第36話 祈りの石

 ここにある魔法石は――前世界からあるものたという。いや、前世界でもその創世記から。つまりいつから在るのか分からないものだとラズウェルは言った。古来よりこの石に祈り、現在でも聖なる力を持つ者たちが祈りを捧げていた石。


 なぜ知っているのかと問えば、簡単な話だと笑う。


 ラズウェルの意識はこの石に取り込まれているのだと。基本はラズウェルの人格だが、その中身はあの魔法石ということになるらしい。


 ポンポンと魔法石を叩きながら私を藍色の目が映す。


「だから。俺はアンタの本当の親父とは違う。悪いな」


 申し訳なさそうな声。私はぶんぶんと頭を振っていた。


 私には父の記憶がほぼない。おまけに親子という感覚もそれほどない――似ていないのだし――ので対して残念に思わなかった。


 大体子供の頃から両親を恋しいと思ったことがあまりない。それは周りの環境のお陰だろうか。


「でも、知って嬉しかったので」


 それは間違いなかった。


「……そう? 俺はあえて嬉しかった。分かるよ。似ていなくても、アンタには俺の血が流れてるって。その身に宿る魔力が物語っているからさ」


 ゆらりと私の頬に伸ばした手をぱしんとアシッドが無表情で叩き落していた。なぜか噴き出しそうな賢者の顔の意味が分からない。この状況のどこに噴き出す要因があっただろうか。


 ラズウェルは『あ――』と分かったような分からないような声を上げている。それに対してお構いなくアシッドはいつもより低い声で言葉を紡いだ。


 すこし。ほんの僅か。耳元が赤い。


「そんなことより話の続きを。昔からあった魔法石。それを見てきた貴方は何が言いたいんですか?」


 ちらりと視線を賢者に向けてから視線をアシッドに戻した。何かを納得したようでもあったが言う気も無いようだ。


 『後で〆る』


 ひんやりとした声。何を――と言わないまま、平静に戻り言葉を続けていた。


「……昔から。それこそ前世界以前からある俺は『どこにも』属していない。という事だ。基本俺以外ほとんどの魔法石は俺を模して前世界の人間が作ったものだ。自身が持つ魔力の貯蔵庫としてね。であるので魔法石には常に『本体』の強い願いが染みついている――例えば」


 先生と賢者に呼びかければ、賢者はポケットに入れていた魔法石『テアドロ』を取り出して、ラズウェルに渡した。


 嫌そうに石が身じろぎしたように見えた。それを無視してラズウェルは石を突く。


「よく分かったな?」


「あ――俺だって魔力の流れくらいは分かる――です。おい。テアドロ。起きてるか?」


 応答はない。


 以前よりも輝きは小さくなったとは言え相変わらず美しい輝きを保っているそれはまだ『上級』とも言える。


 まったく知られていないことだが、賢者曰く。魔法石はグレードが上がれば上がるほど『意識』というものを持つようになり、その姿を魔力で描くことが出来るのだという。テアドロもその一人であるらしい。


