クワオアーよりヴェーリターテへ

篠田石斛

本文

 起動。宇宙標準時間でちょうど朝七時。メンテナンスチャンバーの中で私は目を開けた。機体維持システム、人格フレーム維持システムに異常なし。私が稼働を始めてから四千三百九十六日目の朝も、問題なく始まった。

 在りし日の彼が「棺のようだ」と語ったチャンバーから、私は身を起こす。いつも通りの自室。灰色の強化合金の壁、遮蔽モードのために闇に沈んでいるひとつきりの窓、作りつけの白い小さなデスク、椅子、私のメンテナンスチャンバー。そして、部屋の一角を占めている3Dプリンター。これはここの備品でもなければ私の物でもなく(そもそもアンドロイドに私物を持つ習慣はあまりない)私が彼から引き継いだものだった。

 壁面の動体センサーが私の起動を感知して、照明が点灯する。それとほぼ同時に、ブーン、と、低い音をたてて3Dプリンターが起動した。私のスリープモード中にデータを受信した場合、私の起動時にプリントするように設定しているためだ。

 それはつまり、返事が来たということ。

 チャンバーから出て、3Dプリンターへ向かう。この機種は旧式だが大型で、データさえあれば縦横四十センチの物品まで製造することができる。だがこのプリンターは、少なくともこの五年に関しては、その機能を十全に発揮しているとは言いがたい。

 なぜなら、私がこれを引き継いでからの間ずっと、そして今また新たに私の目の前で出力されているものは――手紙だからだ。

 文字が綴られた二枚の便箋、その筆跡、筆記具による凹凸の細部までを3Dプリンターが「再現」していくのを、どうしてか、私はいつも最後まで眺めてしまうのだった。


 私は宇宙観測アシスタント用アンドロイドだ。型は「SpaceObserver」第六世代、シリアルナンバーはSO27452474747718、個体名は「ソレイユ」。

 今はエッジワース・カイパーベルト天体の一つ『クワオアー』に設置された観測所で暮らしている。ここの職員は、現在は私一機だけだ。度重なる観測所の縮小、そして病死した彼の後任の決定が見送られたこともあり、アンドロイドでありながら私はこの場所の管理を任されている。裏を返せば、この観測所には人類にとってその程度の価値しかもう残っていない、ということでもあった。

 宇宙標準時間でおよそ三百年前に始まった宇宙開発時代、その黎明期。地球から外宇宙に飛び立つ際、小天体が密集して存在するエッジワース・カイパーベルトは難所の一つだった。そのためカイパーベルト付近でも特に大きな天体――冥王星、エリス、マケマケ、ハウメア、そしてこのクワオアーに観測所が設けられ、カイパーベルト内の天体のデータを観測し、太陽系から飛び立つ船を補助していた、らしい。

 らしい、というのは、この観測所は船の航行補助という役割をとうに失っているからだ。度重なる技術革新の末、約百年前に人類はワープ航法を開発、恒星間移動にかかる時間を大幅に短縮した。ワープ中の船体はこの宇宙とは異なる空間(航行用亜空間と呼ばれる)を通過することとなったため、スペースデブリや浮遊惑星、そしてカイパーベルトのような小天体が密集した空間、それらとの衝突の懸念なしに他の星へ移動することが可能となった。

 以降、カイパーベルト内の観測所は太陽系外縁部のデータを収集する機能のみを請け負うようになった。だが、その機能にしても現在はカイパーベルトとオールトの雲の合間を飛び交う無人探査機たちが大半を担っている。彼らが異常事態(例えば、太陽のスーパーフレアだとか、悪意ある人物や組織によるハッキングだとか)により一斉に機能しなくなる、そのような状況に備えた保険として、観測所は縮小こそすれ、閉鎖されることなく細々と続いていた。

 ただ、仮にそんな状況が発生したところで、私たちにできることは限られている。保険というのも建前で、実際はもっと感傷的なもの――「人類はこんなにも頑張ってきたのだ」ということを忘れないでおくためのものなかもしれない。

「俺たちは、あれだ、記念碑とかそういうやつだ。それ以上の価値はない」

 彼は度々そう語っていたし、私も同意見だった。アンドロイドである私がそのようなことを考えてしまうのは、少々異質かもしれない。それは共に過ごした彼の影響と「手紙」の存在が大きいだろう。

 ここは日の光がほとんど届かない果ての地だ。太陽の周囲をひと回りするだけで約二百八十九年もかかり、ゴツゴツとした岩ばかりの荒野の中、観測所の周辺だけは生命維持フィールドと重力発生装置が設置され、最低限のテラフォーミングが施されている。それでも、例えば私が製造された土星の衛星タイタンのような、大規模な開拓が行われた星とは違い、クワオアーのテラフォーミングでは昼夜を再現する機能は実装されなかった。「所詮、急ごしらえだからな」という、彼の言葉を思い出す。

 だからクワオアーはいつも夜だ。ポツリポツリと、明かりとしてのスタンドライトが立てられ、あまり光量を必要としない苔の一種だけが観測所の周囲を覆っている。外部から持ち込まれてここに根付いた生命はそれだけだったという。降り注ぐような星の海をリングが横切り(クワオアーはこの小ささにも関わらず独自のリングを持つ)衛星ウェイウォットが通り過ぎていく。クワオアーの自転周期は八時間しかないから、地球をはじめとした太陽系内の惑星や衛星からやってきた人間には、ウェイウォットの動きは随分と早く見えるらしい(私は製造されてすぐこちらに来たため、他の星での生活をあまり知らない)。そのせいか、彼が来るまではここに赴任する人間は早々に心身を病んでは交代する、ということを繰り返していたという。

