日誌004

私が見ていたのは確かに走馬灯だった。

今、私はミナミの細く綺麗な十指で首を絞められている。憎悪と憤怒が出力の枷を外し、頸椎が折れひしげて仕舞いそうな程の腕力。


「あなたが!お前が!ミナヨを殺したんだ!ミナヨは最期、傷だらけで、絶望した顔で……

信じてたのに……許さない許さない許さない許さない許さないっ!」


絶叫、静かな図書室に残響。

呼吸は出来ないが不思議と苦しくはなかった。

否、何も不思議はない。

私にとっての生は初めから全て苦界くがいだった。

由来のない塗炭に責め苛まれ続けていた。

せつの報、せつの縁。車輪は廻り、罪人にはその罪に相応しい死に様が巡り来る。


天には雨を、地には土を、罪には罰を。

私はここで終わるがいい。


「許せない、よね……」


あとは目を閉じて祈りに身を任せた。意識は薄れて最期には甘やかに失われるだろう。せいぜい21gばかりの重荷デッドウェイト如き、何の未練があるものか。


暗霧と泥沼の意識の中、語り掛ける者が一人。

優しく微笑んで、光の方へと追い立てる。


「姉さま……まだ、こちらに来てはダメですよ……」

「ミナヨっ!?」


突如、雷撃じみた白光が瞼を煌々と貫いて灯る。虹彩をジリジリと灼く無影灯。視界が白飛びして何も見えない。


どうやら私は、死に損なったらしい。


「漸くお目覚めかな、眠り姫」

「あなた、は……」

「我まで忘れて仕舞うとは寂しいな。まあ良いだろう」


明かりを落とし、大仰な灯火装置を支持する長いアームを手で追い遣ると彼女は私の顔を覗き込んだ。漸く焦点の合った眼には、とびきりの別嬪べっぴんが映る。鈴を張ったような眸に浮かぶ喜色。


「我は0478号、人呼んでヨナハだ。思い出したか?」

「……あぁ、医務室の……ぐぅっ!」


ひどい頭痛。脳の処理が追い付いていない。ヨナハは確か医者だ、私と同じ、囚人から転職したクチの。


「そう、虐使の師にして撫恤ぶじゅつの徒。矯正医官のヨナハ大先生様だ。存分に敬うといい!」


長い黒髪を揺らして大見得を切った。

この高飛車ヅカ系美女は何を言っているの?


「さて、君はどこまでを覚えている?」

「どこまで……?」

「我との約束は?君の過去は?君の現在は?君の未来は!?」

「な、何をいきなり」

「あらあら?」


過剰に婀娜あだめいた声が会話に割って入る。


「目を醒ましたのね!」


嬉しそうに駆け寄ってくる何者かに抱き留められる。柔らかな感触、安心感、そしてこの甘い香りは……


「偽物の0087号?」

「二度目まして、さん」


さらさらと優しく頭を撫でられた。手首にかつてつがられていた仰々しい鉄鎖はない。


「ふふっ、覚えていてくれて嬉しい」

「忘れるわけない、まさか貴女が看守だなんて。あの後、ハナから聞いたよ」

「改めて、わたしは元0187号。看守に名前は無いけれど、それでは不便だからヒバナと呼んでね」

「よろしくね、ヒバナ」

「ふふっ」

「さて、それでだ。君は我との約束を覚えているか?」

「約束……あぁ、思い出してきた。うすぼんやりとね」

「それは僥倖。であれば早速」

「けれど、その前に」


強く、ヨナハの言葉を遮断した。


「どうして私は今生きているのか。それについて説明が欲しい」


あの時、私は確かに死に瀕していたはずだ。

正しい罰と心の底から向き合えたはずだ。

しかし私は未だに息をしている。

決定的な妨害、介入があったことは明白。


「疑問点の洗い出しは行動のモチベーションに関わる大切な工程プロセスだ。幾ら時を費やしてもやぶさかではない……我との約束を、君は果たしていない。だから我がミナミを止めた。それだけの話よ」

「安心して、ミナミちゃんは生きてるから。少し眠ってるだけ」


大時代な身熟みごなし、芝居掛かった節回しのヨナハ。医者と言うより役者だ。


「君からミナヨとの記憶を消す代わりに帯びた使命は唯一つ」

「イルミナの……抹殺」


思い出したことをその侭、口に出していた。この刑務所で最も危険であるが故に一般の看守では知らされることすらない囚人、1637号。何故私は、この事実を知っているのだろう。


「もう一つ、訊いていい?」

「何故彼女をしいするのか、だろう?」

「話が早いね」

「復讐……今はそれだけしか言えない」


堂に入った、真に迫った、ヨナハの心からの言葉を初めて聴いた。とても切ない、今にも泣きそうな声だった。

役者ウソツキ演技ウソに本当を混ぜる。


一方その頃、刑務所最深部にて。

暗闇に身をくるまれた。真赤な血肉にかつえ切って、真黒な四囲に飽き果てている。


ものういなぁ〜、無聊だなぁ〜、まったくもう」


壊れた餓狼の眼が妖しい視線を闇に放つ。から嗤笑ししょうを無人の壁に向ける最終最悪の虜囚、イルミナ。


「人はパンのみに生きるに非ず。退屈は人を殺す劇毒なんだよ?」


黄金の環は、彼女の首を

白銀の鎖は、彼女の両足首を

黒鉄の枷は、彼女の両手首を

それぞれ戒めていた。


「ねぇ、早く終わらせに来てよ……セレナ」


次回1637の2

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