいる男性達がヘルミの姿を見て駆け寄ってくる。


 敵愾心サラ・マスティマが反応する。それも少人数の割には凄まじい敵意の量だ。このヘルミってやつ、何をしでかした。


 俺は急いでカニ歩きをするもヘルミは右手を掴まれてしまう。


「キミ!なんとかしてくれ!」


「わあってるよ!」


 いち早く抜け出した俺目掛けてヘルミが手を伸ばす。俺はすかさず彼女の手を握るが男性2人にも引っ張られている。


「痛い痛い痛い痛い!」


 その間に男性達から放出され続けている敵意を吸収していた。身体能力が上がっていく実感が湧く。


 こんな狭い路地裏だと男性達まで俺の近接攻撃は届かない。今は武器も持ち歩いていない。あったとしてもヘルミがいるので武器を振るえない。


 となれば、今朝学んだ魔法を使う時が来たようだ。しかも、初の実戦なのでカッコよく決めておこう。


 俺は振り解こうとしているヘルミから数歩距離を取る。


「ちょっとキミ!ボクを見捨てる気なのか!」


 練習通りなら…まずはみぞおちに意識を集中させる。


 やはり多少の不快感は拭えない。また、できる限り被害は大きくしたくないがぶっつけ本番で調節するしかあるまい。


 みぞおちから肩へ、右腕から手のひらへとスムーズに魔力を移動できている。後は俺があの魔法を斜め上から放てばいい。


 Q.斜め上から放つには。

 A.2歩壁宙返りをしろ。


 路地裏の左側の壁目掛けて右足、左足と踏み込む。


 高い跳躍で右足を壁に叩きつけた後、左足を壁の上方に持っていく。


 前世ではあり得ない程の高さを維持して壁を蹴った。


 この瞬間、俺の瞳と手は男性2人を捕捉していた。


 火の球とは訳が違う。俺の右手から放たれる炎は激流のように流動する。


『シンギ・エレフス』。


 ヘルミの頭上を超えて一直線上の炎が標的たちの服を掠めた。服の一部分に小さな火が宿り始めた。


 高度が高すぎた且つ身体と地面が平行だった時間が長かった。俺は瞬時に使わなかった左手を地面に向ける。同時に両足を拡げて最後は三点スリーポイント着地ランディングでフィニッシュだ。