 彼は例外だった。

 宇宙標準時間において二十年もここで暮らし、最後の二年は(体調を崩したということもあるが)クワオアーの外に出ることさえなかった。死ぬまで居座っていた、と言ってもいい。

「人間は見飽きたからな。ここは静かでいい」

 それが彼の口癖だった。


 彼との業務は楽しかった。少なくとも、私にとっては。

 彼の方がどうだったかは分からない。

 ただ、人間ではなく、中性型として製造されたため男とも女ともつかない私を、彼は「面白い」と称し、この観測所における「抜け道」「裏技」「お遊び」をいくつも私に教えた。例えば、マクロを使って自動的にデータ収集と整理、報告までさせておき、その間に私とリバーシをしたり、クワオアーに唯一根付いた苔類について観察したりした。

 ある時、「監視カメラで発覚するのではないか」と尋ねる私に対して、彼は監視カメラを欺く方法を語った。

「全然代わり映えしねえだろ、この観測所。俺とお前が二人で並んでモニターと睨めっこしてる。時々俺が休憩に席立ったりする。そんで決まった時間に飯食って、決まった時間に寝て、決まった時間に起きて、飯食って、またモニターと睨めっこを始める。その繰り返しだ」

「現在のデータの代わりに、過去の録画データを総合研に送信するということですか」

「察しがいいじゃねえか。ほれ、角取った」

 私の白い駒を黒にひっくり返しながら彼は笑っていた。「総合研」というのは通称で、実際には『太陽系外縁天体観測総合研究所』というのが正式名称だったが、彼は最後まで「総合研」としか言わなかった。そして、彼の行っていた監視カメラデータの捏造は、当然ながら総合研の定めた規則には違反していた。

「私に話してしまっていいんですか。録音は」

「いいこと教えてやる。ここは音声までわざわざ録音しちゃいねえよ、確認した。もっとも、お前が報告したらバレちまうが。どうする?」

 そう彼は笑っていた。私は首を横に振った。

「ここの責任者はあなたです。あなたが問題ないと判断し、実行するのであれば、私は報告しません」

「いい子ちゃんの回答だな、ソレイユ。なあ、アンドロイドに本音ってあるのか?」

「あなたとのリバーシは楽しいです」

 思えば、そう、私が自分の感情について語ったのはこの時が初めてかもしれなかった。アンドロイドの活動上に生じたそれを感情と呼んでいいのなら、だが。

 彼は虚を突かれたように一瞬真顔になって、すぐに大声で笑い出した。

「じゃ、俺たちは共犯だ」

 その後も、私と「共犯」でいる時の彼はいつも愉快そうな顔をしていた。だから、おそらく、嫌われてはいなかったのだろう。彼がいなくなった今、私はそう判断している。

 そんな彼が死んだのは宇宙標準時間で五年前のこと。

 総合研所属の医師が「血液検査の結果が芳しくないから観測所を出て入院しろ」と言ってきたとき、彼はそれを無視した。私は、彼自信の判断なら、と静観していたが、日に日に弱っていく姿を目の当たりにして、自分が間違っていたことに気がついた。

「ここを出て入院してください。ここには最低限の医療品しかありませんし、私では応急処置しかできません。あなたに何かあった時に対応ができません」

 そう言った私に、彼は「嫌だね」と首を振った。その頃にはもう随分と痩せて、支給された作業服の袖がだぶつくようになっていた。モニター前の椅子に座るのも辛そうで、見かねた私がリクライニングチェアーを備品申請したほどだった。背もたれを最大まで倒して、半ば横たわるように座りながらも、彼は観測所を出ようとはしなかった。

「ソレイユ、俺はこれでいいんだ」

「よくありません、入院してください。そうすれば」

「いや、言い方が悪かったな。俺はここがいいんだ、ソレイユ。ここがいい」

 彼は、最低限の通信システム用インプラント以外は生身だった。機械化で寿命を伸ばす人間もいる一方で、彼はそれを拒む側にいた。

「ここは静かでいい」

 彼はそう言い続けていた。そして五年前のある朝、彼は目覚めなかった。享年は五十七歳で、人類の標準的な寿命から見ても相当に早かった。


 ピピピ、という電子音で私は我に返る。3Dプリンターの操作モニターには「プリント完了」の文字が浮かび上がっていて、二枚の便箋がプリンター内で完成していた。アクリル製の透明な扉を開き、私はそれを取り出した。

 排熱でほのかに暖かい、二枚の紙。見慣れた筆跡。ペンで書かれたことによるわずかな凹み。便箋はいつもと同じ、白に近いベージュにグレーの罫線で、紺色のインクも相手が好んで使うものだった。

 当然ながら、これはたった今3Dプリンターから出力されたもので、オリジナルの手紙そのものではない。しかし、その形態は限りなくオリジナルに近い。物質としての手紙の情報を寸分違わず再現して見せるのが、3Dプリンター用オプションMOD「レタープリンター」だった。

 ワープ航法の技術の応用により、恒星間通信の遅延もほぼ改善されたこの時代においても、データや音声、映像ではなく「手紙」という、極めて古典的な遠隔コミュニケーションを使いたいという人間は一定数存在していた。物質としての紙を用意し、インクを充填したペンを使い、あるいはペン先を好きなインクに浸し、手ずから文字を書く。それを封筒と呼ばれる、こちらも紙で作った袋に入れ、宛先を書いて、送る。それが本来の「手紙」だと、私は彼から聞いている。

