第8話 魔法を生み出す
校門を通るとやる気の低下が身体全体に行き渡った。今日は特別に休みの日にしようかな。
放課後まで校内の何処かで時間を潰そう。レイナだって初日からサボってたんだ。一度のサボりくらいは許してくれるはずだ。
校舎の古びた入り口を外れると、壁に寄りかかりながら本を読み耽る男性がいた。俺の記憶に刷り込まれていた男の特徴と良く似ていた。
「ネヴィル──」
男性は読んでいた本を閉じて俺を見遣る。
「ごめんねー、僕はネヴィル君じゃないんだ」
優しく微笑んだ顔は似ているものの、灰色の髪と服装から仕草まで何もかも違った。
「僕はねー、カルスト・エレーロ・フォスターだぞ」
「ああ…えと」
「あ、もしかしてサボりー?いいねいいね。やりなよ、サボり」
先程の微笑みよりもどこか無邪気な表情になった。
「僕が許しちゃうよー。反骨心的なやつ?大歓迎さ」
「はあ」
「とはいえただ遊ぶのも良くないねー。そうだ、僕と図書館にいこーよ。図書館の受付嬢が作った魔道具の返却期限過ぎててさ、言い辛いから一緒に来てくんないかな」
カルストは円状のアイテムを片手に持ち俺を横目に手を握り、了解を得ずに歩き出した。もうすぐ鐘の音が響く時間だ。
「あの、怒らないんですか?」
「同じ事を昨日も聞かれたよー。僕はこの学校の教師じゃないから怒る必要なんてないしガラでもないし」
「…もしかして赤髪の女の子?」
「そーそー!いやあ、若いっていいよねぇ」
カルストは顔を緩ませて溶けるような微笑みをこぼした。あんたも若いでしょうが。
ノルトゥーガ学園の敷地内に存在する図書館の出入り口の前に立ち、静けさだけが残る立派な建物に足を踏み入れた。
眼前に広がる聖堂のようなアーチを描く屋根が印象的だった。半円の屋根の下には無数の本棚が並んでいる。
初めての光景に我を忘れていると、丸い物体を押し付けられた。
「じゃ、返却よろしくー」
カルストは図書館の奥へと一目散に逃げていってしまった。ただ唖然としていた俺はやがて周囲を見渡す。
すると、手招きをしていた受付嬢を発見した。彼女はジト目で呆れていた様子だった。まさか常習犯か。
カウンターまで近づくと、受付嬢は肩をすくめて口を尖らせる。
「またカルストね。アイツはいつもああなんだから」
手を差し出した受付嬢が鼻を鳴らす。俺が魔道具とやらを手渡そうとすると、球の中心が緑色に輝き出して手を引っ込めてしまった。
「な、なんだ!」
「これは
ダジャレネームですか。それに千里眼の定義と微妙にズレているし。
「それで、なんで光ってるんです」
「ただの暴発ね。失敗した時と同様、そんな風に光り出して持ってる人に呪いがかかるのよ」
引っ込めた手を受付嬢の手元に押し出した。しかし彼女は知らん顔で両手を上げる。
「もう遅いわね。ミアム様に治してもらいなさい。ま、謁見すらできないと思うけど!」
「ちょっと!解除方法とかないんですか!」
「サア。見切り発車で作ったからわかんないわ」
この女、厄介すぎる。どんな呪いであれこの女が作った物だ。きっとロクでもない呪いに決まっている。
受付嬢はカルストが逃げていった方向を指差した。
「アイツに聞いてみたらどうかしら。呪いを解く魔法くらいは知ってるかもよ」
カルストのいる方へ振り返ると、水を弾くように思い切り首を横に振っていた。
「あんたが千里丸を何度も発注した上に結局返すのも他人任せにしたのよ。これくらいの責任は取りなさいよ」
カルストは一呼吸を置くと本棚の裏から身体を出した。長いため息を吐きながら、顎に指を置いて考え始めた。
「正直ぃ、呪いに対する僕の知ってる魔法は全て対症療法でね。王女様ほどの力とは比較にならないくらい効力が弱いんだ」
「じゃあこの人はどうなるのよ」
「いやぁ、呪いが発動しない事には僕にも…」
賢者と呼ばれているからには、ミアムほどの力は無くても呪いを判別するくらいはできると過信していた。ダメだこりゃ。
カルストに負けないほどのため息を吐いてみせた。
「賢者って呼ばれる割には無力なんすね」
俺の言葉を聞いたカルストの曖昧な笑いは、凄まじい圧が込められた苦笑に変貌した。
「…いいだろう。僕の沽券に関わる問題だ。今すぐにでも君の呪いを解く魔法を生み出してみせるさ」
「魔法を生み出す…?」
カルストは館内にある鎖に繋がれた本を次々と引っ張り出す。ジャンル毎に分けられているとしても、必要な本を瞬時に引きずり出す辺りは賢者らしく見える。
机上に置かれた本のページは全て呪いに関する記述ばかりでそこを開くのに、3ページ前後めくるだけで済んでいた。一冊一冊の内容を覚えていなければできない芸当だ。
「えーと…まずは判別のために唾をもらうぞ」
「お、おひ」
