第37話 提案
「『今』を生きていないやつは――消えろ」
まるで蒸発する様に、嫌な音が響いてすべてが消える。テアドロであったものも。青い炎も。何事も無かったように風が揺れていた。
ゆらりと賢者の視線がラズウェルを捉えていた。表情は変わらないもののどことない威圧にラズウェルは軽く肩を竦める。
「それで? いい加減本題に入ろうか?」
「横やりを入れていたのは先生も一緒だろ? ま。いっか。このように染みついた願いは消えなくてね。この願いは――聖なる力を持つものがある限り消えない。いや。石があることで聖なる力を持つものが存在するのか? いいけど――ともかくとして。どちらかが消えればいいわけで」
「……だから。私は眠るんですよね?」
何を今更。そんな事はいちいち言わなくても分かっているし、どこか触れられたく無いものだった。せっかく決めた心が折れそうになる。
ここにいたいと泣いている自分がいるのを見ないふりして口元を結んだ。覗き込むアシッドの視線。それに『大丈夫』と笑うと、アシッドは間を顰めた。
「どうして――」
悔し気に小さく呟く声は私の耳に届かない。ちらりと視線をアシッドに向けてラズエルは魔法石に向けられる。とんと触れた手からジワリと魔法石の光が揺れた。
「だから石の方を消そうと思って」
「――は?」
それは誰の声だったか。賢者でさえもそんな声を出していたのだと思う。それを見てどこか自慢げに口の端をラズウェルは上げた。
「時間は掛かるけど。それにはアンタの力がどうしても必要で。だから呼んだ。これなら『寿命』までアンタは眠り続ける事は――」
「本当ですか?」
食い気味に言ったのはアシッドで。ぐっとラズウェルの手を握る。驚いたようなラズウェルの表情に構うことなく顔を寄せた。
「ほんとうですか?」
軽い風を斬る音。それが耳に届いたのか弾けるようにアシッドはのけぞった。さすがの運動神経というべきか。恐らく波の人間では避けることは出来なかったかも知れない。
案の定、さくりと剣が地面に刺さっている。あれは下手をしたら死んでいたのでは無いだろうか。
まさか、殺すはずはないと思う――たぶん。それだも驚いたのは驚いたけれど。
「あ、アシッド?」
声にちらりとアシッドは『大丈夫』と言うようにひらひらと手を振った。はぁ。と息を一つ。睨む様にしてラズウェルを見つめた。
「殺す気ですか?」
「は? 避けたからいいじゃん。さすが。先生が育てただけはあるよな。多分俺のが強いけど。まあ。それに」
と続きは紡がなかった。その視線は私を一瞥してアシッドに戻す。ちなみに賢者は褒められてまんざらでも無い様子だ。
「ともかくとして。本当だ。この石の力ですべての魔法石を無効化する。ただ。魔力の『元』が違う。このままでは操ることはできない。だからアンタの――聖なる力を持つものの存在が必要だ。何年かかるかは分からない。何十年かも。下手したら――その間に寿命が尽きるかも知れない。……眠る方が良かったかと思うかも知れない」
意味など無かったと――。
ラズウェルは申し訳なさそうに視線を落した。
それは私にとっては思ってもいない申し出で。結局同じことであれば。もしかしたら私は普通に戻ることが出来るかも知れない。
皆と同じに――生きることが出来るかも知れない。それは固まっていた心に大きな風が流れ込んだ瞬間だった。
眠るだけ。眠ったまま死んでいくよりはずっといい。
でも。
「メリルちゃん」
「賢者様達は――貴方……はどうなるの? この魔法石は」
私はゆっくりと魔法石に目を向ける。それは相変わらず美しい輝きを放っていた。
魔力を無効化ということは、ここにいる賢者もラズウェルもどうなるのだろうか。薄々どこか分かった上で私はと問うていた。
その確証が欲しくなかったのかも知れない。
賢者も――ラズウェルも私には大切なものの一つに思えたから。
「気にしなくていい。俺たちは魔力の固まり。――何もないさ。これと共に眠るだけだよ」
「……それで良いんですか?」
くすりと賢者は笑みを落して私の頭を乱暴に撫でていた。見上げた笑顔は晴れ晴れとしているように見える。
「私はもう寿命だし。見たいものも、見た。欲しいものも手に入ったのさ」
「――俺は本来もう『いない』者だ。人格のコピー。気にする必要はないし……でも、まぁ。――アンタが生きてくれるなら結果的にはそれでいい。あの人も喜んでくれるだろうし。本物も満足いく結果だろ? アンタという命を残せたんだ」
その言葉に悲壮感など一つも漂ってはいない。嬉しそうに微笑んでいた。当然それは歪でもなんでも無く、心底嬉しそうに。
もはや決めてしまった事なのだろう。私は口を真一文字に結んでぐっと涙を堪えていた。決めてしまえば……もう会えない。
「大丈夫。俺たちはアンタと共にあるさ」
言葉に、私はすっと顔を上げて真っ直ぐにラズウェルに目を向けた。
「どうすれば、いいですか?」
静かな世界に声だけが響いていた。
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