第9話 敵愾心

 無事に呪いとやらを解いた俺は引き続き図書館に居残ることにした。制服姿で外に出ると品位を疑われる可能性があるし、魔法についての書物にも興味があった。


 カルストに頼むのは癪だがあんなやつでも一応賢者だ。このまま残ってくれるなら、せっかくだし教えを乞うとしよう。


「カルストさん。よければ俺に魔法を教えてください」


「ログラールくん…。ついに僕から直々に魔法を教えてもらう気になったんだね!よし、勉強会だ」


 サボったけど結局ここで勉強するハメになったが、魔法が使えないとティエラがいない時に自己の防衛がままならないだろう。今のうちに勉強する事が肝要だ。


 カルストは見るからに鍛えていない腕を見せるように袖をまくる。ニヤけながら手招きをするカルストと共に歩む。


「実はね、僕は趣味で色んな魔術の指南書を書いてて。今日はその中でも特別分かりやすくてすぐにマスターできる指南書を見せたげるよ」


 図書館のさらに奥へと進むと厳重に保管されている分厚い本を中心に、円形の本棚が並べられた場所にたどり着いた。


「あの大事そうな本は?」


「あれは…国にとっても僕にとっても大切な本なんだ。僕は基本的に図書館に納本する指南書は全て貸出自由で、そのまま盗まれても役に立つなら割と許しちゃうんだ」


 あんたが許してもおっかない受付嬢が許さないだろ。


「でも、あの本だけは誰にも譲れない。たとえ国王様や神に頼まれたって最後まで拒絶してみせるよ。ログラールくんに頼まれたら少し考えちゃうかもね」


「そんな大事な本、俺には分不相応っすよ」


 カルストはその言葉を聞いてただ微笑んだ。


「あっちに例の指南書があるよ」


 カルストが指差していた場所に到着すると、本棚にはサイズも厚さもバラバラでところどころ紙片が飛び出している本ばかりがあった。


「僕の施しでこのホール周辺は魔法の実践のために特殊な結界を張ってるんだ。本に魔法が当たらないようその場で打ち消される結界が展開されてるよ」


 周囲をよく見ると、本棚のあちこちに時々光沢が見える。透明な結界で書物や館内を守っているのだろう。


「だからといって魔法使い見習いは新しい魔法…特に戦闘魔法なんかはガンガン使っちゃうと、身体に多大な負荷がかかって爆散しちゃうからね」

「恐いことを笑顔で言うな」


 上機嫌なカルストが最初に手を取った書物を俺に手渡した。引き続きカルストは他の本を探しに別の本棚に歩いて行った。


 参考書サイズの分厚い本をめくると、よくわからない前書きが2ページ分大々的に載せられていた。


『この本を取ったという事は私はもうこの世にいないでしょう』


 不穏な香りを思いつつ一旦もう1ページめくると、機械的に書かれたような丁寧な目次が連なっていた。なんなんだよ。


 魔術に関する基礎知識から歴史、応用まで書かれており、あの陽気なカルストが書いたとは思えないほどの作り込みだ。


 俺は説明書とか見ずにゲームを始めるタイプだ。成り立ちより先に覚えたい魔法を見ていこう。


 人体の図と端に書かれた説明文が目に入る。


『まずは自分の魔力を知ることから始めよう。魔力は基本的に人間共通の急所に内包されている。例…みぞおちやこめかみなど 急所を意識すればだんだんと自分の魔力が見えてくるはずだ』


 急所と言えば…いやいや共通の急所と書いていたのでみぞおちに意識を置いてみよう。


 ……不思議だ。へそ周辺で熱い何かが渦巻いている。虫が胃の中にいるようで心底気持ち悪いが、この感覚はカルストどころかミゲルや生活魔法だけを使う者ですら味わっている事だ。このくらい問題はないし、これからの演出に必要不可欠だ。


