第5話 推し声優だなんて聞いてないっ!

 その日の夜中……。

 夕方に寝てしまったせいか、目が覚めてしまった。

 隣では、ファルシアがスヤスヤと寝息をたてている。

 すっかりと頭が冴えてしまったので、ファルシアを起こさないように、そっと部屋を出た。


 城内はしんと静まり返り、窓から月明かりが差し込んでいる。

 なんとなく廊下を進んでいくと、回廊に出た。そこは吹き抜けになっていて、上を見れば星空が、階下を覗くと小さな中庭になっており、噴水がある。


「本当に……。サイノスの世界に来ちゃったんだ……」


 ぽつり、と本音が漏れた。

 ヴァサリアに来て、ようやく緊張は解けたけど、ずっとヒイロの振りをしていて精神的にも疲れている。こうして一人の時間が持てて助かった。


「……ヒイロ?」


 ふぅ、と気を抜いたところで、後ろから声をかけられびっくりした。この推し声優の声に似た低音ボイスは、きっとコハクだ。慌ててヒイロの表情をつくり振り返ると、案の定だった。


「眠れないのか? まあ、無理もないか。命からがら逃げてきたんだもんな」


 コハクは言いながら、回廊の手すりを取って私の隣に立つ。

 どっ、どうしよう……。これ、小説の展開にないやつだ……。

 でも、シーライザと違って命を取られる心配もない。ここは、推し声優の声を堪能できるシーンだと思って、会話を楽しもう……!


「コ、コハクも眠れない、の?」

「ああ……。実際、シーライザに会ってしまったからかな……。興奮して寝つけねぇ」

「ゴフッ……!」


 耳福すぎて、吹きそうになるのを堪えた。


「ど、どうした!?」

「ううん……なんでも、ない……」

「やっぱり疲れてるんだろ? 寝た方がいいんじゃないか?」


 コハクがASMRで囁いてくれたら眠れそうです!!

 うわぁ〜ん、私のバカバカ!

 シーライザ一筋って言ってたくせに、コハクの声が推し声優だって気づくなんて!!


「あの、コハク」

「うん?」

「眠れるように、何か言ってくれませんか。明日からが不安で」


 実際、この世界に来てからまだ24時間も経っていない。

 明日からを乗り切るために、推し声優の励ましが欲しい。


「子守唄みたいな?」

「ううん、言葉がほしい」


 目を閉じて、うつむき加減でコハクの言葉を待っていると、バタバタと忙しない足音が近づいてきた。


「ヒイロさんっ!」


 顔を上げると、寝間着姿のシオンだった。やけに慌てた様子だ、一体どうしたんだろう?

 推しの声がおあずけになってしまった。


 シオンに連れて来られたのは、国王陛下と王妃の寝室だった。

 部屋に入るや否や、咳き込んでいる音が耳に入ってきた。部屋は暗いが、サイドテーブルの上の洋燈ランプで様子はわかる。天蓋付きのベッドの上で王妃が咳き込んでいて、その背中を陛下がさすっている。

 そばにいる女性は侍女だろうか。王妃が心配なのかオロオロしているけど、シオンの回復魔法でなんとかならないかと、呼びにきたらしい。しかし、回復魔法は病には効かない。

 シオンが、状況を説明してくれた。


「母上が、急に咳き込み出したらしく……。タイミング悪く、今日は宮廷医師が不在なんです。ヒイロさん、医師免許を持っているんですよね? 診ていただけませんか?」


 咳となれば、胸の音を聞きたいところだけど、聴診器がない。


「何か、筒状のものを貸してください」


 そばにいた侍女らしき人に頼むと、「これでいいですか?」と巻物を持ってきた。

 これを王妃の胸に当てることで、聴診器の代わりになる。

 男性陣に離れてもらい、胸の音を聞く。呼吸に合わせて、少々雑音が混じっている。

 王妃の寝間着を元に戻し、陛下に訊ねる。


「咳込みだしたのは、いつからですか?」

「寝る前から、少し咳があると思っていたが、先ほど急に咳き込み出したのだ」

「王妃に風邪の症状は?」

「ここ最近は、風邪もひいておらん」


 風邪がぶり返して肺炎になるケースもあるけど、そうでないなら原因としては弱い。

 さっき聞いた音からすると、気管支炎だろうか。


「アレルギーはどうですか?」

「アレルギーも、とくには……」


 原因がわからない。現代なら血液検査もできるけど、ここでは無理そうだ。酸素吸入の医療器具があるわけでもない。となると、薬に頼るしかない。でも、私はこの世界の薬の事情がわからない……。

 とにかく、宮廷医師が戻る明朝まで、咳だけでもなんとかできれば。

 