 地面に手のひらをつけた瞬間に魔力をみぞおちに戻して、手から吹き上がる炎の消火は完了だ。


 ヘルミの背後から悲鳴が貫いてくる。


「ぎゃあああああああああ!オレの服があああああ」


「アチチチチチィィィィィ!!」


「早く脱がねーと燃え移るぞー」


 ヘルミを掴んでいた男性の手が離されて俺はすかさず彼女の手を握って引き寄せた。


 体勢を崩して上半身が俺のもとになだれ込む。抱きかかえられたヘルミが数秒間一時停止する。


「うい、だいじょぶか。行くぞ」


「あ、ああうん。……ありがとう」


 ヘルミの手を握りしめて病院前を駆け抜ける。出たとこ勝負の魔法だったけど上手くいって良かった。


 顔から滲み出るニヤニヤが止まらない。ついに魔法を演出の一部として利用できた。これは今後の登場シーンが楽しみで仕方がない。


 屋敷までの一本道に入っても握る手を離さずに走り続ける。空は暗くなり始めて、満天の星空が見える前に俺は自宅の扉を開いた。


 流れるように玄関の階段を登り続ける。ここまで来ると微笑みよりも焦りが顔に出ている。


 誰かに見つかる前に部屋に連れ出さないと。


 ここで俺は自らの言葉に疑問を抱いた。


 部屋に連れ出す。

 初めて会った女性を。

 誰にも見つからないように。


 これってかなりまずいシチュエーションなのでは。


 とっくに気付いていただろう紅くなっているヘルミを横目に、俺は既に自室の扉を開けていた。


 今まで全く考えなかった事を今になって考えてしまった。ヘルミは恐る恐る部屋に入っていった。もう遅かった。


 話を聞くだけ話を聞くだけ話を聞くだけ。


 俺もすぐに部屋に入って背中で扉を閉めた。特にやましい事なんてするつもりは無いのに、身体と本能が別の動きをしてしまう。


 俺は震える顔を押さえながら真偽を聞いた。


「ががが、学園に行かない方がいいってどういうことなん!」


 ヘルミは紅くなった頬を叩いて振り返った。


「明日、全生徒合同集会のタイミングで学園に、大量に雇われた傭兵や聖殿会直属の騎士が押し寄せてくるのだ!ボクはその計画に参加する事になっていたのだけど、子どもに害を成すなんて事できない…」


「ククククク…」


 再び紅潮していくヘルミに脇目も振らず一心不乱に笑い続けた。


「キタキタキタキタキタキタキターー!!アッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!」


 身体が硬直し、放心していた彼女は俺の笑う姿を見ているだけだ。


 そんな彼女に俺は言ってやりたかった。学園に敵がやってくるという情報を聞いて俺が何をすると思う。


 学園長や教師達に事前に知らせる?生徒たちを誘導して被害者を減らす?バリケードなり何なり設置して防御体勢を取る?否。全て否。


 俺は自らの登場シーンのために、絶対にそんな事はしない。敵意の塊みたいな奴らが押し寄せて、騎士や傭兵に対して生徒がまた敵意を向ける状況だぞ。


 それってさ、俺だけにとって。


「最高のシチュエーションじゃねーか」


 ―――――――――――――


 揺らめく馬車の窓から覗くのは空に雲がかかる朝だ。朝の寒さが閉められた窓から伝わる。


 昨夜はあまり寝付けなかった。遠足に行く前日の小学生。修学旅行に行く前日の高校生のようだった。


 俺は昨夜ひたすら笑い続けていた。ヘルミがいつ、どうやって居なくなったのも全く覚えていない。


 とにかく今日は空模様に反してやる気が溢れ出ていた。ティエラが来る前にベッドから跳ね起きたし、制服にも着替えて鞄も持った。いつも多過ぎると思っていた食事も珍しく平らげた。


 今日のイベントが楽しみでしょうがなかった。前世では治安の悪さも相まってイベントが起き過ぎていた。


 魔法が存在しているにもかかわらず現世では、イベントが少ないような気がしていたのだ。物足りなさや飢えが爆発してしまって、心細さを感じていたのかもしれない。


 楽しそうにしていた事に気付いたのか、ミアムが笑顔で語りかけてくる。


「嬉しそうねログラール」


「あっわかっちゃうー?さっすがミアム」


 俺の笑顔に反応してミアムも一緒に笑ってくれた。


「私も嬉しい事があってね。今日は一限に全生徒が体育館で合同集会を開くと小耳に挟んだの。これでログラールの顔を放課後前に見に行けるわ!」


「グーゼンだね!俺も今日の集会が楽しみで仕方が無かったんだ!そりゃもう夜も眠れないくらいにね!」


 ミアムはいたく感動したのか、瞳を潤わせて首元の前に手を合わせた。


「嬉しい…!ログラールも私と会うの楽しみにしてくれてるのね!」


「あ?ああ」


 体育館の下見をすっかり忘れていたからな。ひとまず敵意を吸収できる位置に陣取る場所を仮定して、登場の仕方を色々探ってみよう。


 道場破り方式で正面の扉から堂々と入るか。アリだな。


 天井を突き破って三点着地で入るか。アリだな。


 事前に倒した騎士に変装してマントを脱いだ瞬間の早着替え。アリだな。


 ああ…旅行も登場シーンの計画している時が一番楽しい。


 俺はミアムの言葉を耳に入れる事なく自分の世界に入り浸っていた。馬車の揺れが治まった後も、ミアムが嬉しそうな顔で馬車から出た後も、俺は常に考え事をしていた。


 襲ってきた敵達にどうインパクトを残して、ノルトゥーガ学園の生徒達をどう助けるか。今日一番の命題の解答候補を脳内に巡らせて、俺は校舎内へと姿を消していった。

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