『それが魔力の奔流だ。身体に魔力が行き渡っているのが感じるだろう。この状態になって初めて魔法が使えるようになる』


 不快感を覚えつつページをめくると炎や手が描かれた図が端に追いやられ、丁寧に書かれた文章がページを占領していた。


『炎系は詠唱の前にシンギと置くことを前提とする。炎の形状や温度を知っていると形にしやすい。※自分が炎の熱さをより味わっている程その分、形になった炎も熱くなるぞ!水魔法や治癒魔法、打消の結界魔法が使える先生と共に学ぶ事を推奨する!』


 身体に行き渡る魔力の奔流が感知できる。まるで血管内の血の流れが分かるようなそんな感覚だ。今ならきっと魔法が使える。


『まずはその場で球状にしてみよう。手のひらに魔力の奔流を集めよう』


 魔力の奔流を集めるとな。簡単に言ってくれる。


 しかし時間が経過するごとに手のひらが熱くなっていく。先程感じた熱さが手のひらにも伝わってくる。


『魔力を感じたら、炎系の前提文の後にエレフスと言おう』


 俺は杯を持つように手を広げた。手の熱さで指の各所が自然に蠢く。確か前提文は『シンギ』。つまり、『シンギ・エレフス』と言えばいい。


「シン…」


 詠唱文を呟こうとした瞬間、手から凄まじい火の手が噴き上がる。結界により燃え移る事はないが、火は止まる事なく延々と猛り続ける。


「ちょちょちょちょ」


「いやーやっぱり天才型かー。さすがログラールくんだね」


 カルストは拍手しながら穏やかに歩いていた。


「感心してないで止め方を教えてください!」


「止め方はねー、急所に意識を戻すんだよ」


 となればみぞおちに意識を置けばいい。また同じ感覚を味わうのは気がひけるが今は緊急事態だ。みぞおちに再び意識を戻すと、魔力の渦巻きが発生し始める。


 すると炎はたちまち小さくなっていき、最後は火の粉を残して儚く散った。


「ふう。ビビったー…」


「もしや思念詠唱をしたね?」


「しねん、えいしょー?」


 カルストは腕まくりした左肘を上げて人差し指を立てた。


「詠唱を言葉にせず、脳内で詠唱するだけで魔法が発生する現象さ。攻戦時には相手に魔法の種類を悟らせないために、戦略的に使われる事が多いんだ。それでもデメリットはある。規模の大きい魔法は発現しない事がある」


 カルストは俺が持っていた書物のページをまとめてめくると、応用編の炎魔法に関する記述がある。


「これは魔力を燃料に変えて大規模な炎を生み出す技術さ。この過程を踏んだ炎魔法はさっきログラールくんが発生させたような形状になる。エレフスの詠唱をしても、少し工夫をするだけで噴き上がる炎を具現化できるのさ」


 ふと自分の手のひらを見る。


「でも、魔力を燃料に変えた覚えは無いですよ」


「だから天才型なんだ。意識せずとも強力な魔法に変貌する。それは僕と同じように一つ段階を飛ばして行使しているんだよ」


「じゃあ手のひらの熱さや気持ち悪さも…?」


「自然に燃料を作っているからだね」


 ではこの気持ち悪さは逸脱した魔法使いのみが味わう物だったのか。間違った知識をお披露目するところだった。


 非常識である事を世に知らしめてしまう『また俺何かやっちゃいました』を防ぐためにも、今は魔法の常識を頭に叩き込む必要がある。


 カルストは手のひらに拳を置いてしたり顔で喋り始めた。


「そうそう。君の事だから基礎知識を見ていないだろうし教えておくけど、魔法には先天的に会得するものと後天的に会得するものの二つに分かれているんだ。後天的に得るものは今君が学んでいる魔法の事だよ」


