第32話 休憩


 ロックフードはこの国の首都である。私の居た小さな田舎町とは比べ物にならないほど栄えていた。いや、私から見ればあの町も立派な都会だったのだけれど。


 都市の中心部に佇む城は古く前世界直後に建てられたものだと言われている。その為武骨で近現代に建てられたものとは異なる戦争を想定した作りとなっている。今でも現役で使われて重要な会議や式典はその城で行われていた。


 その城を中心に町は放射状に広がって、中央区から五つの区画に分かれている。中央区が尤も古く、外に行けば行くほど新しい区画になって行った。


 ――とまぁ。そんな事はどうでも良くて。


「ふぅああああ。お祭りでなく? お祭りでなく? この人通り?」


 まるで人の川だ。


 私は目を輝かせながら第五区画。商業通りに立っていた。隣には同じような顔をしたアシッド。道案内薬のグスタが苦笑を浮かべて見せた。


 もはや子供たちを連れている父親の顔にしか見えないのは気のせいだろうか。


 当然私たちは成人しているのだけれども。少し恥ずかしくなったがやはり興奮は止められなかった。だって。道端に見も知らない食べ物が売っている。ショーケースから見える者は食べ物なのか小物なのか判断付かないくらい綺麗で。


 アシッドの頬も赤く『すげぇ』と呟いているのが聞こえてきた。いろんな所に行っているが首都には来たことないらしい。そしてどんな所よりも首都は物珍しいのだろう。


「……あぁ。特には。いつだってこんな感じだ。――そうだな、祭りの時はこの倍いるかな。そん時は歩けないくらいだ」


「へぇええええ」


 想像できなくてなんだか凄いものに聞こえる。思わず出した子供の様な感嘆の声。『ははは』とグスタは笑って見せた。どう考えても内心『ガキかな』とか思われていることだけは確かだ。


「けど――良かったのか? あのロナって子を置いてきて」


 ここはパン屋だろうか。ガラス張りの向こうに並んでいる商品は町で見たもの以上に種類は多くつやつやとしている。ともかくとして硬そうではない。それだけでおいしそうだ。


 涎を垂らしそうな自分の顔がガラスの反射で見えて咳払い一つ。すっと背を伸ばして見せた。名残惜しく指でガラスをなぞってからグスタに目を向ける。


 いまさら。という目で見ていたが気にしない。


「一緒に来られたらいいのに。と私も思ってたんですけど。賢者様が」


 本来――。ここに来る予定は私にも賢者にも無かった。あのまま。そう。眠るはずだったのである。塔主を見届けに呼んだのもそのためで。本当にその言葉には他意は無かったと語っていた。


 私が今ここにいる理由は塔主の意向で。


 『見せたいもの』というのは未だ見せてもらっていないし、具体的に何かも教えてはくれなかった。ただ首都にあるらしい。そう言うのでここに居るだけなのだけれど。


 もしかしたら――。と考える。


 見せたいものなど本とは無くて。私が可哀相に映ったのかも知れない。仮にも孫――実感は薄いが――で何かをしてあげたかったのかなんて思う。


 例えばそれがこんな楽しい街を見ること、とかだろうか。


 もしかしたら本当に見せたいものがあるのかも知れないけれど。


 そう言えば首都に来てから『行くところがある』と姿は見ていない。


 青空は高く、ゆったりといつもの様に流れていた。何事も無いように。青空は今日も廻っている。明日も変わらないのだろう。となんとなく思った。


「ロナは残念そうでしたけど」


 宿――というかグスタの家に泊めてもらっているのではあるが、そこで賢者に引っ張られる様にして机の前に座らされているロナを思うと涙が出る。


 ……。


 ……まぁ。どうせ逃げるから良いのだけれど。しかもなぜか賢者が楽しそうというおまけつき。仲いいなとは思う。


 いや、そこまでグスタに言う必要はないか。とグスタを見上げた。


「でも良いんですか? いろいろ配慮してくれて」


 ボロボロになった服まで新調して貰ったし。賢者様と塔主を除く三人分。しかも古着ではないというなんと贅沢な。


 グスタは肩を竦めた。


「世話になったのはこっちだろうよ。なんせ部下の命まで助けてもらったんだ。あのままじゃアイツは死ぬところだっただろうし。それに薬は本当に助かってるんだ。その価格以上にな。そのお礼と思ってくれればいいさ。尤もこんなことじゃきっと足りないだろうけれどな。うん――なに。本来の目的なんて途中事故に会って死んだとか言えば特にはバレねぇだろ」


