第33話 鐘

 世界は朱色に染まっていた。夜と昼の間。どこか寂しさが漂う世界で、子供たちは帰路に帰る。影が濃くなった街にぽつぽつと『魔法灯』の光が淡く輝き始めていた。


 ほとんどの町々が魔法石を捨て他の動力――油など――で動かしている物であるが首都ではどうやらそうでは無いらしい。『怖くないのか』とサンドイッチを売ってくれたおばさんに聞けば、魔法石はこの首都で管理している訳でもなく、首都から少し離れたところで管理していると言うので問題は無いのだと言っていた。


 エネルギーも『外』で生み出してこの首都に引き込んでいるのだという。


 火も水も。光でさえも――スイッチを回せば手に入る。そんな私たちの町や村とはかけ離れた世界だった。だって魔法石を使えるときでさえ私たちは魔法石を直接使っていたのだから。


 至って平和でのんびりとした朱の世界。それを見ながら私はパクリとサンドイッチを食んだ。


 時計塔はいつからここに立っているのか、とても古びたものだ。丁寧に石で積み上げられたレンガは所々補習の痕がある。見上げればやはり大きく、その割に入口は小さな木製の扉が付いているだである。もちろん南京錠で施錠されてはいるのだか。


 時計塔を囲うようにして公園がある。その公園の片隅。よく塔が見えるところで私たちはぼんやりと座っていた。


 ここでそれほど待っていないがグスタはまだのようだ。


 些か燥ぎ過ぎた為か軽い疲労感。それでも悪いものではなくいいものに感じられる。ふわりと柔らかな風が気持ち良くて、眠気が襲ってくる。そのまま食べ物を落としそうになって慌てて膝の上に置いていた。


 眠気を噛み殺しながら軽く伸びをする。このまま眠ってしまって、起きたら夢だったと言われても信じるかも知れない。


 いや。起きることが出来るのだろうか。


 だから今は眠りたくは無い。すべてが消えてしまいそうで。


「メリルちゃん。大丈夫?」


 そんな私を心配そう双眸が覗き込んでいる。私は目を軽く擦った後でへらり笑って見せた。


「大丈夫。少し眠くて。多分ちよっと燥ぎすぎた見たい。で。少し疲れたかなって。アシッドは問題ない?」


 見たところ何も問題はなさそうだった。――よく考えたら燥いで騒いでいたのは私だけで、アシッドは静かに目をキラキラしていただけな気がする。どちらが疲れるかと言うのは明白で。その上アシッドにはさすがというべきか体力がある。まだ余裕そうで遊べそうで羨ましい。


 昔はあんなに病弱だったのに。


「俺は大丈夫だけど。少し寝る? グスタはまだ来ないみたいだし」


 言いながら見回して未だその影さえない。小さな子供と目が合って、軽く手を振れば『ばいばい』と返してくれた。


 可愛い。


 私たちにもあんな時間があったし実際アシッドは可愛かった。


「ううん。ありがと。でも起きてるよ。なんだか眠るのが勿体ないし」


「……そう」


 アシッドは私の何でもない言葉に小さく声を漏らすように返した。続きを開きかけて閉じるのは何を言いたかったのか分からない。それが紡がれることは無かったから。その双眸が苦渋に満ちていることに私は気づかないままにサンドイッチを持ち直して口に含む。


 ピリ辛のソースが美味しい。


 食べながら空に視線を投げれば、藍色が溶けだした空に一番星が輝いている。でも流れ星が見えるまでには至っていなかった。


「……メリルちゃん。前に俺の願い事を前に聞いたよね?」


「そんな話もしたかも」


 星を見て思い出しのだろうか。あの時の事を。同時に私もあの時の事を思いだして恥ずかしくなる。とんだ醜態に少しだけ頬が染まるのを感じながらはぁと軽く息を付いた。多分。その色は夕日に染まっているために目だつてはいないだろう。


 多分。そう願いたい。


 にしても。ちらりと隣を見れば青年の整った横顔がある。


 何度も言うが賢者辺りが異常なだけで、普通に。歩けば女子が振り返るほど整った顔たちをしている。凛とした顔つきは幼い少年の頃とは正反対だ。


 私の視線を感じたのかゆっくりとアシッドは訝し気な目を向けた。


「どうしたの?」


 本人は田舎に居る為その顔立ちに気づきもしない。私が知りうる限りでは女子とは浮いた話は無いのではないだろうか。興味が在るのか無いのかは知らないけれど。もしかしたら対象は女性ではないのかもとふと考えて悲しくなった。


 ……だって叶わないし。可哀相。


 この国。同性婚は認められていないのだし。ちなみに私は理解がある方で。聞きたいとか思ってしまうがそこは繊細な問題だ。ぐっと堪えてから言葉を紡ぐ。


「強く生きようか? 応援するよ」


「うん……うん? 何を考えてい――じゃなくて。メリルちゃん。俺は真面目に話してて。真面目に聞いて」


 何の話だ。と言いたげな双眸でぽかんと私を見ていたが我に返ったようにコホンと咳払い一つ。たしなめるように言い放った。


 励ましたつもりなのになぜだろう。


「至って真面目だし?」


「何を考えていてのかは知らないけど、そんな事は分かってるよ。ともかくとして。俺の願いは……」


 私は声を遮るようにしてひらひらと手を振っていた。にっと笑うとアシッドは戸惑ったように私を見つめた。


「いいよ。言わなくて。アシッドの願いが叶わなかったら嫌だし。願っているよ私。アシッドの願いが叶いますようにって」


「俺の願いは」


 叶わない。


 そんな言葉が私に届くことは無かった。小さく掠れた声は風に乗って消えていく。落された肩。なぜ落ち込むのか分からずに私はポンポンと慰めるようにして背中を叩いていた。


 ゆるりとアシッドの視線が私を見つめる。


「メリルちゃん。俺は」


「えっと。薬――飲む?」


 元気は――出ないかも知れないけど。『飲まない』と即答で帰ってきたときは悲しかった。どうしようか。とそんな事を考えている間に私たちの周りに影が差す。


 見上げると見慣れた青年――グスタと共に老人が立っている。久し振りの塔主はちらりと冷たい表情――なんだか嘲りにも似ている――でアシッドを見、私に視線を移した。


「お邪魔だったかなぁ?」


 どこかわざとらしくそう言ったのはグスタの方。少し笑いかけているのはなぜだろう。その視線の先はやはりアシッドで。アシッド本人は『特には』と少し不貞腐れているように見えたのは気のせいだろうか。


 子供ではないのでそんなことは無いだろうと考えながらグスタに目を戻す。


「この爺さんが探していたから連れてきた」


 爺さん……。その人は『偉い人』らしいのだけど。賢者もそうだけれど、それでいいのだろうか。……まぁ本人は表情が変わらないので良いのかも。


 うん。と軽く頷いてから塔主が口を開く。


「久しいな。漸く準備が整ったんだ――行こうか?」


「行く?」


「あぁ」


 突然の事に私は目を瞬かせていた。なぜというよりどこに。という言葉を察したように塔主は視線で後ろの時計塔に目を向ける。


「この中だ」


 その言葉と同時だっただろう。


 低く、荘厳な鐘の値が答えろようにして辺り一面に鳴り響いていた。

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