第30話 選択肢

 ――さて。メリル君には三点の選択肢がある。


 賢者は淡々とそう言った。


 一つ。塔に保護してもらう。


 二つ。その身体ごと封印し、寿命が来るまで眠り続ける。


 三つ。誰もいない世界で一人静かに暮らし続ける。


 それ以外の選択肢はもう無いのだと。





 地下から出ると満天の星が輝いていた。心地の良い冷たい空気。少しだけそこから離れるように歩くと池が見えてくる。こじんまりとした小さな池。その水面は凪いで以前見た時よりも細くなった月を映し込んでいた。


 あれから二日ぐらいは経っているだろうか。時間が経過するのがものすごく早い。そんな気がする。


 考えながら身体を大の字にさせて地面に転がった。耳に入り込むのはリンリンと鳴く虫の音。目に入るのはフワフワと浮かぶ淡い光。雪が舞っているかのような――虫の光。辺りを照らしはしないが、温かさがそこにある。


「メリルちゃん」


 声に視線を向ければそこには見慣れた青年が眉を下げて立っていた。『座ってもいいかな』おずおずと問いかける声。私はうんと軽く答えていた。


 青年――アシッドが私の隣に事をかける。その横で上体を起こして膝を抱えるように私は座っていた。


「もぅ。そんな腫れ物みたいにびくびくしなくても良くない?」


 気にしていない。そんな訳は無い。それなりにダメージは受けているし、時間も与えられていないため心の中に焦燥はある。


 だけれど。周りがそんな痛そうな顔をしていたら私は笑うしか無い。


 ――大丈夫だって。何とかなるって。そう言い聞かせるのは自分自身の為。握りしめた拳を無理やり解いて笑顔を浮かべる。少しだけ引きつっている気がしたが。多分大丈夫だろう。


「あ。アシッド。そう言えばお礼を言うの忘れてた。遅くなってごめんなさい。――ありがとうね。助けに来てくれて。信じてたよ。来てくれるって」


 暗くて良く見えないが照れた様にその双眸が揺れる。アシッドは慌てて視線を引きはがすと空を見上げた。さすがに照れているということはなんとなく分かる。


「――つ」


「へへっ。お礼は何がいいかなぁ。特製ジュースとかは?」


「嫌だよ」


 うーん。相変わらず即答は無い。今できることはそれしかないのに。改めて考えると言っても時間などない。それほど待てない。そう言われていたりするのだし。


 酷いなぁ。


 ともかくとして何を返そうか。考えながらポケットを弄ると……薬の瓶だ。空瓶。少しだけ視線をずらして、地面を凝らすと小さな花が割いている草がある。暗くても少しだけ浮き立つように映えるその花を手折ると瓶の中に入れた。


 いつだってアシッドが幸せでありますように。そんな願いを込めて。


 私に力というものがあればそれくらいは叶えて欲しい。と心の中で自分自身に毒を吐きながら瓶をアシッドに押し付けていた。アシッドは微妙な顔でその瓶を眺めている。暗い中でよく見ようと目を凝らして眉間に皺を寄せていた。


「幸せになる呪い付き。もう少しいいものをあげたかったんたけど。私にはもうこれくらいしか出来ないし」


「呪いって……」


「ああ。最後の聖女なるかもだし? 先祖代々大切にするといいよ。プレミアってやつ?」


 ふふんと自慢げに鼻を鳴らして見せる私に何かを言いかけてアシッドは口を閉じた。何かを言いたげな視線。それを無視して私は空を仰ぐ。


 このままで――ずっとこうして居られたらな。そんな願いはきっと叶うことは無いだろう。思い描いていた未来さえも。


 ここにいてはいけない。


 おかしいことにどうやら私はそんな存在らしい。賢者曰く、私は――私たちは人間を殺すための前世界が残した装置。魔法石に力を与え、魔法石に目的を与える。本来はそれがあるべき姿なのだと。それを何とか、無理やり塗りつぶして。現在の姿になったのだと。


 一つ解ければするすると解けるのは当然だと賢者は馬鹿馬鹿しそうに紡いだ。メリル君まで行かなくとも、途中で終わらせることも出来たのにと。


 溜息一つ。私は空を仰いでいた。流れ星をぼんやりと視線で追う。願い事を言うつもりは無かった。もう叶う事もないのだし。


「アシッドの願い事は何?」


「……俺の?」


「うん、うん。――ああ。でも。願いは言ったらダメなんだっけ? 『なら』私の願いはね。幸せな家庭だったんだ。皆と一緒に。絵本のように幸せに暮らしましたってやつ? ごくごく平凡な。そんな人並な人生を――」