 かつて人類がまだ地球上にしかいなかった頃、手紙のみを専門に配送する業種が存在していたらしい。しかし現在、手紙専業の配達業者はいない。手紙を送るということはすなわち荷物を送るということになり、恒星間の送品ともなれば輸出入品として税関で多重のチェックがかけられ、時には他の荷物の巻き添えで足止めを受け――と、手間ばかりかかる上、一体いつ相手に届くのか分からないし、事故や積荷の盗難などによる紛失もあり得る。

 そこで、彼曰く「どこかの物好き」が考案した妥協案がレタープリンターだった。

 レタープリンターを導入した3Dプリンターには「レタースキャン」という機能が追加される。使い方は極めて単純で、プリンター内に便箋を並べ、レタースキャンを起動するだけでいい。現在販売されている3Dプリンターには物品をスキャンし、その形状や色のデータを取得する機能が標準搭載されているが、レタースキャンは便箋の色、書かれたインクの色、筆記による凹凸などを読み取ることに特化したものだ。レタープリンターが相手側に送信するのは、レタースキャンで取得した便箋の形状データのみ。あとは、そのデータを受信した側で3Dプリンターを起動してやれば、オリジナルの便箋と外見上は寸分違わないものが出力される、という仕組みだった。

「しかし、プリンターで再現された筆跡は、本当に筆跡と言えるものなのでしょうか?」

 彼からこの機能について初めて聞かされた時、そう尋ねた私に、何故か彼は大笑いしていた。

「哲学的なこと言うじゃねえか。そうだな、こんなもん本物じゃねえ、って言ってた奴ももちろんいたさ。でもよ、間接的にはなるが『お前のためにわざわざ紙とペン用意して書いてやったぜ』ってのは伝わるだろ? で、案外もらった側もそれで十分だったりするんだ。そう言うもんなんだよ、人間なんてのは」

 彼はこの機能を使って、旧知の「友人」と手紙のやり取りをしていた。その人は、私が知る限り彼の唯一の友だった。「友人」は太陽系から遠く離れた、アンドロメダ座の十四番星「ヴェーリターテ」で暮らしていると言うことだった。

 彼は「わざわざ顔を合わせるのはしゃらくさいから」などと言って「友人」との連絡にレタープリンターを使っていたが、実際のところ、加齢と体調不良で弱った姿を見られたくなかったのではないか、と私は考えている。かつて二人が共に過ごしていた頃の、若さも力も有り余っていた頃の自分を、相手には覚えておいてほしかったのではないか。

 そうでなければ、自費で便箋とペンと3Dプリンター用の樹脂を購入し(それらは総合研からの物資と一緒に届くのが常だった)、便箋がいっぱいになるほど文字を綴り、どんなに体調が悪くても手紙の到着から二週間以内には返事を送り、そして――自分が死んだ後の代筆を私に頼んだりはしないだろう。

 私は手元の便箋を確認した。一行目にはまず、彼の名前がある。これは「友人」が彼に宛てて書いた手紙だった。「友人」は、まだ、彼が死んだことを知らない。


 彼の死後、身寄りがなかった彼の遺品は総合研の人々が回収していったが、いくつか回収されずに残ったものがあった。

 3Dプリンターと、彼が使っていたペン、三十枚綴りの便箋が三セット(うち一セットは半分ほど使用済み)、彼がこれまでに書いてきた手紙の束、そして私にあてた手書きの遺書だった。遺書の日付は彼が死ぬよりも半年ほど前で、その頃から既に彼は自分の寿命が残り少ないことを察知していたようだった。

 遺書には次のような内容が書かれていた。

「ソレイユへ

 生前は世話になった。そして、もしかしたら死んでからも世話になるかもしれない。これから妙なことを頼む。引き受けるかどうかはお前に任せる。最後まで読んでから決めてくれ。

 俺の手紙については以前話したと思う。もしあいつからの手紙に俺が返事を書くことができなかったら、もしくは俺が死んだあとにあいつからの手紙が来たら、俺のふりをして返事を代筆してほしい。今まであいつに宛てた手紙のオリジナルと、あいつからの返事は全部取ってある。それを読んで、俺の筆跡や書き方を模倣してくれ。思い出話についても、俺たちの今までの手紙を読めば大体分かるだろう。話題ってのはループするもんだし、人間ってのは歳を取ると、同じ話を何度もするようになるらしい。

 3Dプリンターと筆記具と便箋、それから俺の貯金の一部をお前に贈与するよう、代理人に頼んでおいた。金についてはプリンター用の樹脂や便箋を補充するために使ってくれ。もちろん、余ったらお前の好きに使っていい。代筆を引き受けない場合でも返金はしなくて構わない。

 どうしてこんなことを頼んでいるのかというと、あいつが心配だからだ。あいつは俺なんかよりずっと繊細で気弱なやつだった。そのせいで俺以外にろくにダチがいない。おまけに去年から足を悪くして介護施設暮らしだ。俺が死んだと知ったら気落ちさせちまう。この歳になると『病は気から』って言葉が冗談じゃなくなってくるんだ。あいつがこっちに来るのはまだ早すぎる。