 尤も。魔力が無くなればその意識すら消えてしまうと賢者は笑っていた。


 世の中は知らない事ばかりだ。そしてその大半が知らなくていい事ばかりだと思う。


 ……。


 ……。


 返事はない。暫くしてラズウェルはすうっと息を吸い込んでいる。


「……起きないと、潰すぞ? ゴルァ」


 聞き違いかな。聞き違いかもしれない。あんな綺麗な顔で。ポンポンと耳を叩いてみるが平常に思えた。


 でも。絵面は『見てはいけません』と叱られるような絵面だ。


 石に凄む成人男性……。地面に叩きつけると踏みつけている。『潰されるかぁ。このままよ? あ゛あ゛ん?』いや。いろいろな意味で怖い。


「存外口悪いよ? ラズウェル君は。うーん。一体誰が育てたのか」


「いや。口だけでは無いだろ。それに育てたのはお前だろう?」


 塔主の突っ込みに『はははは』とわざとらしく笑っている賢者。それをじっとりとした目が貫く。すぅーっと息を吸う音が妙に響いた。


「そうだったかなぁ。年を取りすぎると昔の事は悪れるねぇ? 」


「便利だな。その年寄り設定。私ですら許されないのに」


「うんうん。だろ? 君たちより私は長く生きてるからな」


「褒めてないですよ。賢者様――それに、ほら」


 アシッドが呆れたように付け加え、ラズウェルの方に目を向ける。


 さあっと流れていく一陣の風。それとと共に更々と光が人間の形を取っていくのが分かった。銀色の青年。暗い空で見たいつかの青年は、明るい空の下で見ると存在すら薄れて見えた。


 機嫌が悪そうに青年テアドロはラズウェルの前に立った。


「踏むな。クソガキ。やんのか?」


「吠えんなよ。俺よりも弱ぇくせに」


 ち。と舌打ち一つ。テアドロは睨みつけるようにして私を見た。込められる憎悪と、あの夜るの記憶。それが重なって私は肩を揺らして、二、散歩後ずさる。それを抱き留め、私を護るようにアシッドが私の前に立った。


 暫く睨み合っていたが、辺りの緊張を解すように溜息一つをテアドロは落し、多少悔しそうに視線を逸らしてから銀の髪をかき上げてみせる。


「……何もしねぇよ。この図体ばかりがデカいガキが言ったように俺に今は分がねぇし。そこのユリオスもいるし。ああ。むかつく。――それで? お前。何が聞きたい? 言っておくが知らないことの方が多い。いちいち聞く必要は在るのか?」


 知らないことはなさそうだけど? と付け加えながらラズウェルに目を向けた。敵意の維持混じる視線。それに『は』と小さく嘲るようにラズウェルは笑って見せた。ひくりと口の端がつり上がるのが分かった。


「無いな。別に確認するだけだし。後は俺の個人的なものだ」


 あっさり言う言葉に一拍置いてから多少苛立ったようにテアドロは静かに言葉を紡ぐ。


「……それで? 何を確認したいんだよ」


「この世界を呪っている?」


「はぁ? 当然だろうが。人間だぞ。人間。それを殺すために『魔法石』はここに存在してる。ユリオスとお前が変なだけで。意志を持たなくても本能的に分かることだろ? その女の意識を潰せば世界は終わる――無限の魔力は俺たちを満たし殺し続ける」


 一瞥された視線はあの夜の様に冷たく、まるで視線だけで殺されるようだった。感じられるのは強い殺意と呪い。


 本体から引き継がれた深い憎悪がそこに横たわっていた。それはきっともう癒せることは無いだろうことは私にも分かる。


 微かに震える手を抑えて、ぐっと口元を結ぶ。それはほとんど無意識だった。


「どうして?」


 どうしてという言葉には。と小さく――嘲るように笑う。


「知っているだろう。前世界の人間はアンタらに滅ぼされてこの世界が始まっている。呪わない方がおかしいだろ? なぁ? ユリオス」


 歴史ではその戦いに置いて詳しい事は記されていない。英雄てあった青年とその仲間の話で綴られているのみ。もうそれがあったか無かったかと思うほどの過去――伝説の話だ。


 テアドロの中では――たぶんこの間の話なのだろう。


 ……どう言っていいのか分からなかった。何を言っていいのかも。それはきっと呪われても仕方ないのではあるけれど、やはり私は人間皆が滅びればいいとは思えなくて。


 皆には幸せになって欲しいから。


 どう――考えているとポンと肩に軽く手を置かれた。


 隣に立つのは賢者で薄い笑いを浮かべている。どちらかと言えば軽薄だ。


「私は『昔』から変人で通っているからね。仕方ないね。でも私は思うんだよ」


「は?」


 にっと笑顔が深まった。刹那。青い炎がごうっと低い音を立ててテアドロの周りを囲む。それはまるで生きているようで身体に絡みつくようでもあった。


 息を飲むのが聞こえる。その双眸は絶望に揺れているように見えた。だが、権者の双眸に何の感慨もなく、淡々と口を開いていた。

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