 バレたらどうなるのか。とても気になったが、多分バレることもないだろうからいいのだろうか……。いいのかな……。どうせ捕まるし。


 うーん。と小首を傾げて見せた。その横でアシッドが口を開く。


「もしかして脳筋……」


 こんな素直に思ったことを口にするような人ではないのだけれど。まぁ熱に浮かされているのだろうことだけは分かる。未だ横顔は幼い少年のようだ。


 すこし驚いたような顔でグスタは数秒瞬いた後で声を出して朗らかに笑って見せた。


「はははは。かもな。考えるのは嫌いだ。面倒だから、普段は細かい事は考えないようにしてる。まぁ。何とかなると思う。死にゃしない」


「だと、いいんですけど」


 溜息交じりに言うとグスタは少し口を開いて閉じた。何かを言おうとしたのたけれど飲み込んだという感じだ。恐らく次に紡がれる言葉は別のもの。


「そんなことより。二人で街を楽しむといい。第五区画は比較的道も分かりやすいし、昼間はまだ安全だ。口開けてぼんやりしていなければスリとかもねぇだろ」


「あの。でも、ここ迄来た道をよく覚えていなくて」


 恥ずかしながら周りに気をとられすぎて記憶は真っ白だ。宿まで帰れと言われて帰ることが自身は無かった。ちらりと横を見れば――あぁ。ダメだと思った。『ごめん、自信ない』と顔を引きつらせながら小さく呟いていた。


 何度も言うが成人している筈の私たちである。


 うん。だろうな。とグスタは小さく笑った。それほど年齢は離れていない筈なのだけれどこの違いは一体。


「あそこに鐘の塔が見えるか?」


 少し離れたところに、見やすく高いレンガの塔が立っていた。その塔より高い建物はこの区画には無く、恐らくあの塔からこの区画を一望できるはずた。塔には大きな時計と鐘。民に時を告げる役割を昔から担っているであろうことが伺えることができる。


「この区画のどの道から行ってもたどり着けるはずだ。夕方。あの金が鳴る頃に迎えに行く。あぁ。あとこれも持っていけ」


 渡されたのは小さな巾着で。ズシリと重く、動かせばじゃらりと金属の音。どう考えても――硬貨。これはどれくらいあるんだろう。では無くて。


 私は慌てて顔を上げていた。


「いや、ここ迄してもらう訳には――」


 少しではあるけれど、私だってお金くらいはある。……銅貨ばかりだけれど。そう言えば先ほど見た雑貨の価格は変えなかったことを思い出していた。


 物価は田舎よりかなり高いらしい。


 ……。


 い、いや。見ているだけでも楽しいし?


「メリルちゃん。もいないから」


「……あれ?」


 確かにもう居なかった。人ごみに紛れてその背中も探せはしない。


 どうしよう。考えている間にひょいとアシッドが巾着を摘まみ上げて中身を見つめている。


 ……。


 なに。その無言。


「アシッド?」


「……」


 いや。だから無言は何。怖いけど。


 アシッドは無言、無表情のままアシッドは胸のポケットに仕舞ってからポンポンと確認する様に叩いた。


 何事もなかったようにパッと笑顔を向けるのがさらに不気味だった。多分こうなったら言うつもりは無いのだろう。


 そうなれば予測は簡単で。


 ああ。と低く呟くしかない。


 金貨だ。この国には大きく分けて『銅貨』『銀貨』『金貨』で貨幣は流通しているけれど、金貨なんて私は見たこともなかった。


 私が持っていたら気になって歩けないかも知れない……。というかこの人ごみ。不審者になる自信はあった。


「あの――アシッド……」


 アシッドはきゅっと私の手を握った。温かく起きな手は少しごつごつして私の手とは大違いだ。


 グイっと身体ごと引っ張るアシッドは悪戯っぽく子供の様に笑う。それは本当に楽しそうで。それが私は凄く嬉しく思えた。それがたとえ誤魔化すために浮かべた笑顔だとしても。


「さぁ。行こうか。俺も少しは持ち合わせあるから。ロナに何か買って行こうよ」


 楽しもう――。


「……うん。うん。そうだね」


 私は言葉を口の中に続けて転がす。それは多分アシッドには聞こえていないだろう。


 『これが最後だもんね』


 気持ちを切り替え笑顔を浮かべて見せた。心のすべてを『楽しみ』で塗り替える。


「――あ。向こうに『駅』があるんだって。アシッド乗ったことある? あのね私は――」


 問いかける声は喧噪の中に掻き消えていった。

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