 だから、あいつにバレるか、あいつからの手紙が来なくなるまででいい。俺の代わりにあいつの話し相手になってやってくれ」

 実際、私の口座にはいつの間にか、私のそれまでの貯金を上回る額のクレジットが振り込まれていた。アンドロイドも口座を持つことが許されているし、それぞれの職務に応じた給金も(人間のそれよりは少ないものの)支払われるが、積極的に消費する個体はあまりいない。私もそうだ。アンドロイドたちの貯金の大半は、各種保険で賄えなかった修理代を補うことに使われる。

 幸か不幸か、私は深刻な故障に見舞われたことはなかったから、これまで大きな消費をしたことがなかった。そこにきて、彼からの遺書と、遺産の一部贈与だ。

 自分でも意外だったのだが、私はあまり迷わずに、代筆を引き受けることに決めた。

 そもそも大した消費をしたことがないのだ。自分の貯金を倍にされて「好きに使え」と言われても困ってしまう。それならば、彼が指定した用途に従う方がいい。

 文書偽造に当たらないか、という、真っ先に私の電子頭脳がサジェストした疑問に関しては、私は「当たらない」と判断した。この手紙は彼と彼の「友人」の間で交わされている、極めて私的なもので、そこに何らかの利権は一切絡んでいない。それに、これは当事者の片方からの依頼に基づくものなのだし。

 彼が死んだのは、折しも彼が手紙を送った三日後のことだった。そうして先方からの返事は、私が見ていた限り二週間程度で返ってくるようだった。

 返事が来るまでの間、私は職務以外の時間を、彼が遺したオリジナルの手紙の読み込みと、彼の筆跡の模倣に費やした。

 最初の代筆は、少しばかり緊張した。

 筆跡や文体の模倣はアンドロイドである私にとっては容易なことだった。サンプルは大量に遺されていた。しかし内容はどうだろうか。この手紙の文面に対し、彼だったらどのように返答するだろう。違和感のない答えはできているか、どうか。

 私は一週間ほどかけて手紙を作成し、それを「友人」に向けて送信した。

 二週間後、相手からの返信が届いたとき、私は自分の代筆が成功したことを知った。


 そうして私が彼の代筆を始めて、もう五年になる。

 彼の「友人」からの手紙はあまり長いものではない。多くても便箋二枚。一枚の時もある。そのようなときは決まって「ここのところ調子が悪いから、短くて申し訳ない」と文中で謝罪があった。

 一方で、こちらからの手紙も長くなりすぎないように気を遣った。彼が書いたオリジナルの手紙もまた、便箋二枚を超えることはなかったからだ。二人はあまり多くない言葉でやり取りができる間柄だったのだろう。思い出話も軽く触れられるだけで、その内容は(彼と「友人」との長い手紙のやり取りの中で)よく重複した。

 今日の手紙は、便箋一枚半ほど。

『ヴェーリターテは今日も平和だよ。クワオアーはどうだい』

 そのような書き出しで始まっていた。ヴェーリターテはアンドロメダ座の十四番星で、橙色巨星であり、人類の入植がなされている。コロニーは、宇宙ステーションも兼ねたものが周辺宙域に一つ、ヴェーリターテを主星として公転する惑星スペー上に二つ。私がデータとして知っているのはそこまでで、「友人」からもたらされる情報も、ヴェーリターテについてあまり多くを語ってはいなかった。

『もう話したかもしれないけれど、こちらのコロニーの居住区では地球の空が再現されている。液晶に映した映像なんだが、よくできている。昼は青く光って、夜には地球から見た星が瞬いて(透過はしないんだ、コロニーの自転速度が早くてヴェーリターテが何度も昇ったり沈んだりするからね)、朝と夕には燃えるように赤くなる。このコロニーは地球から来た人が多いからそうしているらしい。僕は地球出身じゃないから、ちょっと疎外感があるかな。火星の青い夕焼けが懐かしいよ。まあ、今の僕では太陽系に戻る体力もお金もないんだけれど』

 彼も、彼の「友人」も、火星のコロニー出身だった。大学までを火星で暮らし、二人揃って研究職についた。彼が太陽系での研究を志したのに対し、「友人」は外宇宙に興味を示したことで、二人の道は分かれた。それでも二人の交流そのものは続いていた。

 とはいえ、この夕焼けの話題も私が代筆するようになって四度目になる。人は歳を取ると何度でも同じことを語りたくなる、という彼の言葉は本当なのかもしれない。

 あるいは、何度も語ることに意味があるのか。

「友人」の人柄は事前に彼から聞いていた通りだった。穏やかで気が弱く、繊細で、そのために傷つきやすく、他者との交流を避けてしまう。少なくとも私がこれまで読んできた手紙からはそう読み取れた。「友人」は現在、介護施設にいるらしいのだが、そこでリハビリに参加はするものの(時折「今日のリハビリは大変だった」というようなことが書いてある)他の入居者と積極的に交流をしている様子はなかった。「友人」の手紙に、他の人間が出てくることはなかった。介護担当者がアンドロイドで気が楽だ、というようなことが書いてあって、人間よりアンドロイドといる方を好むのは彼と同じだな、と私は考えた。正反対の二人は「人間たちの中に居場所を見出せない」という点において似ていたのかもしれない。

 私は届いた手紙を読み終わると、自分の机からペンと便箋を取り出した。勤務開始まではまだ時間がある。返答を考えることにした。

 彼のふりをして手紙を書くことには慣れてきた。彼が手紙でよく使う言い回し、逆に彼が書かないこと、そして彼の筆跡と筆圧。それらはオリジナルの手紙で学習できていたし、彼の考えをシミュレーションして――彼になりきって内容を考えることにも、慣れてきた。現にこの五年間、「友人」からの手紙でこちらを怪しまれた様子はない。

