第7話 ベリーハードモード

 夜はまだ長い。


 綺麗事を並べる星たちのもとにいる俺たちが、綺麗事だけで生きている事は決してない。


 慰め合う俺たちを襲う絶望的な状況が、それを物語っているのだから。


「上様からのご命令だ。キサマら二人を今ここで処刑する」


 スコルと同じ鎧と剣を持った五人の敵意が慰め合う俺たちを囲んでいた。


 頭から脚まで動揺することなく、ティエラが胸元で囁き出す。


「ログラール様、お力添えください」


 背中を覆っていた右手はティエラ自身の腰元に戻り、彼女はかがみ始める。太ももに巻かれていた数々のナイフポーチに仕込まれていた短剣の一つが抜かれた。


「これを」


 ティエラが使った凶器と同じタイプの短剣だ。


「私がトドメを刺しますので、ログラール様は敵の無力化を」


 柄を持っていた手がナイフを翻し切先を指で挟む。ただそれだけの動きで、彼女の能力を信頼できる気がした。


 だからこそ、殺すよりも難しい戦術を選ぶ。


「いや、トドメはいらねえ。全員の無力化が、俺たちの任務だ」


 彼女は任務へのこだわりが強い。任務に失敗した時も任務を引き受ける時も、彼女はいつも光を失った目をしているのだ。


 いつもの眠そうなティエラじゃない。仕事中のティエラだ。


「かしこまりました」


 敵前で身体を寄せ合う二人に、苛立ちが募る騎士が叫んだ。


「おい…いい加減にしろよ!」


 どうやら敵意の吸収はここまでのようだ。俺たちの任務は、五人相手に超短期決戦でケリをつける。ベリーハードモードだ。


「ログラール様。今は背中を任せます」

「ああ、任せろ」


 登場シーンを魅せる鍛錬の一環で、短刀での殺陣をかじっていた。ここでその経験が生きる。


 背中合わせになった瞬間、苛立っていた騎士がティエラに向かって剣で薙ぎ払う。


 彼女の腰を捉えた剣は、逆手に持たれたナイフで軽々と弾かれた。


「なっ…!」


 騎士の懐に潜り込み、腹部へと蹴りを入れた。しかし、フルアーマータイプの相手には衝撃程度しか伝わらない。故に身体が順当に折れ曲がることにより発生する、文字通りの隙がある。


 ティエラは目にも留まらぬ疾さで背中へと回り、衣服が覗く腰へと刃を突き刺した。


 騎士が倒れ込むまでにティエラはもう一つのナイフポーチから短剣を抜き取り、次の標的へと走り出していた。


「くっ、お前ら!かかれェ!」


 俺と対面にいた二人の騎士が俺に向かって一斉に飛び込む。


 身体が軽い。敵の動きがよく見える。敵の息が全く合っていない事が判断できる。


 ティエラの動きが脳をよぎった。右目に写る剣の根元を短剣で外側へ軽く払った…つもりだったが、響く剣戟音と共に刀身だけが空へ飛び去った。


 一瞬、短剣の脆さを危ぶまれたが杞憂だったようだ。剣が折れて立ち尽くす騎士を横目に、遅れた左目に写る剣が既に俺の胸を捉えていた。


 しかし、俺が思うよりも早く自分の身体がうねる。剣先はもう胸部のすぐそこにあったはずが、今は人間二人分の距離がある。敵の速度と俺の速度に、遥かな違いがある事の証明だ。


