第3話 ミアムと呼びなさい
自室に戻ると窓の奥から陽が覗いているため部屋がより鮮明になっていた。雲ひとつ無い晴天が逆に俺の気持ちを削いでいる。
俺はとかく仮病やらで学校をサボりがちだが、それは連絡手段あってのことだ。この世界における通信がどんなものか検討もつかない。
そもそも連絡するための魔法やアイテムが存在するかも不明なもので、これはひとまず学校で色々聞いてみるしかあるまい。
まずは学校というからには制服に着替えなくてはならない。部屋の隅っこに置かれていた大きなチェストまで歩を進める。
自分の背丈ほどあるチェストを開けると、ご丁寧にも制服と思しき物が乗せてあった。
ありがたく使わせてもらい…俺自身のだからいいのか。制服をベッドの上に移動させて貫頭衣を脱いでいると、扉の開く音が耳に入った。
「ログラール様ぁ。元気えすかぁ、お食事ができますよぉ」
「あっちょノックくらいしてよ」
エプロンドレス姿の彼女は5秒間のあくびをしながら、言語とも言えるか不明の言葉を吐いていた。
おそらくこの子がティエラだろう。特に恥ずかしがる様子もなく、制服をベッドに置いていたところを見て何か納得したようだ。
「着るのお手伝いしますよぉ」
「え、いやそれはちょっと」
「初めて私服を着る時いつもやってるじゃないですかぁ」
転生前の俺、常識ないのか。それともこの世界における常識がこうなのか。
とはいえ俺は一応男爵家の息子らしく身だしなみくらいは整えておきたいし、登校初日に生徒や教師の心証を悪くするのはいただけない。
姿見も自室には無いので人の手を借りるしかない。今日だけはティエラに甘えておこう。
ティエラは気の抜けるような語尾で話すが、手先は器用なもので段々と形になっていく。前世の制服はカーディガンにワイシャツ、チェックのスラックスと簡素な物だったがこちらの世界では少し一手間かかる。
前世の思い出に浸っていると、ティエラが動きを止めずに話しかけてきた。
「ログラール様ぁ。詳しくは言えないんですけど私任務を失敗してしまいましてぇ、ちょっと落ち込み気味なんですぅ。慰めてくださいぃ」
「任務ねぇ。あんま気の利いた事は言えないけど…」
俺は失敗を恐れない。それは観客に依存しているからだ。観客に感動が届いたなら成功で、届かなかったなら失敗だ。
それはつまり観客のせいにしているということだ。綺麗事とは言えないが誰かのせいにすれば負荷は軽くなるものだ。
「うん、俺のせいにしていいぞ」
「え?」
前世では他人の指摘や心配を他所に無我夢中で走り続けた。だから迷惑をかけ続けたはずだ。無論、あの国語教師にだって迷惑はかかっている。
好き勝手生きた結果、前世で銃殺されることになった。だから俺が他人の失敗に対して喝を入れることなんてできない。
たとえ説得力があったとしても、資格はないのだ。
「掃除でホコリをのがしたのも、皿を割っちまったのも、料理を焦がしちまったのも、全部俺のせいでいい。俺が受け止めるから失敗してもいいんだぞ」
「……えへへ、受け止めきれますかねぇ」
「ま、その任務次第だな」
ティエラの笑顔は見えずとも、肩の力が抜けたような感じはあった。これ以上抜けてしまったら彼女は寝てしまいそうだが。
「はい。しゅーりょーです。似合ってますよログラール様!」
プラチナブロンドの髪が揺れる。口元の緩さを思わせる笑顔は彼女らしくて癒される。
「じゃ、いこっか」
「かしこまりました!」
ティエラの背後に置いてあった手提げ型の鞄を手渡される。これが現世の学生鞄か。前世はいつも下駄箱やタンクバッグに資料を入れていたからこの手の鞄には憧れていた。
アイツみたいにヤンキーっぽく登校してみようか。
ふと思い出す。アイツ、あの後大丈夫だったろうか。銃で撃たれてからの記憶が全く無いのだが上手く収まってくれたのだろうか。
もしバスジャックを止められていなかったらと思うと…考えたくない。
ああ見えて義理人情や仇打ちに切り出すタイプだから、犯人に向かって殴りかかったりしてるかもしれない。結局今となっては知る由もないが。
「…ログラール様。私のせいですっ」
「…!」
顔が近い顔が近い。
俺らしさを失い、羞恥心が顔に出てしまっていた。
登場シーンを盛り上げる上で一番の敵は恥ずかしいと思う気持ちだ。でも、この羞恥心が今は愛おしかった。
――――――――――――――
ペルラもいなければ家族の会話もない食堂を後にする。朝食は肉料理が中心で正直重かった。
広い階段を降り切ると目の前には、俺の背丈をゆうに超える立派な扉が屹立していた。
屋敷に扉の開く音がこだまして朝の日差しが流れ込む。
「お待ちしておりました、シエント殿」
俺を待っていたのは見上げることしかできないほどの長身にして立派な体格の執事だった。
「あらぁ今日は私の出番無さそうですねぇ」
「はい。こちらは私達にお任せください。その間にティエラ殿はご休息を」
ここで有名な退場シーンのセリフを使うな。
「あの〜どういうことですか?」
「王女様のわがままにもほとほと困り果てたものです」