 もしも、何かしら問題があるとすれば、それは私の方にあった。

「この人について、もっと知ってみたい」

 いつしかそんな欲求が、返信の文面をシミュレートしている最中に割り込んでくることがあった。無論、それに従えばシミュレートの内容からは逸脱してしまう。彼と「友人」は既に旧知の中なのだから、今更互いについて問い直す必要はない。私の欲求はノイズだ。

 奇妙な話だった。無論、アンドロイドが知性を獲得している以上、欲求を覚えることそのものは発生する。ただ、私たちは人類が予め定めた用途に応じた姿や構造で生まれてくる。そして、それぞれの用途の環境に適応するようにプログラムされ、訓練も受ける。

 だからアンドロイドの欲求は自分の『用途』に近いもの、あるいは都合がよいもの(例えば私なら、静かな場所で宇宙を眺めていたいという欲求は恒常的に持っている)を抱くことが大半であるし、仮にそこから逸脱したことがあったとしても、職務の手を止めてまで――もっと踏み込んで言えば、与えられた職務や命令に逆らってまでその欲求を満たそうとはしない。

 しかし、今の私はどうだろう?

 これは職務ではない。死んだ人間の上司の、極めてプライベートな手紙の代筆をしている。私はこれを「職務ではない」と認識しているから、彼から頼まれたことから逸脱した欲求(あの人について知りたい)を抱くようになってしまったのだろうか? それとも、五年間も彼のふりをし続けたことが原因だろうか? 著名人の影武者として働くアンドロイドたちの存在は聞いたことがある。彼らは、自分たちはオリジナルそのものなのだと思い込むように作られていると聞く。だが、それらは私のやっていることとは次元が違う。私はただ代筆をしているだけだ。

 本当に?

 私がシミュレートした彼が考えた文面を、私が、彼の筆跡と筆圧を模倣して手紙を書く。ではこの手紙は、私が書いたものか。それとも彼が書いたものだろうか。私の中でシミュレートされた彼は、彼だろうか? それとも私?

(分かんねえときは、一旦寝ちまった方が楽だぜ。あるだろ、スリープモード)

 シミュレート中の彼がそんなことを言った気がした。いや、これは過去に実際に、計器異常の原因が分からずにフリーズしていた私に対して言われたものだったか。

 ともあれ、今の一瞬でシミュレートの指向性が「手紙の返信」からズレてしまったことは確かだ。やり直した方がいいだろう。私は一旦シミュレートを打ち切って、半ばまで出来上がっていた文面データを削除した。取り出したペンと便箋は、とりあえずそのままにしておく。

 こういったことが最近増えてきた。彼が「友人」とおおむね二週間間隔で手紙をやり取りしていたことに感謝しなければ。慣れてきた当初は三日で書けるようになっていた手紙が(早すぎないタイミングまで待ってその手紙は送信した)、ここのところ十日は要するようになっている。私が度々、自分の欲求に邪魔されるためだ。

 うるさいところは嫌いだと言って、二十年も太陽系の果ての地で暮らし、そこで死んだ彼。「共犯だ」と言って私に様々なことを教えてくれた彼。私を「面白い」と称して、死後には自分の唯一の「友人」を私に――観測用アンドロイドにすぎない存在に任せた彼。

 そんな彼が心を許した人間。どんな人が、彼の心を開いたのか。どんな人が「人間のことなんて気にしねえ」と言っていた彼をして「弱った姿を見せたくない」とレタープリンターの利用に至らせ、宇宙標準時間において互いに二週間おきという、まめな文通を続けさせ、最期に彼にあの遺書を書かせたのか。どんな人だったら、彼にそこまでさせられるのか。

 私は今もそれを知りたがっている。

 この欲求によって「友人」に私の代筆がバレるのが先か、あるいは別の要因でこの関係が終わるのが先か。

 私には分からなかった。


 終わりは突然、あるいはゆっくりと訪れた。

 私が代筆を始めて五年二ヶ月目のその日、いつものように私は手紙をレタープリンターで送信した。

 しかし二週間経っても「友人」からの返信はなかった。もしかしたら体調を崩したのだろうか。私は待った。三週間。一ヶ月。一ヶ月半。そして二ヶ月。

 返事は来なかった。

(バレたのだろうか?)

 沈黙している3Dプリンターを眺めながら私は考える。プリンターの故障ではないことは確認済みだ。データの送受信履歴は、私が送ったものを最後に更新されていない。

 こちらから送った手紙を再確認してみる。私が確認する限りでは、怪しまれるような文言はなかった。それに、もしもバレたのであれば何らかの確認を「友人」は入れてくるのではないか。これまでのやり取りで「友人」はそういう人物であろうと私は判断している。全くの音沙汰なしというのは違和感があった。

 そうなると、可能性として考えられるのは「友人」自身に何かが起きたということ。

 どうしたものか。普段通りの職務をこなす一方、私は考え続けていた。

 彼は遺書で「あいつから返事が来なくなったらそこで終わりにしていい」と記載していた。その際に「友人」の安否を確認することまでは、私には求められていない。つまり、彼からの代筆依頼はこれで完了したということになる。

 以前の――彼と仕事をしていた頃の私であれば、それで良しとしただろう。しかし、今の私は違った。私は五年間の代筆を経て変わっていた。

 彼としての手紙のやり取りが終わってしまったのなら、今度は私自身が「友人」について、より多くを知ってもいいのではないか?

