第35話 父
父についての確かな記憶はこれっぽっちも残っていない。随分昔の事だし、母の記憶ですら曖昧なのに。
『父』と名乗った青年――ラズウェル――は実際の所本人では無いらしい。ここに『いた』頃までを映した記憶の残滓。であるのでこの場所でしか現れる事無いらしい。
にしても。私は近くの東屋に座らされてお菓子を食む。そのまま目の前に座った青年をまじまじと見つめた。
年の頃は私達とそれほど変わらないだろうか。藍色の双眸は星を散りばめた様に輝いている。プラチナブロンドというのだろう。絹のようなさらりとした髪は柔らかく風に揺れていた。人間離れした美貌は、賢者やテアドロと同じで。近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
つまりは父と言えど何処も似ていない。なおさら親子という実感は遠くなるばかりだ。家族が増える。それは喜ばしい事だろうけれど、塔主の時の様に何の感慨も沸かなかった。
親子の対面――ということで二人っきり。アシッドはここから姿確認することはできなかった。
そんな気遣いは無用なのに。と心の中で愚痴る。
「にしても。よく似てるな」
ふわりとラズウェルは微笑んだ。それはとても嬉しそうだ。
「母さまにですか?」
「そう。俺はあんたより少し若い頃のあの人しか知らないけど。そっくりだと思う」
そう言われるとすごく嬉しい。私の記憶の限りでは『母は美人』だったから。パッと赤らんだ頬でかを上げる。それを溶けるような優しい瞳で見つめていた。まるで愛しかった『誰か』を見るようだ。
それが些か面映ゆい。
「つ……あのっ。母さまはどんな人でしたか?」
うんと考えながら宙を仰いだ。視線は懐かしそうにでもどこか悲し気に細められた。人間らしい表情はその容姿と乖離する。
「どんな、か。――性格はそうだなぁ。基本は好奇心の固まりだったかな。ここを抜け出すのは当たり前で。ま、そんなものは大人になるにつれてゴリゴリとあの人に削られていったけど」
あの人。苦々し気にそう言う視線がちらりと塔主に向けられた。あまり良い関係ではないのたろう。どこか敵意を感じた。ただそれを表に出すわけでもなく溜息一つを重々しく吐き出した。ゆるりと辺りを見回す動作をしてから私を見た。
「あぁ。花は好き?」
「はい。花というか――植物が?」
主に食べる……とは言わなかった。そう言えば愛でることはしていないような。基本花は愛でるものでらしいが――そんな事を考えていると近くの青い花を手折った。
それをすっと私の前に差し出す。それは鐘を逆さにしたような可憐な花であった。悲しいことに使えない――効能など感じられないただの花には興味がない。それ故名前も分からなかった。
リンと小さく音が聞こえてきそうである。
「今の俺が知っている限り、あの人は『花の様な人』だったと思うぜ。凛として立つ野花のごとくとでもいうのかな。枯れることもなく、折れることもない――そんな人だった」
会いたいな。
ぽつりと零した寂し気な声に万感の思いが込められている気がした。ただそれだけの言葉。それ以降は続かない。聞こうとも思わなかった。
静かな時が流れていく世界。それはどことなく母さまをどこか悼んでいるようにも思えた。
「そう言えば。メリルだっけ? 名前」
どのくらいの時間が経ったのだろう。それともそれほど時間は経っていないだろうか。よく分からない。ふと聞こえた切り替えるような声に顔を上げていた。
「はい」
「俺が付けたのかな? でも、それならきっと本当の名前は――」
少し考えて口を開こうとしたところを遮るようにして、ポンっと肩を叩かれる。
そこには太陽の光を移したような輝きを持つ青年――賢者がにっこりと嫌な笑みを浮かべて立っていた。
まぁ今更なので驚くこともない。賢者がこうして現れる事は割とよくあることに分類されるから。
神出鬼没だな。本当に。
「やぁ。ラズウェル君。久しぶりだねぇ。まったく、この私を騙して、こんな所にバックアップを取っているなんて。思いもよらなかったよ。大切に育てた第一弟子に裏切られて悲しいねぇ。私は。メリル君は裏切らないでくれたまえよ?」
うーん。私は弟子だったろうか。と考える。あまり直々に教えてもらったことない様な。ラズウェルを見れば深い皺を眉間に寄せている。
心底嫌そうなのだけれど、そんな事を気にする賢者ではなかった。
「先生……こいつ呼びやがったのでございますかぁ? 義父さま」
賢者の出現に気づいたのか小走りで駆け寄ってくる塔主とアシッド。息切れを軽く起こすおじいさんに孫が寄り添っている図にしか見えない。介護……と言ったら睨まれそうだ。
はぁと息を整えると塔主は顔を上げた。ぎりりと睨む双眸にラズウェルが怯むことは無い。むっとしたように口を曲げる。その様子が些か小さな子供の様だ。
「貴様は言葉遣いを治せ。いい加減に。ったく。私がわざわさユリオスを呼ぶはずは無いだろう? ここの鍵は私なのだから私がいないと基本入れんよ。ここにそうやすやすと入ってもらっては困るのだが?」
じろりと睨まれても軽く肩を竦めただけだった。当然の様に悪びれる様子はどこにも無い。にこりと笑った賢者は近くの椅子に腰を掛け、長い脚を組んだ。それを胡乱に塔主は見つめる。
「とにもかくにも私を除け者にするのは良くないよ。ゼル君。ただメリル君とラズウェル君を合わせたかった訳でもないだろ? 何のためにここに連れてきたんだ?」
「私が家族愛に目覚めたとかは考えないのか?」
「は。それは面白いと思うね。元々『あった』ものに目覚めたとかもないし。その歪さが人とは違うだけだし、君」
反論する気も失せたのか溜息一つ。塔主はすっとその皺に埋もれた目で魔法石に目を向けた。相変わらず大きく異彩を放っている。
「ラズウェル」
「わぁってる――ますよ。じゃあ。ここからは俺が説明する。アンタをここに呼んだ理由を」
にっと藍色の双眸が細められた。
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