 騎士の手にただの裏拳を叩く。剣を落とすどころか想像より遥かに強い衝撃が伝わり、騎士は回転しながら宿屋に突っ込んだ。


 立ち尽くしていた騎士に皮肉を言ってみる。


「おい、処刑すんだろ。やってみろよ、それで」


 ヘルムから滲み出る苛立ちと敵意が身に沁みる。なりふり構わず騎士が体当たりを敢行した。


 俺には騎士が小動物に見えた。今度は避ける事なく騎士の敵意に応える。


 やはり痛みが無い。それどころか騎士が反動で仰向けに倒れた。


 騎士たちの敵意が思いの外強かったおかげだ。それに免じて、一歩踏む程度の罰で許すぞ。


「行くぞ。ティエラ」


 タガが外れたティエラは既に傍観者だった。なぜならもう3人の無力化に成功していたからだ。腕や脚が変な方向に伸びる騎士たちが積まれていた。やり過ぎではなかろうか。


 帰り道の方向にいた騎士をちょっと強く踏むと、舗装路の石レンガが分散した。轟音により漏らしたうめき声は耳に入らない。


 ティエラは俺の言葉に返事をした後、フードを被り直す。早歩きで俺のそばに追いつき、俺と共に家路を急ぐ。俺の溢れる力は屋敷に着くまで収まる事はなかった。


 ―――――――――――――


 翌朝、俺はミゲルの水魔法ぶっかけで叩き起こされた。品のある見た目の割にはムゴイことをしてくれるものだ。


 起こす前に一言謝罪してから水をぶっかけたというが、そもそも寝ているんだから意味が無いだろう。


 今日もまたノルトゥーガ学園に通学しないといけないわけだ。どうして異世界こちらに来てまで…と文句を言っても仕方がない。


 両親が囲む食堂の長机に食器の音が響く。今日も姉は食事をしに来ていない。それどころか俺が転生して以降どこにも見つからない。


 淡々と朝にしては重い料理に手をつけていると、母が嬉しそうな表情で手のひらを首元に当てた。


「今日は学園に有名な若賢者、カルスト様が授業見学にやってくる日と聞いたわよ!会って話を聞いてみたいなー!」


 ふと肉を口に運んでいた手を止める。


「若賢者?」


「若くしてたくさんの便利な生活魔法を編み出して、私たちの生活を豊かにしてくれた賢人なの。今はきっと覚えていないかもしれないけど、あなたはよく先生とお話ししていたのよ」

「そ、そか。覚えてないけどすごい人なんだな」


 俺は思い出そうとすると、逆に記憶が封印されていく時がある。無理にカルストという男の記憶を漁るのはやめておこう。


 俺は再び料理を食べ始めると、母は無遠慮に恍惚顔でまじまじと俺を見つめる。


「んだよ」


「いつ見ても似合ってるわねー!素敵で愛しのログラールっ!」


 母の俺に対する呼び名が徐々に長くなっていく。最終的にピカソの本名くらいに伸びていそうだ。


「こんな素敵な格好ならミアム王女にダメ出しされる事もないわねっ」


「どうしてミアム様が出てくるんだよ」


「入学から卒業まで、学園寮から馬車を引いて来ていただく予定なの。1日たりとも気を抜けないわよっ」


 驚きのあまり持っていたフォークを皿の上に落とし、音を立ててしまう。


 鋭い音に反応した父が皿の上に食器を置き、あきれた表情で俺を見る。


「無作法だぞ」


「は、はいぃ」


 言葉関係なく父の声で反射的に背筋が伸びてしまった。


 それ以来、食堂にはひとつの静寂が流れている。ただし、居座る人間たちの心は色とりどりだった。


 ただ黙々と食事をする者。変な事を考えながら幸せそうな表情で食事をする者。そして、慣れないマナーや気まずい空気で落ち着かないまま食事をする者。


 しかし、長時間の沈黙や食事中の礼儀などをわすれてしまうほどの美味しい料理が俺を昂らせる。料理を食べていると楽な姿勢に戻っていく。


「しかし…ミアム様はなんで俺に構うのかなぁ」


 母の上半身が急に蛇行し始めた。


「やーん!そんなの私の口から言わせないでよー!意地悪で素敵で愛しのログラール!」


 見かねた父がため息をついて、刺すような目付きを母に向ける。


「リリーよ。また悪い癖が出ている」


「いいじゃない!身分を超えた愛よ、そう愛だわ愛。ロアルドだってそういうのに燃えるタイプでしょ!」


 父は無表情を押し通している。母の問いに応じることなく、目を閉じて料理を口に運んでいる姿は様になっている。


 ──紅潮した頬以外は。


「へー、なんか意外だなあ」


「ロアルドったらスゴいのよ!ただの村娘だった私のために、セイクレーゼ帝国の職務をなげうって遥々何度も愛の告白をしてくれたのよ!最終的には官僚をやめるどころかお父様から受け継いだ爵位を返上したり国を出て行ってまで」