 そんなことを考えてしまうようになっていた。

 定期メンテナンスの日程が近づいていた。メンテナンスはタイタンの整備場で行われる。そしてタイタン発の定期便から二つほど恒星間ターミナルを中継すれば、ヴェーリターテに到着できることは分かっていた(既に何度か、私はヴェーリターテに行く方法を調べたことがあったからだ)。

 メンテナンスは移動時間も合わせて二日を予定している。その直後に合わせて、私は十日間の休暇を申請した。「知性あるものを奴隷のように働かせてはいけない」という倫理規定の元、アンドロイドもメンテナンス以外の休暇を最低年に十日は取得することが義務付けられていた。人類の場合は二十日間だからその半分ではあるが、むしろ持て余しているアンドロイドの方が多い制度である。しかし、今の私には都合がよかった。

 私からの申請に、総合研の担当者はひどく驚いていた。これまでの私は休暇を最低限、それも月に一度一日までという頻度でしか取らなかった。それが突然十日分まとめて申請したのだから、無理もないことだった。

 通らないだろうかと私は危惧したが、杞憂に終わった。「クワオアーを発つ日に代替要員のアンドロイドが到着するから、そちらへの引き継ぎをきちんと行うように」と念を押されただけだった。代替でやってくるアンドロイドも観測用機体だから、引き継ぎに関しては問題ないだろう。「十日も休みをとって何をするのか」ぐらいは聞かれるかもしれないし、聞かれないかもしれない。総合研に所属するアンドロイドは、あまりお互いに興味を抱かない。我々の存在意義は宇宙を観測することで、その思考は宇宙に向くように作られ生まれてくるのが基本だ。

 そう考えると、私は少しばかり変質しているのかもしれなかった。彼の影響か、代筆か、「友人」か、あるいはその全てか。

(メンテナンスで咎められなければいいのだが)

 自然とそう考えている自分に気がついて、私は驚いた。それは「彼らからの影響を手放したくない」という欲求が私の中にあるということを示していた。

 生前の彼の言葉を思い出す。

「お前は自分を機械として扱いすぎる。お前には知性があるんだ、もっと堂々としろ」

 それが正しいのかどうか、私には未だに分からない。


 メンテナンスはスムーズに進行し、そして終了した。私が事前に懸念していたような、思考ルーチンの変質を咎められることはなかった。考えてみれば、これまでの五年間に定期メンテナンスは何度もあった。その全てを私は「問題なし」としてクリアしている。人類から見て異常とされるなら、もっと早い段階で引っかかっているはずだ。

 だからメンテナンスが終了したその足で、私はタイタンから外宇宙に向かう定期便に乗った。ヴェーリターテは入植がひと段落ついた星であり、コロニーも小規模なものであるから、太陽系からの直行便はない。その上、乗り継ぎ便の数も多くないせいで、二度のターミナルでの待ち時間も含め、宇宙標準時間に換算して片道三日かかる道のりだった。十日の休暇の半分以上を移動に費やすことになるが、構わなかった。「友人」の現在さえ確認できるならそれでいい。「友人」のことを知りたい欲求はまだあるが、それ以上に彼が死んだことを知らせたくはなかった。もしも顔を合わせることができたら「彼の代理だ」と言って、手短に挨拶をするだけに留めるつもりだ。

 嘘の定義が曖昧である以上、我々アンドロイドに「人類に嘘をついてはいけない」という制限はかけられていない。それはエラーの原因になる。しかし、私は嘘をつくことが得意ではなかった。リアルタイムの会話は、時間をかけることができる手紙とは違う。長く話をすれば、私の発言に綻びが出ることは分かっていた。

 することもないので、船の中での時間のほとんどを私はスリープ状態で過ごした。ターミナルで乗り換え便を待っている間は、最後に「友人」から届いた手紙を何度となく読み返した。

 この手紙の返信で、私はどこかを間違えただろうか。それとも。

 宇宙標準時間で三日後、私はヴェーリターテの宇宙ステーション兼コロニーに到着した。事前に調べていた通り、あまり大きなステーションではないし、設備も古びていた。軋むエレベーターに乗って移動しながら、彼のデータベースにあった「友人」の住所を改めて確認する。C居住区にある介護施設とあったので、そこに向かった。

 施設の受付では、アンドロイドの受付係が応対を行なっていた。私と同様に無性型の機体だったが、私よりも穏やかな顔つきだ。サービス業や福祉業に携わるアンドロイドたちは、総じて人類に威圧感を与えないようにデザインされている。

 私を見て、受付係はにこやかに口を開いた。

「いらっしゃいませ。本日は、どのようなご用件でしょうか?」

「はい。面会希望です。私は代理なのですが……」

 私は自分が太陽系で働いている観測用アンドロイドであること、諸事情で訪問ができない上司(彼)の代理であること、それから面会をしたい相手として「友人」の名前を告げた。嘘は話していない。観測員としてのIDカードも差し出してみせた。ここまでしたのは、プライバシー保護を理由に面会が拒否される可能性があったからだ。総合研は公的な組織ではあるから、そこに所属していることはアンドロイドであってもそれなりの身分保証になる。これも、生前の彼が教えてくれたことだった。

