第10話 無邪気ゆえの残酷さ

 幾度も失敗しては挑戦を繰り返すも、炎の縮小化と制御は叶わなかった。また、炎の形を球状に変化させる事も実践できないまま9回目の鐘が鳴り響いた。四限の授業が始まる頃合いだ。


 このまま続けていても仕方がない。俺が机に置かれていた本を順に閉まっている姿を見て、カルストは歩み寄る。


「もうやめてしまうのかい?」


「ええ。今日は疲れたので」


「あっ、それならこっから本棟挟んで向かい側にある裏口からすぐ近くに休憩室があるからそこで休みなよ」


 俺は乱雑に置かれていた本の数々を全て所定の位置に戻し、カルストと共に玄関口に足を向ける。


 休憩室は図書館を出て学園本棟を挟んで向かい側にあるという。距離はあるが今の時間なら教師や生徒にサボりがバレる事はないだろう。


 隣にいたカルストの手が左肩に乗る。


「ログラールくん。またサボりたかったらここに来てくれよ」


「考えておくっすわ」


 足音が俺だけになり開放された扉の前に立ち、後ろを振り向く。


 受付嬢に太ももをつねられているカルストが表情一つ変える事なく手を振っていた。俺は2秒ほど手を挙げた後すかさず図書館を出た。一刻も早く休んでいたかったのだ。


 学園の裏側にある一本道を通ると、カルストと出会った場所周辺にたどり着く。正門には行かずこのまま裏側を通れば、休憩室近くの裏口に一直線だろう。


 裏側からは授業中の風景が少しだけ見えてしまう。つまり教室を覗いている時、教室もまた俺を覗いているのだ。


 ここは見られないように窓の下までしゃがみ歩きしよう。難所を越えれば後は天国だ。


 しゃがみ歩きしようとした時に一瞬生徒に見られたが、意図が読めず固まっていただけだったので問題ない。


 5分後への展望に胸を躍らせているとあっという間に裏口にたどり着いた。


 あの女のトラブルに巻き込まれたばかりだから不穏だったけれど到着できて安心した。


 裏口の扉には鍵がかかっていなかった。セキュリティ大丈夫かなあ。


 入って左側の教室には休憩室と書かれている。日本の学校とは違って、わざわざ仮病で保健室に行かなくても良いなんて最高の学園だぜ。


 木造の扉を開くと教室と同じくらいの広さがある縦長の部屋に絨毯が敷き詰められていた。教室の人一人分のスペースに合わせて枕が用意がされている。


「ふむ」


 それよりも気になるものがある。たった1人仰向けで寝ているな。赤髪ショートヘアーで発育が良くオープンな女子生徒が。しかも教室のど真ん中で。


 俺はちょっとばかし頭がおかしいだけで良識と良心くらいはある。まだ会ってから間もない女性と一つ屋根の下で眠るのは、まったくもってけしからん話だ。すまなかったな全俺。今日のサービスは無しだ。


 潔く扉を静かに閉めようとすると、部屋の中から声が聞こえた。


「ログっちも寝よ」


 よかったな全俺。許可をもらったぞ。


「ああ、寝よう」


「えっ冗談のつもりだったんだけど」


 レイナよ、もう遅い。俺は寝たいと思ったら寝るし0点も時々取る。まあテスト開始から終了までずっと寝てたからだけど。


「てかログっちサボるんだね。そうは見えないなー」


 床に寝転がりながら答える。


「今日は特別に自分を休ませてあげようと思ってな」


「いいね、それ。私も今度先生に言ってみようかなー」


 多分通じないぞ。前世で3回くらい別人に言って回ったけど結局ムダだったし。


 休憩室に流れる沈静。寝返りで制服と床が擦れる。小鳥の鳴き声が微かに聞こえる。時間だけが過ぎて行くこの感覚も悪くない。


 俺に足を向けていたレイナが頭を向けて切り出した。


「ね、ログっちは好きな人とかいるの?」


 あー、レイナみたいな人は恋バナとか好きだよな。なんとなく分かってた。前世でも似たような人がいたしな。


「そうだなー、俺の演出を素直に拍手してくれる人とかかなー」


 まあ教室に入った時の奥義を使っても見た感じ誰も拍手してくれなかったけどな。


「……そっかー。ねねね、私あの技途中までできるようになったんだよ!」


「なんだって!あのアクロバティックナントカをか!」


 2人して上体を起こしていた。そのままレイナが勢いよく立ち上がってスカートを叩いた。


「ここ広いしちょうど良さげー」


 レイナが窓側に後退りして扉側にいた俺は胡座をかいて観察していた。


 一呼吸を置いた後、助走をつけて左手から右手へと床につけた。ロンダートからのサイドフリップ。そしてそのまま再びロンダート。そして綺麗な着地。おお、これは完璧…。


 レイナはスカートを短く穿いていた為、激しい動きのアクロナントカで見えてはいけないものが見えてしまった。


「どーお」


「…お、おー!割と白くて、じゃなかったサマになってて素晴らしかった!」


「でしょでしょ!次見せる時までに絶対完成させてみせるぞー!」


 両腕を天井に向けて思い切り突き出した。だからそういうことするから見えるんだってば。


 レイナはそのまま身体を伸ばしながら再び床についた。組んでいた足を外して俺もまた横になる。

 

