第5話 今は 全て お任せください

 敷地内に鐘の音が響き渡る。午後の授業が全て終わり、あっという間に下校の時間となった。生徒たちは特に残って話すわけでもなく出口へと向かっていた。


 俺はネヴィルやレイナの案内のおかげで、教室の移動で戸惑う事は無かった。ネヴィルは俺がログラールに入り込む前からの仲で、レイナは俺の旧友に似て関わりやすい。初日から幸運に恵まれたものだ。


 俺は今朝の約束通りレイナと一緒に帰宅する事になった。レイナとは玄関口の前で待ち合わせている。せっかくだから朝から今まで全ての選択講義が同じだったネヴィルも誘ってみるとしよう。


「なあネヴィル。女の子一人いるけど一緒に帰らないか」


「もちろん良いとも」


 屈託の無い笑顔で答えた。この笑顔に裏があると思う人0人説を提唱したいほどだ。


 ネヴィルとの談話を繰り広げていると玄関口にもたれかかる赤髪の女の子がいた。


「いたいた」


「え、ログラール君。もしかして今日はレイナと帰る約束を?」


「お、おう。そうだけど。レイナと元々友達だったりする?」


 ネヴィルは視線をレイナのいない方に逸らし、力無い体勢へと崩れた。


「…彼女はきっと僕の事を友達とは思えないかもね」


 2人はただならぬ関係だったりするのか。だったら俺お邪魔じゃないか。しかし約束は守らないといけないしもう目の前で待ってくれてるからなあ。


 仕方ない。連れていこう。


 俺はネヴィルの左手を掴んで無理矢理引っ張った。


「ま、安心しろよ!気まずい雰囲気になったら俺がなんとかすっからさ!」


「ログラール君?何かひどい誤解をしていないかな!」


「俺も野暮なことは言わねえよ。ささ、行こうぜ」


 俺たちの話し声が聞こえたのか、レイナがこちらに振り返った。ネヴィルは掴まれながら心配そうな表情でレイナを見つめている。


「よっすー!」


 無邪気に近寄ってくるレイナは特に気にしている様子もなく手を振った。ネヴィルは少々安心したのか口角を痙攣させながら笑っていた。


 しかし…レイナよ。胸元を広げすぎではなかろうか。


 彼女の様子を見るに何時間も運動をしてきたような姿だった。俺が目をつけた首から滴る汗は次々と風船の間を通り抜けていく。ハズレ穴…否アタリ穴目掛けて落ちてゆく雫はいつか聖域サンクチュアリにたどり着くのだろう…。


「ログっちてば結構ムッツリなとこあんだね」


「…んああ、えと、なんか運動したのか?」


 バレていた事に気付かずおかしな返事をしてしまった。焦りを隠すために校門へと歩き出し、2人は俺の後を追う。


「ん、授業サボって体育館であの技の練習してたんだ!」


「何!そこまでアクロバティックダイナミック入室エントリーを会得したいのか。その意気やヨシ!」


「初日からサボってしまって平気なのかい?」


 ネヴィルが頬をかきながら口籠る。


「なんとかなるって!廊下ですれ違ったセンセにも相談したけど許してくれたよ!」


「許してくれたんだね…」


 何とも生徒思いの先生なのだろう。生徒のサボりたいという気持ちをよく理解している良い先生だ。おそらく。


 校門までの道のりを歩いていると目の前は騒がしい人だかりができていた。ミアムが通る道を避けて整列するようなものでは無い。雑然とした人々の集団が円を囲っていた。


 何事かと俺たちは歩み寄るが、円の中心にいた人物が俺に視線を向けて寄ってくる。


「ログラール様。今日は私とお帰りください」


 朝から眠気が止まらなかったはずのティエラが鋭い眼で俺を見ていた。


「お、ティエラも一緒に帰りたいのか?」


「そうではございません。ログラール様の御命にかかわる大事なことで」


 もう1人、円の中心にいた人物がティエラの言葉を遮る。


「ティエラ…見た目に相応しい、美しいお名前だ」


 あの無気力で無表情なことが多いティエラが明らかに口を歪めながら舌打ちをした。

 全身が銀色の鎧に包まれた金髪の男がティエラの背後をとる。

 俺は彼女に対して耳打ちをする。


「この人は?」


「…聖殿会直属の騎士団で団長を務めておられる、スコル・ローガニスです」


 スコルという男はティエラの言葉に嬉々として舞い上がった。


「なんと、ティエラはワタクシの名前を知っていたのか。これは運命に違いない!」


 後ろからレイナとネヴィルの囁きが聞こえる。


「馴れ馴れしいなこの人」


「……ああ。そうだね」


 ティエラは嫌悪感を目一杯滲み出しているが、スコルは全く気にする様子がない。それどころか肩や手を触り始めている。流石に初対面の男に触られるのは嫌だろうとティエラを手前に引っ張る。