 受付係は、私が差し出したIDカードを手元の端末に読み込ませて、それが偽造ではないことを確認した。それから手元の端末を操作して、ああ、と声を上げた。

「申し上げづらいのですが、お客様」

 彼らはその感情表現も私より豊かに設定されているらしい。実に気の毒そうな顔をして言った。

「該当の入居者様は、既にお亡くなりになっております。ご愁傷様です」

 その時の私の感覚を人間が例えるなら――頭が真っ白になった、とでも言うのだろうか。

 一瞬のフリーズののち、返事が来ないのは当然だ、という納得があった。予測していたことでもあった。代筆が終わるとするならば、代筆が「友人」に発覚するか「友人」が死ぬか、そののどちらかだと私は考えていた。

 それならば確認をしておきたいことがあった。私が代筆した手紙、つまり彼の手紙は、彼の「友人」に届いていたのか。

「いつお亡くなりになったのか、お伺いしてもよろしいですか。代理で参りましたので、報告をしなければなりません」

 しかしながら、その後の受付係の回答は予想外のものだった。

「宇宙標準時間で二年前です、お客様」


 介護施設を出たあと、ステーションの宇宙港まで戻ってきた私は、用意されたベンチの一つに腰掛けてコロニーの天井を見上げていた。太陽を模した光球が人工の空で眩く輝き、明るい水色を背景に白くふわふわとしたもの――雲が、ゆっくりと通り過ぎていく。

 コロニーの空は地球の空を再現したものだと「友人」は手紙に記載していたが、なるほど確かに、地球に馴染みがない者からすれば見慣れない空だった。クワオアーに暮らす私にとって太陽は遥か彼方の、少しばかり大きな光点に過ぎず、最低限の生命維持フィールド内では雲も発生しないから、その存在は知識でしか知らない。

 私は「友人」から最後に受け取った手紙を、もう一度手元に広げていた。

 介護施設の受付係が虚偽申告をしている、ということはないだろう。確かにアンドロイドは嘘がつけるが、自分の職務については極力嘘を避けるのが常だ。自分たちの製造意義に反してしまうし、アンドロイドは基本的にそれを嫌う。何より、この場面において彼らが嘘をつく理由がない。

 つまり、本当に「友人」は死んでいるのだ。問題は、それが二年前であるということ。

 私はこの五年、途切れることなく「友人」との手紙のやり取りを続けてきた。実際に送信されているのは手紙の物質データだが、データの送信には一般的な通信と同じ手段を用いている。現在の技術なら恒星間通信であっても遅延は数分程度しか発生しない。つまり、時差によって二年前に死んだ「友人」とやり取りしていたということはあり得ない。

 では、この手紙は?

 私はもう一度、手紙データの送受信履歴を確認することにした。手紙の内容の時系列が破綻することを防止するため、送受信の日時、送信先、送信元、それぞれの履歴を私は自分の電子頭脳にバックアップしていた。

 実のところ、「友人」からの手紙については私が確認をしていない箇所があった。それは手紙データの送信元だ。お互い決まったアドレスで通信を行う以上、解析をすれば大まかにどの地域から、あるいはどの星系から送られてきたかを確認することができる。更に細かい地点を割り出すにはいわゆる「裏技」を使う必要があったが、それに使用できる解析ツールを、私は生前の彼から受け取っていた。

「いつか何かの役に立つかもしれねえだろ」

 彼がそう笑っていたことを覚えている。

 とはいえ、これまで手紙データの送信元について解析をしたことはなかった。ヴェーリターテから送られていることは彼の遺書で知っていたし、私は「友人」との手紙のやり取りに関して、リソースのほとんどを代筆作業に費やしていた。そのため、手紙の相手は「友人」であり、データはヴェーリターテの宇宙ステーションから来ているのだと判断して疑っていなかったのだ。

 私は目を閉じる。瞼の裏に浮かび上がったメニューから解析ツールを起動した。解析対象として、最後に受け取った手紙データの送信元を選択する。一秒もかからずに解析は終わった。

 送信元は、確かにヴェーリターテ星系だった。しかしそれは「友人」が暮らしていたされる宇宙ステーション兼コロニーではなく、ヴェーリターテ唯一の惑星スペー上の、ある地点を指していた。

 私は目を開けて、ベンチから立ち上がった。スペーに向かう船へのチケットを買わなければならなかった。


 惑星スペーの空は赤みがかった紫色だった。こちらでの太陽に相当するヴェーリターテが橙色巨星であるからだろう、昼であっても、照らし出されるもの全てがぼんやりと赤く見えた。

 スペーの地表にあるコロニーに到着した私は解析結果に従い、E地区と割り振られた場所に足を踏み入れていた。ここでは人類とアンドロイドが分かれて暮らしているらしく、E地区はアンドロイドたちの生活区域だった。ヴェーリターテ時間では午後のまだ早い時間帯で、ほとんどのアンドロイドは働きに出ているのか、街路を歩く者の姿はなく、静かだった。

(さて)

 整然と、真四角の建物が並ぶ街並みを見ながら私は思案する。これ以上細かな住所は流石に分からない。別のアプローチが必要だった。

 私はE地区内の公共施設に向かった。スペーの行政機能を担当する組織、その末端の施設だった。建物は小さく、外部の人間が入っていけるエリアは狭いエントランスと受付ぐらいしかない。しかし私は目的のものを見つけた。行政サービス用の公衆端末だ。

 私が端末の台座に触れると、中空にホログラムでメニュー画面が浮かび上がった。予想通り、住民向けの伝言サービスが提供されていた。スペーの企業や商店の広告塔としても利用されているのか、書き込み内容は大半がアンドロイドたちに向けたメンテナンスや、機能オプションの宣伝だった。