 送りたかった。――送りたかったんだ。


 最後まで言えなかったのはアシッドが私を抱きすくめたからだ。震えているのは私の手。ぽたぽたと涙が溢れるのはなぜだろう。


 悲しくなんて無かったのに。大丈夫だって思っていたのに。うっと堰を切った様に嗚咽が漏れる。感情が溢れるようにして言葉が漏れる。


「おかしいな? 何でだろう? 大丈夫なのに。大丈夫だったのに」


「……うん」


「大丈夫だったんだよ。居たらいけないと分かっているし。迷惑だということも。私だってこれ以上は『殺したくない』でも――。でも」


 私が消えても世界は進む。アシッドたちは――生きるのに。


 どうして?


 どうして――私だけ?


 いや。だ。私だって。


 理想の未来があった。人生があった。


 ドクン。と心臓が跳ねた。締め付けられるように収縮してぐっと私は小さく息を漏らす。


 苦しい。悲しい。そんな感情を巻き込んで何かが外に出て行こうとするのが今回は如実に感じられる。その力を外に出せば楽に成れるのだろうか。こんな苦しみなんて無くなって、私は『聖人』みたいに心が綺麗になるだろうか。皆が好いてくれるような。私が消えないで済むような。


 それは酷く甘美なもののように思えた。


 手を伸ばしかけた刹那――。


「メリルっ」


 声が耳に届いて私は我に返る。一瞬何をしていたのか、何を言っていたのか分からなくなって、ゆらりと視線を揺蕩えば、こぽりと音を立てて生まれた『影』が霧散していくのが分かった。夜でもそこに闇が浮かんだかのような暗さに、背中が泡立つ。


 あれは良くないものだ。と私の本能が告げている。あれは呪いだと。人を殺す呪い――。


 きゅうと抱きしめられている腕に力が入る。それはもはや掻き抱くと言う形容詞が似合うように強く、私を逃がさない。そう言われている様でもあった。


 ――あぁ。こういう事なんだ。


 実感なんて無かったけれど。


 面白くもないのに自分自身が滑稽で小さな笑いが漏れる。私は小さく肩を揺らしながらアシッドの胸を押して離れた。少しだけ。


 寂しい様な気がしたのはきっと私自身が弱っているからなのかも知れない。


 顔を上げれば痛ましげに視線が揺れている。ペチンと触れたアシッドの頬は凄く冷たい。そのままぐっと掴んで頬を伸ばした。


「メリルちゃん――」


 見開いた双眸は『今はこんな場合ではないだろう』的な感情を映している。確かにそうなのかもしれないのだけれど。


 これ以上は考えたくないし、考えるのは止めた。出なければ私は感情の闇に飲まれてしまいそうだったから。


「私は。封印されようと思う」


「……つ」


 私は空に手を伸ばす。やはり掴めないなと、苦笑いを浮かべて見せた。


「うん。そうだよ。今思った。今決めた。あんなものに、皆殺されてほしくないから。あんなものを生み出したくないし。皆に、アシッドたちに幸せに生きて欲しいと思うから」


 世界の為にとか。これからの為にとか。これまでの贖罪とか――そんなものはすべて置いておいて。


 この人たちを。私の家族をあんなものに殺させてたまるか。そのためには。


「うん。そう決めたんだ」


「……怖くないの?」


 絞り出すような声。それは微かに掠れていて、何かを我慢している様だった。それを私は見ることはしない。


 見ることが出来なかった。私は空に視線を向けたまま、笑いながら肩を竦める。その表情がアシッドにどう見えていたのかは分からない。


「ま。眠るだけだし? でもさ。眠るまで側にいてもらってもいいかな?」


 漸く視界に入ったアシッドの顔は今にも泣きそうで。もういい大人なのに。子供の頃に戻った。そんなような顔だった。


 アシッド。そう名を告げれば、口元を僅かに開く。


「……俺は」


 さあっと声を遮るようようにして一陣の風が吹く。それと共にさくりと草を踏みしめる音。私は肩を揺らし、アシッドは反射的に攻撃に映ることが出来る体制をとっている。 


 そこには予想出来うる異形でも無く、知り合いでもなく。


 見たことも、会ったことも無い。そこには一人の老人が立っていた。けれどどうしてたろうか。私はこの人を知っている。そう思ったのは。





「あなたは――あれによく似ているのだな」


 星降る世界で。その老人はしわがれた声で私にそう言った。





あなたのために。




 助けたかった。


 終わらせたかった。


 すべてはそのために。貴方は。私のさいごを笑ってくれるだろうか。

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