「そうだ、ハーブはありますか!? ユーカリとか、ミント系の……」


 言ってから、ハタと気づいた。

 この世界で、植物の名前が現代と同じとは限らない。


「おお、ハーブなら、王妃の趣味で育てておる」


 特につっこまれることもなく、陛下が答えてくれた。


「その中で、清涼系の爽やかな香りのものをください。根本的な解決にはなりませんが、咳を和らげる効果の薬をつくります」


 そう言うと、侍女とコハクが駆け足でハーブ園へ向かってくれた。

 私もヒイロも、調剤の知識はないけれど、簡単なものならつくれる。宮廷医師が不在の今、医務室の薬や器具は勝手に使えないので、厨房を借りて湯を沸かし、布を温める。

 コハクたちが持ってきてくれたミントの葉を包丁で刻み、温めた布に挟むと、簡易メンソール湿布の出来上がり。

 それを侍女に渡すと、感激する様子で驚いた。


「まあっ、すごくスーッとする香りがしますわ!」


「温かい蒸気によって香りが強くなるんです。効果が薄くなったら、もう一度布を温めるといいですよ」


「でも、厨房から王妃様のお部屋へ持っていく間に、冷めてしまいますわ」


「それもそうですね。では、ポットにお湯を入れていきましょうか。数時間なら温かいと思います」


 王妃の部屋に戻ると、さっそく簡易メンソール湿布を王妃の胸に当てて、ベッドに横にさせる。しばらくは咳き込んでいたが、少しずつおさまっていったようだ。

 でも、これは根本的な解決になっていない。

 咳の原因を突き止めようと、侍女に訊ねる。


「昨日一日、王妃様はどのような生活を?」

「特に変わったことはありません。いつものように公務をされて、食事も普段通りに……」

「いつもと違うことをされた様子はありませんか? どんな些細なことでもいいです」


 そう訊ねると、侍女は「うーん……」と首を傾げて考える。


「あ、そういえば……外回廊を歩きましたわ」

「外回廊?」


 ヴァサリア城の構造は把握できていないけど、ファンタジー世界のお城のマップを想像する。


「はい。今、城壁工事をしていて、その視察を。いつもは、そこから景色を眺めたりするのですが、昨日は風も強かったので、少し様子を見てすぐに城内に戻りました」

「城壁工事……」


 顎に手を当てて考え込み、一つ心当たりが浮かんだ。


「もしかして、強風で埃っぽかったりしましたか?」

「そういえば……。目の痒みを訴えている者もいました」


 侍女の言葉を聞いて、確信する。


「そうですか、ありがとうございます」


 その後、侍女には王妃は大丈夫だということを伝えて休んでもらった。

 陛下と王妃の様子をそっと覗くと、咳もマシになったようで、すでに眠っていた。

 私も、そろそろ眠気が襲ってきたが、その前にシオンに事情を説明しなければ。

 先ほどの回廊まで戻ってきて、シオンとコハクに向き合う。


「ヒイロさん、何かわかりましたか?」

「うん……。多分、粉塵による急性アレルギーだと思う。王妃様は、喉が弱かったことはない?」

「そういえば、風邪をひいた時は、だいたい喉の痛みからですね」

「急性アレルギーは、普段から弱い部分に出やすいからね。命に別状はないから、明日宮廷医師から王妃様に説明してもらって」

「え? ヒイロさんが今から説明してくれるのでは?」

「もう夜も遅いし、王妃様も眠っているようだから。それに、宮廷医師のメンツ潰しちゃ悪いでしょ」


 現実でもあるんだよねー、先輩医師を立てたりとか。

 病院勤めだった頃を思い出して、肩を落とす。


「あと、城壁工事は粉塵が飛ばないように、工夫した方がいいと思う」

「それなら、俺が明日石工に言っておくよ」


 ずっと付き合ってくれていたコハクが、小さく手をあげた。


「ヒイロさん、ありがとうございました。では、俺も戻ります。おやすみなさい」

「おやすみ〜……」


 シオンが立ち去ると、再びコハクと二人きりになってしまった。

 そういえば、さっき私、めちゃくちゃ恥ずかしいことを頼んでいた気がする……。

 まあ、いいか。さすがに眠くなってきたし。コハクも忘れてるでしょ。

 と思っていたら、コハクがぽんと手を叩いて、


「そういえば、さっきおまえ、眠れるように言葉が欲しいって」


 覚えてたーーーー!!

 

「も、もう、大丈夫……。眠れそうだし……」


「そうか? でも、ありがとな、ヒイロ。ゆっくり休めよ」


 そう言って、私の頭をぽんと軽く撫でる。


 ああああああああああああああああっ!!!!

 思わず両手で顔を覆って、その場にしゃがみ込んだ。

 頭から湯気が出そうだ。

 

「ヒイロ、どうした!?」


 頭上から、慌てるようなコハクの声がする。

 ここからシーライザに会えるまで、どのくらいかかるんだっけ?

 シーライザの声も、もちろん好きだけど、コハクのこの声は反則です!!

 浮気性な私を許して、シーライザ!

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