 そこに私は、次のような書き込みをした。

『クワオアーからヴェーリターテへの手紙について。

 確認事項があります。お心当たりがある方は、こちらのアカウントまでご連絡ください』

 そこにメッセージアプリケーションの私のアカウントを添えて、私は公衆端末のメニュー画面を閉じた。

 この伝言サービスがどこまで機能しているのか、住民ではない私には分からない。ただ、アンドロイドには律儀な者が多い(私も総合研所属者全員に向けたグループチャットは、日に一度必ず確認するのが癖になっている)。探している相手も日課でこの伝言サービスを開き、私のメッセージを見てくれるといいのだが。もしもこれを確認したのなら、向こうは必ずこのメッセージの意図に気がつくはずだ。私はそう確信していた。

 施設を出て、E地区の片隅の公園で時間を潰した。休暇はあと五日。うち三日はクワオアーまでの帰路に使うことになるから、猶予は二日。どのぐらいかかるだろうか。或いは、私がここにいる間には伝言が確認されないかもしれなかった。多数書き込まれ続ける広告に紛れて気が付かれない可能性もある。それでも、少なくともこちらの連絡先は残した。それを収穫とするべきだろう。

 幸いなことに、三時間二十三分ほどで動きがあった。ヴェーリターテは傾き、スペーは夕刻に差し掛かっていた。ボットからの無数のスパムメッセージの中に一つ、見知らぬアカウントからのメッセージ。

『手紙の件について お話があります。これからならいつでもご対応可能です』

 続けて、E地区内のとある住所が記載されていた。公衆端末からダウンロードしておいたマップデータと照合する。幸い、私が待っていた公園から徒歩で十分ほどの距離だった。これから向かう旨を返信して、歩き始める。スペーの夕暮れは、知識にある地球のそれよりも赤く、暗かった。並ぶ建物の向こうに橙色巨星が沈んでいくのを見送った頃、私は指定された住所に到着した。

 一目で、私にはそれがアンドロイド用の集合住宅だと分かった。建物の大きさに対して部屋の数が多く、窓が少ない。アンドロイドは人類と比べて大きな部屋を必要としないし、窓がなくても気にしない個体が大半だ。だからアンドロイド用の集合住宅は、外廊下に狭い間隔でドアがずらりと並ぶという、やや独特な景観になる。

 メッセージの送り主はA棟三階の三〇七号室で暮らしていた。エレベーターを使って三階に向かい、廊下を歩く。どの扉も全く同じ型のオートロック式のドアで、その表面に刻印された部屋番号だけが違っている。

 私はやがて「307」のドアにたどり着いた。ドアの横の壁に取り付けられたパネルに触れる。これは住民のアンドロイドへ来訪の通知を出すためのものだから、人間用の集合住宅のようにブザーが鳴ることはない。

 反応があるまで少し間があった。それから二十秒ほどで、ロックを解除する小さな音がした。開いたドアの先には、柔和な顔立ちをした男性型アンドロイドが佇んでいた。

「はじめまして。突然の訪問となり、申し訳ありません」

「いいえ、お気になさらず。ソレイユさんでしたか。こちらこそ、はじめまして。私はイストレラ、介護アシスタント用アンドロイドです」

 そう挨拶してから、イストレラは私に向かって部屋の中を指し示してみせた。

「おいでになった理由は分かっています。あちらの件でしょう」

 家具が少なく、がらんとした部屋(介護用の、表情豊かなアンドロイドでもその点は私と変わらないらしい)。そこに3Dプリンターがあるのを見たとき、私は理解した。

 彼の「友人」もまた、彼と同様に――手紙の代筆を依頼したのだと。

 イストレラは「友人」の介護を担当していたアンドロイドだった。二年前、自身の死期を悟った「友人」は、クワオアーにいる自分の親友が孤立してしまうことを案じた。そのために、自分の介護をしていたイストレラに3Dプリンターを贈与し、代筆を依頼していたのだった。「友人」の死後、イストレラは転勤でスペーに移住したが、代筆は継続していた。

 私の代筆について「友人」は最後まで気がついていなかったし、イストレラもそうだった。私が「友人」からの手紙が、イストレラの代筆に変わっていたことに気がつかなかったように。

 手紙が途切れたのは、イストレラ自身の理由によるものだった。

「厄介な故障をして、長期メンテナンスが必要になってしまったんです。それで、お返事が書けなくて」

 申し訳なさそうに語るイストレラの手元には書きかけの手紙があった。

 二ヶ月に渡るメンテナンスから帰宅し、手紙の代筆に取り掛かりはじめた矢先に、イストレラは伝言サービスで私からのメッセージを見つけたのだった。


 そして、今日も。

 クワオアーで太陽系の果てを観測しながら、私は手紙を書いている。彼から「友人」に向けたものを。

 あの後、私とイストレラは話し合った。彼も、彼の「友人」もこの世を去った今、代筆を続ける合理的な理由は存在しない。それでも最終的に、私たちは代筆を続けることに決めた。彼と「友人」の痕跡を、私もイストレラも手放したくないと感じていたからだ。

 代筆をし、相手からの手紙を読んでいる間、私たちは彼らに触れることができた。私は彼らがこの宇宙で生きていたという事実を、可能な限り残し続けたかった――人類の記念碑として、クワオアーの観測所を残したように。感傷というものは、どうやら私たちアンドロイドにも存在しているらしい。

 書き上がった手紙を手に、私は立ち上がった。スペーでは、イストレラと「友人」が返事を待っているはずだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クワオアーよりヴェーリターテへ 篠田石斛 @shinoda_rs_industry

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