カルストは隣にいた俺の顔に向かって人差し指を突き出した。抵抗する間も無く舌に異物が伝わってしまう。
俺は制服の袖に嫌悪感と共に唾を吐く。
「ペッ、あのさ…」
ふとカルストを見ると、素早く引っこ抜かれた人差し指に白い光を浴びせていた。
「聖魔法で可視化できたらラクなんだけど…」
カルストの言葉でいつしか白い光は黒い闇に覆われ始める。
光を浴びた人差し指からおぞましい色の煙が漂っていた。また、指に付着している唾には紫色の波に似た形状の瘴気が泳いでいた。
「よし。あとは…んーと、4章の8節と15節と8章の12節を組み合わせて魔力の奔流を逆回転に固定して形状と方向を合わせれば……。トニアス・ノ・イトゥ・クナイト・シド」
人差し指は赤く染まり特徴的なモスキート音が耳に入る。
「あーこの音は精神破壊の類いだね」
「え。もうわかったんです?」
「まーね。でもおかしいな…。この種類は即効性のある呪いだから、今頃狂人になって館内を走り回ったりそこの受付嬢の壁みたいな胸に頭を打ち付けたりするもんだけどなぁ」
隣の受付嬢からおびただしいほどの瘴気が漏れていた。大きな歯軋りを立てて鬼の形相だ。この賢者、後で殺されそう。
「ねーログラールくん」
「え…」
「元々頭おかしかったり、常識とかが欠如してたりしてない?」
「…失礼な人っすね。普通の人間っすよ」
やはり母の言う通り、俺とカルストは転生前から知り合いだったらしい。俺はまだ彼に自身の名前を口にしていない。
友人関係にありそうな受付嬢とのやり取りから察するに、知り合いや友人には何気なく毒舌を吐く特徴があり俺にも当てはまる。
カルストは周囲に置かれた本と本の間を忙しなく動き回りながら再びうわ言のように呟き始める。
「精神への呪いなら聖魔法の改良だけでなんとかなりそうだ。奔流も型もそのままに、あとは精神強化と回復魔法各種の文節を区切って……。トニアス・シタラタ・イジラウ・クナート」
もう片方の指から放たれた水色の光が呪われた人差し指に追突する。指から漂う瘴気が甲高い音を立てて消え去った。唾に内包されていた紫色の波も無くなり透明色に戻っている。
「やーできたできた。やっぱやってみるもんだね」
「まじすか。今の魔法が…」
「そー。精神破壊系の呪いだけを解く魔法だよ。もちろん他種の呪いには効かないし即興で作った物だから長期的には使えかもだけどね」
人差し指の唾をハンカチで拭き取りながら朗らかな微笑みが顔に戻っていた。
「でも、どういう原理で魔法を生み出したんです?」
カルストはどう言葉にしたらいいか悩んでいる様子で、ああでも無いこうでも無いと呟いていた。
「んーと、分かりやすく言うとね。魔法を作るには土台である下位の魔法を数年かけて熟練させて、今まで得た知識や経験から新たな上位魔法あるいは独自の魔法を生み出せるんだ」
カルストは悪巧みをするような笑顔を見せた。
「でも僕は全部それをすっ飛ばして、し…先人から得た知識を基にあらゆる魔法を組み合わせている。聖魔法やサポート魔法は特に詳しく文章化されているから新しい魔法を作りやすいんだよ」
隣の受付嬢が両手を横に上げてせせら笑った。
「だからコイツはその中でも簡単な組み合わせで作れる生活魔法ばかりを生み出してるわけ。せこいでしょ」
「せこいな」
「ひどいなあ2人して」
3人の笑い声が館内にこだまする。こんな会話が以前にもあったと思える。思えてしまった。
また自身の記憶に蓋がされる。全ての記憶が、ログラールではない俺の記憶に塗り変わってしまう。しかしそんな危機感を持っていたにもかかわらず、未だに鮮明に思い出せるのだ。
ミアム、カルストと花畑の中心で笑い合う記憶。魔法についての他愛もない談義やミアムの公務に関する愚痴。おそらく2人にとってはかけがえのない大事な思い出だろう。だが、俺には何かが欠落していたようだった。
当時の俺には彼と彼女と同列の感情を持っていなかった。
「さあここからだよ。効力が出ていないとは言え、一応ログラールくん自身の呪いを解かないと」
カルストは俺の胸に向かって手を突き出し、再び詠唱を繰り返した。同じように水色の光が全身を包み込む。本当に呪いが解けたからなのか、プラシーボ効果なのか。身体の節々から重さが取れていく気がした。
「もう終わったよ」
「ありがとうございます」
身体に特別変わったところはない。ただ、先程思い出しかけていた記憶が不穏な気配に包まれていく。この呪いと俺の記憶に何か関係があるのだろうか。それとも他に因果関係があるのか。
今はまだこの事実を覚えておくだけにとどめるしかない。
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