 10秒か、それとも5分くらいの静寂か分からない。時間さえも超越したこの休憩室内に突然ため息が聞こえる。


「ねー。私ってなんで嫌われてるのかな」


「はい?」


 レイナはそれ以上言うことなく、小鳥の鳴き声だけが耳をつついていた。


 この手の人物が嫌われる要因としては、フレンドリー過ぎること。自分勝手で迷惑を考えないこと。とにかくうるさいこと。色々理由はあると思うが、レイナには全て当てはまらない。少なくとも俺はそう思っている。


 ふとカルストの言葉を思い出す。


「強いて言うならば」


 レイナの寝返る音が聞こえる。


「誰にでも話しかけて、誰にでも臆する事なく意見を言う。誰に合わせる事なく自分自身の意志を持つ。つまり」


 カルストの言っていた事のほぼ受け売りだ。でも、最終的な結論は違う。レイナの方を見ずに扉に話しかけるように呟いた。


「無邪気ゆえの残酷さ、とかかなあ」


 小鳥の鳴き声はもう聞こえない。静寂の中でレイナの制服が擦れる音だけが室内を満たしていた。音が聞こえなくなった後彼女は沈黙を破る。


「それってさ…ログっちは私の事を子ども扱いしてるってことだよね」


 言いたかった事が曲解されてしまったが、怒らせてしまっただろうか。ここは素直に謝罪しよう。


 俺は扉に向いていた身体を窓側に振り向かせながら口を開いた。


「あー、冗談。悪か…」


 動きが止まってしまった。これ以上振り返ってはいけない。


 なぜならそこにレイナがいるからだ。


 俺はてっきり怒らせてしまったと思っていた。しかしいたずらっぽく笑いながら、胸にレイナ自身の腕を押し付けて口元に指を置いていたのだ。


「私ってまだ子どもかなー?」


 俺の体内時計は狂っていた。およそ1秒だけ振り返っていたはずだ。だが実際のところは10秒見ていた気もする。


 体勢を戻した俺は扉を向いて目を閉じた。


「さあね」


「あーひどーい!」


 背中に柔らかい何かが当たっている。交互に衝撃が伝わってくる。あ、これ両手か。


 レイナは両手をそのまま俺の背中に当てて、俺にも聞こえるか怪しいほどの小さな声で囁いた。


「……でも、ありがとう」


 ふむ、過去の俺。ようやく理解したぞ。

 ここが、この状況こそが、聖域サンクチュアリだったんだ。


 聖域サンクチュアリに鳴り響く鐘の音が俺の意識を覚ました。そっと立ち上がり鞄を取る。


「えー、もーちょっと休んでこーよ」


「この時間人来るだろ。見られたくないから行くわ」


 俺は扉の取っ手を握ると背後から元気な声が耳に届く。


「ログっちー、またサボりたくなったらここに来てねー」


「超前向きに考えとくよ」


 扉を押して全く休憩できていない身体をゆっくり進めた。しょうがない、自宅で身体を休ませよう。


 突如として休憩室に入っていく瘴気。覚えのある感覚が俺を包み込んだ。慎重に目を開けると逆光に照らされている苛烈な少女が立っていた。


「ロ、グ、ラ、ア、ル?」


「よ、よお。元気そうだね」


 呪いに聖魔法を当てたようなモスキート音が聞こえる。やっぱりいつもの冷たい目をしていた。


「私、一部始終を窓から見ていたの。こんな風にね」


 ああこの音。全然小鳥の鳴き声じゃなかったわ。ミアムの歯軋りと声にならない声だわ。


「いやあ、はは。なんというか、まあ、なんだ」


「今日は!一緒に!帰るわよ!」


 徐々に生徒たちの声が聞こえてくる廊下に手と手がぶつかり合う爆発音が響いた。そのまま俺の手を握りしめて裏口に戻った。


 俺はこのままミアムに絞られてしまうだろう。恐怖の尋問、いや拷問される可能性だってある。こんな事になるならもう一生サボらねえ。


 器用にもミアムは前をしっかり歩きながらあの冷たい目で俺の目をジロジロ見ていた。目の前で修羅場が起きていたにも関わらず、レイナは休憩室でまだ寝ていた。

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