執事が呆れると彼の背後からローファーが地面を叩く音がする。その小さな足音を聞くとデジャヴを感じた。
執事がその場を避けると、同じタイプの制服にも関わらず高貴な雰囲気を放つ女の子が歩んできていた。
「元気そうね。ログラール」
「え、ええ…」
ティエラよりも少しくすんだ様な色の長い髪。一国の王女様らしく耳元から垂れた髪の毛はロールが施されている。
王女と呼ばれた彼女は背後の門を指差した。
「今日は一緒に学校へ行くわよ!」
そこには数人の護衛と金ピカな装飾を纏った赤い馬車があった。一般人なら目立ちすぎて恥ずかしがったり、丁重にお断りする場面かもしれない。
しかし俺だ。こと登場シーンにおいてはプロ級な俺が言う。馬車から飛び降りて全生徒の注目を浴びるには、これほど最適な馬車は無い。
「もちろん行かせていただきます!」
「ホントに元気そうね…」
王女様は俺の返答を確認するや否や振り返る。本能的に一歩ずつ踏み出して、転生後初めての外に出る。
本当にただの男爵家なのかと目を疑うほどの広くて綺麗な庭の中心を闊歩した。背後からティエラのあくびが耳に入る。王族の前だぞ。
馬車の前に着くと王女は開かれていた扉を超えて入っていく。俺は周囲を見渡すがほかに馬車は無いようだ。
「あれ?他の馬車は?」
「何言ってるのよ。一緒に登校するって言ったじゃない」
座っていた王女様は片手で椅子を2回軽く叩いた。
これでようやく晴れて女の子と2ケツできるわけだ。まさかこんな形で叶うとは思わなかった。
馬車の昇降口に片足を乗せ、もう一方の足で中へと入る。王女様は長椅子の端っこに座っている。しかし流石に王女の隣に座るのは気が引けるので対面に座ることにした。
馬車の扉が閉められた直後、王女様がしかめっ面で話しかける。
「いつもは隣に座ってくれるじゃない」
「あー、今日は向かい合いたい気分だなーと」
嘘が下手な俺が即興についた嘘にしては上等だ。馬車の揺れはそこまで激しいわけでもなく、快適に乗れている。流石王族お抱えの御者だ。
人気のない舗装路だが、何もかも新鮮な景色を眺めてしまう。この辺りは自然が多くて地元に似ているな。
ふと王女様を見ると俺と同じ方角を見ているが退屈そうだった。気を利かせて何か話題を作ろう。
「王女様。学校は楽しみですか?」
王女様はいまだに外の景色を眺めている。俺は視線を一瞬外に向けるも特筆すべき物はない。話題が単純すぎたか。少しばかり気をてらった事を話そう。
「先程ウチの従者があくびをされましたが、王女様のご機嫌に障ったようでしたら」
「ミアムと呼びなさい」
ミアムの視線は変わらない。
「えーと、ミアム様…」
俺の呼びかけのすぐ後に、ゆるりと流れる景色を指差した。
「あちらが市場に通じる裏道」
指差した路地は大人がギリギリ入れるかどうかほどの狭さだった。ミアムは別の方向を指差した。
「この前私が怪我した時に連れてきてくれた病院」
病院と呼ぶにはかなり小さくて古びた建物だ。郊外ということもあって利用者や利益が少ないのだろう。
悲しげな表情のミアムを見て気がついた。俺は紹介されていることに何の疑問も無かった。それがそもそもおかしかったのだ。
母が執事に言いつけた命令を思い出す。執事はミアムに俺の容体を報告しに行ったはずだ。また、ミアムは転生前の俺と関わりがあったかの様な振る舞いだ。ならば俺が記憶喪失だと言うことが伝わっているはずだ。
俺は別に記憶喪失ってわけじゃない。脳に流れる情景を思い出しても身に覚えが無いというだけだ。それでも、必死に俺の記憶を取り戻させようとしている健気な彼女が眩しく見えた。
「ミアム」
彼女はロールを揺らせて視線を俺に向けた。
「正直思い出したわけじゃないけど…懐かしい気分だよ」
嘘は話していない。嘘なんて話せない。確かにミアムと共に馬車で揺られることは脳に刻まれていたのだ。一緒に護衛の目を盗んで市場に向かったのも、庭で転んだ彼女を病院まで運んだのも、身に覚えがなくても確かにあった出来事なのだ。
「記憶、戻るといいわね」
ミアムは困り眉のまま笑ってくれた。ミアムとの思い出を二の次にして、ただ記憶が戻ればそれでいいと。そんな風に聞こえた。彼女の優しさが直に伝わってくる。
しかし、伝わったのは優しさだけじゃない。
『敵意』だ。それもミアムの敵意ではない。
俺は立ち上がり周囲を見渡す。
どこだ。どこから敵意を放っている。
既に通り過ぎた裏道か。前方に見える大きな通りからか。それとも扉側の…。
俺の左手が暖かさに包まれる。
しかし、その暖かさとは裏腹なミアムの表情が目に焼き付いた。
「もういかないで」
ミアムは凍えるような光沢のない目を見開いて涙を流していた。身を乗り出すほどの感情の昂りが手から流れ込んでくる。この特異な体質とは関係なく、彼女の意思が手に込めらているのがわかる。
馬車は既に大きな通りに出ており、朝にもかかわらず人の賑わいで溢れかえっていた。照りつける太陽も周囲の景色を眺めること無く、二人は立ったまま見つめ合う他なかった。
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