第34話 ラピスラズリ
――扉をくぐれば別世界でした。
そんな話あるんだなぁ。なんて私は暢気な事を……いわば現実逃避をしていた。塔主曰く、ここは『前世界の技術』を使って動かしているらしい。つまり魔術なのだと。何でも前世界で片付く不思議。いいのかそれでと思ったが実際そうなのだから仕方ない。
永遠に続く様な平坦な地面には短い草に紛れて白い花が咲いている。もうすぐ闇夜が訪れる筈であった空は未だ昼のように青く、世界はどこか霞が買っているように思えた。
どこか張り付く様な空気感はどこか異世界にいるるような感覚がした。なぜか――と考えて『音』というものがしないことに気づく。
虫の音も、風の音も。動物の微かな息遣いすら聞こえない。まるで絵の中に閉じ込められたような気分だ。
「ここは?」
さくりと地面を踏みしめる音が妙に耳に響く。
後ろから付いてくるのは塔主。そしてここに付いてくると譲らなかったアシッドだった。尤も塔主としては私一人を連れて行きたかったようだ。ただそこまで塔主はアシッドを拒否をしなかった。
ちなみにグスタは突然の事だったので賢者に知らせる役割を担っているため残してきた。ちなみにグスタ本人としては面白そうだから付いてきたかった様子ではあった。『後で合流するから』とにこりと尾顔で言っていたのを思い出す。
そんな事は置いておいて。
「まず最初に覚えて欲しいのは、私はあなたに害を及ぼす為にここに呼んだのではないし取って食べるつもりなど毛頭ない」
塔主はしゃがれた声で言った。
「というと?」
促すようなアシッドの言葉はどこか警戒するようだ。しかし塔主は表情を変えることなくアシッドを一瞥し、ゆるりと空の向こうに視線を投げた。そこにまるで何かがあるように。だけれど当然のようにそこには何もない。
「ここは世界の中心――『塔』と呼ばれる所だ」
何もなかった世界に突如として古びた大きな建物が現れた。どうやら『塔』というのは名称で。特に塔で活動をしているわけでは無いのかも知れない。塔と言えばうず高く、空にも届きそうな建物を思い浮かべるがそれほど高くは無く、どちらかと言えば小さな塔――時計塔の様な――が四方に付いた大きな建物だ。大きすぎて私には全貌など分からないのだけれど。
ともかくとして古びていてどこかかび臭い。中は冷たく。どこか肌寒く感じた。いや。それよりも。と軽く息を飲む。
同じような視線。同じような表情が私を貫く。
期待の様な。憐みの様な。その中に微かに混じる畏怖――だろうか。それはとても気持ち悪いもので、居心地が悪い。当然として私はここにも来たことも無いし、何かをした覚えが無いのだから、これは『聖なる力を持つもの』に向けられたものなのだろうことは分かった。気にしなくていいとは言われたけれど、そんな精神は持っていない。ただ。アシッドが手を握ってくれていたことが救いだった。
通り過ぎる塔で働く人を無視して。たどり着いた先は塔の中心部。
建物の中。抜けた広場のような所だった。空を仰げば先ほどまで見ていた空ではない。澄み切った蒼穹。辺りはまるで公園のようだ。木々が植えられて、鳥が羽ばたいている。外には気配さえなかったのに……。ここには『生』が溢れている。そう思った。
中心には東屋。そこにたどり着けば大きな――それほど腰を抜かすくらいの――『魔法石』が鎮座していた。
魔法石……だよね。と改めて思う。魔法石以外で考えれば宝石だろうか。宝石ですらこんな大きなものは知らない。
その石は最上級魔法石――どこからどう見ても――らしく美しい輝きを放ってはいるがふとした瞬間に無色になる。その瞬間はまるで、……そう。雫を見ているようでもあった。硬いものではない。今にも落ちて崩れそうな柔らかさを持っているからさらに不思議である。
いくら――はもはや考えるのは無粋だろう。
「魔法石?」
呆然と。それこそ馬鹿面を下げて私はそれを見つめて呟く。
塔主はちらりと私に目を向けてから何の躊躇もなくそれに触れた。少しだけ水の波紋が広がるように色が変わることも不思議だ。
「そうだ。現状世界最大の魔法石で塔の要。火も水も。光でさえ塔のすべてはこの石で賄っている。尤も――世界はそれを知ることは無いが」
「……あぁ。知ったら大変なことになりそうですよねぇ」
最上級の石一つ見つかっても大騒ぎ。どこの国が持つかでもめ、戦争になりかけた歴史もある。現在は微妙なパワーバランスがどうのこうのとあるらしい。これがどのくらいの力を持つか分からないが世間に出さないほうが平和な気がした。
「これを見せたかったのですか?」
アシッドの声は不思議そうだ。
確かに価値――価値どころの騒ぎではないが――あるものではあるが。私たちに見せたところで私達が何かを得ることもなく。私はいいがアシッドに秘密を漏らすことの無いように余計な重圧が圧し掛かっただけのような気がする。
欠片を持って帰らなければ割に合わないと考えるが、魔法石は本体から離れて欠片になれば『屑石』となり果てるのは有名な話だ。
つまりただの石。
「いいや」
ふわりと塔主の足元に風が絡んでローブを軽く巻き上げた。何かを急かすように。少しだけ嫌そうな顔を浮かべたのは気のせいだろうか。無表情のまま塔主は言葉を続ける。
「ラズウェル。居るのだろう?」
刹那木の葉が舞い上がり、人の形を作っていく。辺りに突風をまき散らしたため目も開けられていなかったが、ピタリと風が病んだ世界の中で一人の青年が立っていた。
ラピスラズリを溶かしたような藍色の双眸が印象的な青年。絹糸の様な白い髪が更々と風に靡いている。
彼は私を見たまま艶やかににこりと笑うと。
「うっせ。義父さま。早く呼んでくださいやがれませ。このヤロウ」
どう考えても似合わない言葉を発した。
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