第1幕
ロギヌス帝国は、強大な海軍戦力によって大陸列強に並んだ軍事国家だ。島国の特性上、資源に乏しい一方で魔道具の生産技術は、抜群に優れ列強をも凌ぎ、開戦から半年も経たないうちに海域の底には連邦軍の艦隊が残骸となって沈んでいた。戦線拡大によりついに制海権を手にした帝国軍は、大陸へと上陸を果たし、戦場が陸へと移る。ロギヌス帝国にとって陸は、経験に乏しい戦場だった。そうした緊張を孕み第一部隊として送り込まれた一万八千人の帝国陸軍、士官学校を卒業して数年のグレットもそのうちの一人であった。
帝国陸軍は、占領した港町に総本部を置き、参謀達は寝る間も削り僅か一週間で作戦を立てる。そうして打ち出された作戦は、敵の補給拠点である港町近郊の砦を制圧することだった。陸軍は、守備兵力の三倍の兵士を用意し、重火器砲や実戦経験のない航空機等、試せる最新魔道兵器を続々と配備することで経験豊富な連邦軍との差を埋めようと試みる。
そうして迎えた帝国陸軍の初陣は、大陸の花々が桃色の蕾を膨らませる春先に、史上一度も陥落されたことがないというマヌエル砦にて行われた。砦攻略に際して編成された一個大隊の第八中隊隊長こそが、エミル・ハーフストン少佐だ。当時中尉だったグレットは、彼の補佐官として初めて戦場へ配備される。陸軍内においてエミルの評判は、あまり良いものではなかったがそのような偏見を信じていては上官への服従が果たせないとグレットは、耳を塞いだ。
彼は元々、模範的な軍国少年だった。前日の夜に戦場で華々しい戦果を上げるのだと大層興奮したことを今も記憶している。それから翌日になって自身の英雄願望を上官エミルによって打ち砕かれたことも、鮮明に憶えていた。
作戦行動が始まると他の中隊は、砦からの反撃に備えて日夜数百メートルの塹壕を掘り進める。それも連邦軍からの航空爆撃や機関銃掃射を受けながらだ。その間、第八中隊がしていたことと言えば安全地帯で仮設指揮所と総本部の通信線を繋げるという、前線部隊としては、ありえない行動だった。しかも繋ぎ終えれば戦場へ出るのかと思っていたがそれに続くエミルの命令は、航空基地の建設である。一週間でそれを完成させると次は、三週間もの時間をかけて聞いたことも見たこともない訓練をさせられる。さすがのグレットもこれには、意見具申せざるを得なかった。しかしエミルは、決まってこう答えるのだ。「総本部からの許可は、出ている」と。
濡れ鴉色の短髪、見上げるほどに高い背と逞しい体格、エメラルド色の鋭い目、いつしかグレットは、その姿を見るだけで苛立つようになってしまった。
やはり彼は、評判通りの臆病者だ。エミルのやり方に納得がいかず陰口を叩いたが意外なことに戦場で最も活躍したのは、第八中隊であり、激戦が予想されたマヌエル砦の戦いを僅か七日で終わらせられたのも、その戦果によるものが大きい。
一日目は、塹壕を掘り進めていた他中隊が砦を包囲し、敵陣へ向けて三日に渡り重火器砲の砲撃を続ける。四日目は、砦の外に展開していた連邦軍を撤退させ籠城に追い込んだ。五日目は、白兵戦を仕掛けるも砦側の猛反撃と航空爆撃に苦しめられる。六日目、雨天のため戦況好転せず。
そうして迎えた七日目、エミル率いる第八中隊の攻撃により一時間足らずで砦は、陥落。グレットは、当時の光景を捕虜となった連邦軍の兵士から聞いたことがある。
昨日の大雨が嘘のように晴れた朝、大地を揺らすほどの破裂音で目が覚めた。爆撃かと思い外に出てみるとそれは、空を覆い尽くすほどの航空機が鳴らすエンジン音だったのだ。だが帝国軍の航空機が行える爆撃などたかが知れており、攻撃に備えるまでもないと砦の中へと戻ろうとしたとき、仲間の誰かが「空から白椿が降ってくる!」と叫んだ。それにつられて見上げた景色は、戦場とは思えないほどに美しく鮮やかだった。
大きな白椿を思わせる無数の何かが点々と青空に咲き、ゆっくりとこちらへ舞い降りてくる。その何かの正体を知ったとき、彼らは慌てて武器を手に取ったが既に遅かった。
「敵は地下からでも地上でもなく、空から降って来たのだ」
気が付いたときには、銃声が鳴り響き砦内を魔道小銃の青い閃光が漂っていた。混乱と悲鳴と鮮血が視界の中で休む間もなく飛び交い、そして指揮官は、一時間足らずで降伏することを決意したのだ。
グレットは、自分達がそのように映っていたことを知り、その鮮やかな勝利に酔った。航空機からひたすら降下する訓練が、あの奇抜な戦術への伏線だったとは思いもしなかったのだ。その酔いがエミルへの不信を水に流したことは言うまでもなく、その晩に意気揚々と彼のテントを訪れる。「エミル少佐、この度の指揮には感服致しました」
「グレット中尉か、無事だったのだな」
作戦の成功に酔っているのかと思いきや彼は、酒の一滴すら口にしようとせず、酷く落ち込んでいた。交戦後に一度会っているはずだが、彼の疲弊した様子を見るにグレットにまで意識が向かなかったのかもしれない。「いかがなされました、浮かない表情をなされて」彼の心情を慮ることも、補佐官の務めだと思い尋ねる。
「落下傘作戦では、百四十八人も死んだ」
「そうだったのですね。ですが少佐、ここは百四十八人しか死ななかったと考えるべきではないでしょうか」
励ましのつもりでそう言ったが、エミルは口を開きかけて何かを言おうとしたものの、結局溜息をついて黙り込んだ。その重い息の中にグレットは、彼の思いを感じ取る。
「戦争で人がなくなることは、仕方のないことです。死者を哀れむのではなく、英雄として讃える。それが帝国陸軍の教えであります。今夜は、酒でも飲んで夜を明かそうではありませんか」
グレットは、つらつらと士官学校での教えを話し、職務を全うできているような気になって気分が良かった。だがそんな上機嫌もエミルの次の言葉が打ち壊す。
「死ねば骨になる。英雄にはなれない」
予想外の言葉に何を返すべきか分からなかった。もごもごと口を動かすのが、精一杯で言葉が出てくる前にエミルが続ける。「それから私は、酒を飲まないんだ。独りにしてもらえるか」彼は、厄介払いをするように言った。グレットは、相手にさえされなかったのだ。
これはエミルと最初に経験した戦場であり、グレットが彼を臆病者だと見下すきっかけとなったのだが、今となってはこういった自分の思いがなければ、彼を死なせずに済んだのではないかと深く後悔している。自分という人間の何と小さいことか、この頃のグレットには、気付きようがないことだった。
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