「悪いっすけど、俺んちの使用人に手を出すなよな。こういうのはちゃんと段階を踏んでから…」


「段階を踏めば婚約を認めてくれるのだな!」


「んーそういうわけじゃなくてだな」


「まさか…キサマはティエラを婚約者として迎えるつもりなのだな!ワタクシを差し置いてそんな蛮行許さぬぞ!」


「ん??」


 彼はどこまでお花畑な頭をしているのだ。理解の仕方が飛躍し過ぎている。明らかに彼とは会話にならない。


 ため息をついて半ば諦めていた時、ティエラがスコルの方へ振り返る。彼女は俺が掴んでいた手を離して腹部に両手を重ねる。


「ログラール様は私が仕えるべき主人のひとりであり、そのような関係になる事などあり得ません。私のような者より相応しい相手がいらっしゃいますので」


「ではティエラはワタクシと…」


「私はシエント家の使用人という大切な役目がございますので」


 ティエラは再び俺の手を掴み早々と歩き出す。レイナとネヴィルも足並みを揃える。


 そして全員がスコルの身体を過ぎたあたりで金属の擦れる音が響いた。


 スコルは身体を捻って剣を俺に向かって突き立てる。


「ログラールよ。決闘だ」


 周囲の生徒たちは一斉にざわめき出す。レイナは口に手を当ててネヴィルはただスコルを睨みつけていた。


「ワタクシが勝てば、キサマがティエラを解雇する。そしてローガニス家にティエラを迎え入れてティエラはワタクシの伴侶として生涯を過ごすのだ。無論、どちらかが死ぬ事になっても一切関知しない!ま、ワタクシが負けるなんて事あるわけないケド!」


 もうワケが分からん。むしろ笑えてきた。


 怒りをあらわにして歯を食いしばるティエラが拳を強く握りしめて歩き出した。


「決闘の場所は憩いの日和亭の裏庭だ。日時は今夜とする!約束を破れば、キサマは必ず後悔することになるぞ」


 段々と小さくなっていく声とは対照に、表情を見せないティエラは身体から溢れる怒りを募らせるばかりだった。歩みを止めぬ足は力がこもっており足音が普段よりも大きい。


「お、おいティエラ。憩いの日和亭っつーとこに行けばいいんだよな」


「あんなのただの一方的な押し付けです。あんな輩に構う必要などありません」


「でもさ、彼に勘違いさせちゃったのは俺のせいでもあるんだし、その責任くらいは取りに行こうかなーと」


 その時、学園から今まで顔を一切見せなかったティエラが俺を凝視した。


 ティエラの目は彼岸花のように充血していた。今朝は眠そうだったとは言え充血していたほどではない。この充血は、就寝時間の不足が原因なのではない。


 ティエラは息を荒げて首筋の脈を浮かせながら嘔吐するように話した。


「今は、全て、お任せください」


 これは本当に彼女の怒りなのか。

 それとも屈辱感か嫌悪感なのか。

 違う。どれにも当てはまらない。

 ティエラの感情が分からない。


 俺は今まで感情を揺さぶるような、感情を掌握するような登場シーンを演出してきた。

 しかし、たった一人の女性の感情すら読み取れない。そんな俺に嫌気が差し始めていた。自分としての結論が出ず、彼女に気圧されてしまう。


「…わかっ、た」


 俺は、ティエラという女性を知らない。ログラールではない俺が彼女の事を認知できない。共に長く暮らしてきた記憶すら残っていない。


 ティエラは俺の力のない手を離して前を向く。


「…では、急ぎ帰宅致しましょう」


 いつも通りの歩幅と足音に戻っており、肩の力も抜けているように見えた。俺はただ呆然と立ち尽くしていた。


 彼女の真意を覗き見てしまったからではない。むしろあの表情を見て尚、真意を感じ取れなかったからだ。


 無力感に襲われた俺の肩にレイナの手が置かれる。


「いこ」


 完全に萎縮していた俺の歩幅はかなり狭い。後ろを見る事なくティエラは俺の歩調に合わせてくれていた。

 今朝の彼女と同じだ。

 それでも今の彼女から優しさを感じることはできなかった。


 俺は彼女の足元から目を逸らすように空を見上げる。

 雲ひとつない快晴だった。

 今夜はきっと、星がよく見えるのだろう。

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