 母のマシンガントークを遮った父がいつもより大きな声を張り上げる。


「ログラール、馬車の引く音が聞こえた。もうミアム王女が来ている。待たせてはいけない」


 未だに無表情を貫いている、と思い込んでいる。まるで寒冷地に放り出されたほどの赤さで俺を睨んでいた。


 登場シーンにこだわるようになった理由を、他人に話されたら黒歴史を掘り返されたようで俺も縮み上がることだろう。ロアルドよ。その気持ち、よく分かるぞ。


 俺は苦笑いしながら頷いて席を立った。いつの間にか気を利かせて食堂の外に立っていた使用人たちが、食器を片付けようとたちまち入っていく。


 ただ一人を除いて。


「ログラール様ぁ、どぉぞ」


 ティエラは俺の右手を取り、指に取っ手を引っ掛けた。


「ありがとうティエラ。行ってくる」


「えへへ、いってらっしゃいまぁ」


 そこまで言うなら最後まで言わんか。


 ティエラは玄関外まで来ることなく、食堂へ戻って行った。昨日は扉の前に大男がいた事をふと思い出す。


 湧いて出る対抗心を胸に秘める。実は、登場シーンというのはカッコいいだけが全てではない。脇役やモブ役による引き立たせも大事なのだ。今は俺から脇役に回ってみせよう。


 玄関口の取っ手を握り扉を開け広げる。人影がいなければ、悪巧みをしていそうな顔でニヤつきながら歩き始めるだけでいい。


 しかし、今現在目の中に逆光を浴びた人影が見える。その時はただ、すかさず尻餅をつく。あとはやられ役のようなセリフを吐いて終わりだ。


「ヒィィィ!お助けをォォォ!」


 これぞ奥義『グッド・サポーティング・アクター』。


 何の反応もない事に気づき、恐る恐る目を開ける。そこにいたのはあの大男とは全く別物の可憐な少女だった。


「どういうつもりかしら」


「あ、ああ。何でもない。いこーぜ」


 俺は制服を叩きながら立ち上がり、ミアムの後を追う。昨日のように門の前には豪華な馬車が待ち構えていた。


 ただ、昨日俺を驚かせてくれた大男の姿はなく、御者と数人の護衛のみだった。ミアムが馬車に入り、俺も当たり前のように足を入れる。


 ミアムは今日も椅子を軽く叩いているが隣に座るなんておこがましいことだ。馬車の扉が閉められると、瞳を輝かせたミアムが喋り出す。


「ね、何か変わった所ない?」


 俺は特に思い当たる節はなかった。強いて言うならば、いると思っていたはずの人がいなかった事くらいか。


「今日はあの大男いないんだな」


 ミアムは一瞬困惑した後、顎に人差し指を置いて寸時の思考に入った。


「大男って、もしかしてスーちゃんのこと?」


「ス、スーちゃん?」


「ええ。スザンナ・バルケンホール。れっきとした女性よ」


「は、じゃあなんで執事の格好してんの」


「本人がドレスは嫌だって。もっと相応しい人がいるって聞かなくてね」


 俺は笑顔を取り繕いながら軽く相槌を打つ。


 車輪が石を弾く音と共にミアムが肩を落とした後、目を開けずに呟いた。


「それで、スーちゃんは私の命令でとある任務に行かせたの」


「任務?何だそれ」


 俺の言葉に呼応してミアムが見覚えのある目を見せた。


 敵意と違って目に見えて感じ取ることのできない相手への『執着』。


 俺を見ている。言葉にすると暖かいはずなのに、凍るような寒気を感じてしまう目付きをしたミアムがそこにいた。


「六人の死体の処理、そして事実の隠蔽」


 ミアムの言葉尻は嬉々としていた。俺には思い当たる節があり過ぎた。昨夜の出来事がフラッシュバックのように蘇る。記憶の蓋は閉じられることなく、自身の息があがっていくのを感じる。


 俺たちは確かにスコルを含めた騎士たちと闘った。しかし、目視での確認だがトドメを刺してはいない。


 彼女へ軽はずみに言ってしまった、自分に一任して欲しいという自分の責任ことばを背負うために、ミアムに詳細を聞き返した。


「もし…機密情報じゃなければ話して欲しい。死体の状況はどうだった」


「貴方のためなら、どんな情報だって教えるわ」


 ミアムは先程から何も変わらない。俺をただ見続けている。


「死体の正体は、スコル・ローガニス。彼は首から先が見つからなかったわ。また五人の死体はそれぞれ大怪我を負っていたけれど、上腕動脈などのあらゆる動脈を五人とも丁寧に刺されて大量出血していたらしいわね」


 彼女の視線から目を逸らす事ができない。語られた事実への反論が喉から出てこない。何度も声を出そうとしても、言葉が続かない。


 俺の腕から伝わる怯えを消すように、ミアムが人差し指で腕から手首へと優しくなぞる。


「大丈夫。そんな事実、この世にはもう無いのだから。全て貴方のため。貴方が幸せに生きるためなら、なんだってするわ」


 もう外の喧騒や馬車の音も耳に入らない。伝わってくる物の情報量が多すぎて脳が高負荷に耐えられない。


 感謝の言葉が脳内で見つからない。先程はつっかえる事無く叫んだ謝罪や許しの言葉も出てこない。


 ミアムの血走った目が閉じられて顔を俯かせた。そのまま彼女は口籠る程の声音で囁いた。


「ところで…ティエラはまだ使用人なのよね」


「…え?」


 俺の言葉の後にミアムは不気味なほどに引きつった笑顔とは反面、疑いと嫉妬の言葉を口にした。


「もし、ティエラとそういう関係だとしたら…」


 もうミアムの口からそれ以上の言葉を聞きたくなかった。ティエラと特段関係を築いてる訳でも無いのに、俺は咄嗟に苦し紛れの単語を呟いた。ミアムの目に釘付けになっていた俺は、今の今まで全くそれに意識が向かなかった。


「髪留め」


 ミアムの瞳が徐々に光を取り戻していく。痙攣していた口角は開かれて顔が火照っていった。


「髪留め、つけてきたんだな」


「そう!気付いてくれたのね!嬉しいわ!」


 外の景色はもう流れる事はなかった。生徒たちの声で持っていかれそうだった意識が戻ってくる。


 ミアムは開かれた扉を通ると、未だに座る事しかできなかった俺にただはにかんで見せた。登場シーンの演出という考えは頭には無く、訝しむ生徒たちの視線を受け止める事など意識の外だった。

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