「じゃあ、先天的に得るものは?」


 再び肘を肩まで突き上げて人差し指を横に振っている。少しうざったさを感じる。


「その人特有の魔法だよ。千里眼や完全変身などが挙げられるね。でも先天的に魔法が備わるケースはごく稀だ。先天的な要素として少し身長が伸びやすい、目が良いなども挙げられるからそっちに持っていかれやすいんだ」


 自身の先天的な要素は何なのだろうか。転生後の今までの事を振り返る。やはり『敵意』を吸収して力を得る能力が当てはまるだろうか。


 歯を見せたカルストが拳を俺の頭に軽く打ちつけた。


「まあ君に関しては若白髪が生えやすいってのに持ってかれてるかもね!」


「ほっとけよ」


 まさか前世で密かに気にしていた事が現世に受け継がれてしまうとは。世の中上手くいかない事の方が多いのだろうな。


 しかし、敵意の吸収能力の事はカルストも知らない様子だ。自身の能力については不明瞭な点が多い。


「多分、俺の先天的な要素、魔法でも白髪でもないと思うんです」


「ということは、自身の能力が判明しているんだね」


 カルストから陽気な笑顔は消えて重苦しい雰囲気が流れる。先天的な要素、つまりは人それぞれの個性だ。それは前世でも変わらない要素で、人生そのものを揺るがす事が多い。俺は既に人生の大半がこの能力に左右されそうな予感がしているのだ。


「俺の能力は、周囲にいる人の敵意を自分に吸収し力に変えること。身体能力の向上や頭脳が研ぎ澄まされ、いわゆるゾーンの解放まで自然に行えます」


 顎を触り始めたカルストには思い当たる節が無いようで、必死に記憶をたどっているように見えた。


「聞いた事が無い能力だね。敵意の感知は故意にできる事なのかい?」


 ミアムと乗った初めての通学やその後の生徒の眼差しを思い返す。自身の想定外か想定内に関わらず、敵意の感知は必ず発生していた。


「いえ、常に能力が発動している状態です」


 カルストは遠くを見つめる視線で片手を腰に置いた。


「…そっか。君は重大な悩みを抱えていたんだね」


「え?」


 俺の身に覚えが無かった。確かに敵意を感じる事に嫌気が刺しても、吸収した結果がついているので悩む事はなかった。むしろこの能力のお陰でなんとか生きているし、登場シーンの規模が広がっている。


「俺は大丈夫っすよ。この能力で助けられる命があるなら、能力に悲観する事はありません」


「…そうか。やっぱり君は変わったね」


 俺はカルストを見ずにただ虚空を眺めていた。


「昔の君は自分しか見えていなかった。でも今の君は自分を信じるようになったんだね」


 疑問が残る言い回しにふとカルストを見遣る。


「同じ事では?」


「つまり、周りが見れるようになったって事だよ。その上確固たる意志を持って自らの行動を信じる。どうだい、全然違うだろ?」


 自分しか見えずただ自分を狂信する事と、周囲の意見に流されずに自分の意志を持つ事。表面上は似ていても言葉にすると全く違う。


 賢者の説明を噛み砕くと疑問に思っていた言葉も不思議と腑に落ちた。


 俺が入り込むログラール像が見えてきた。これは記憶や思い出による判別ではない。


 推理や推測によるログラール像であり、記憶が闇に包まれる気配は無い。そうか、こんな抜け道があったのか。


 納得した表情が顔に出ていたのか、カルストはいつもの陽気な表情に戻る。


「とりあえず、能力だとか敵意だとか言うのめんどくさいし便宜上の名前をつけるとしようか」


「名前、ですか」


 俺が今まで命名した作戦名や奥義名を脳内で並べてみると、なんともまあ酷い名前ばかりだ。受付嬢のネーミングセンスをバカにできないほどのシロモノだ。ここは若賢者カルスト・エレーロ・フォスター様に任せるとしよう。


 静寂に包まれた図書館の中心まで歩いたカルストは俺に振り返る。自信に満ちた表情と共に口を開いた。


敵愾心サラ・マスティマ──」

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