第28話 過去3
ぱちん。と軽い音がして、ユーロの細い身体が音を立て地面に転がった。ジンジンと熱を持つ頬。ほとんど無意識に手を当て、視線を上げれば、そこにはみおぼえのある中年男性が立っていた。
白いローブを目深に被り、その冷ややかな双眸がユーロを見下ろしている。近くにはユリオスに抱えられた黒い影。それは小動物の姿を取っていたが、その実は目も口も無い。こちらを見ているのかも分からなかったか、心配してくれているのだと信じたかった。現にその小さなしっぽは項垂れている。
「使い物にならぬと思っていたが。これほどまで、とは」
噛み殺すような低い声。久しぶりに聞いたような気がする父の声はこんなにもひしゃげていただろうか。なんてユーロはどうでも良い事を考えていた。
異形は――聖なる力をもつものが生み出すらしい。らしいというのはユーロが読んだ本にそう書いてあったので、ユーロ自身にその自覚は無かったからだ。いつ――どこで。と考えたところで思い出せはしない。
強い負の感情。それによって生み出されるのであるらしいが。強い負の感情と言うことがよくわからない。あの人が苦手や嫌いは在れど――。それほどユーロの周りは希薄だった。少なくともあの異形に心を寄せるくらいは。
「お父様」
「塔主様と呼びなさい」
嫌そうに軽く眉を顰めたのはもはや気にもならない。落胆したようにはぁと小さく息を吐くのが聞こえた。軽く目尻を揉んでいる。
「……はい」
「ともかく。早く処理をしなければならない」
処理と言う言葉にばくんと心臓が跳ねる。ユーロは慌てて口を開いてた。
「で、でも。その子は別に悪い事をしてないんです。見逃していただけませんか?」
異形の本能は人を殺すことだ。だけれどあの『影』は人を殺したことがない。何年も何年も一緒にいたのだ。そんなことがあれば分からないはずはなかった。
ずっと眠っているか、隠れているか。ユーロが部屋に帰るといつだって迎えに来てくれたいい子だった。触っている感覚は無くても。温かな温もりも無くても。ユーロにとって大切な友達で在った。
悪いことなどしていない。何も罪はないのだ。しいて言えばユ自分自身に罪があるかも知れないとユーロは思う。ジワリと涙が浮かぶようでぐっと堪えた。
そのユーロを相変わらず冷ややかな目が貫く。それは明らかに娘に向ける目ではない。
「お前もだよ。ユーロ。まったく。母子揃って私を困らせるのだな?」
言われてユーロは視線を伏せた。そうかと今更思い出す。使い物にならないうえに異形を生み出したのだ。よく考えれば処理されるのはユーロも同じで。昔から異形を生み出したものはすぐに次代へと繋がれている。
それ以上危険が広がらないように。
自身のことは可哀相だとは思えなかったが、やはり生まれてくる子供が可哀相で仕方がなかった。
「せめて良い縁談だけは持ってこよう。それが決まるまでお前は謹慎していることだ」
「……はい。あの。でもお父様――その子は返してくれませんか? 私がここから出ていくまでで良いですから」
「塔主だ」
まぁいいと。どこか諦めた様に呟いて、父親はユリオスに目配せして鷹揚に頷く。それに応えるようにしてユリオスはゆるりと影を離してみせた。ぽてぽてと拙い足取りは子供のよう。両腕を大きく広げて迎えれば、ぽすりと胸に蹲る。少し震えているのはユリオスが怖かった為だろうか。それが可哀相でポンポンと背を叩いて宥める。
命とは言い難いその小さなものがユーロにはとても愛しく思えた。
誰もが出ていった小さな部屋の中で、ただユーロはぼんやりと窓から外を眺め、この小さな子をどうやって生かすか考えていた。
結局ユーロが思いついた事と言えばユリオスに頼む事だった。ユリオスが苦手……というより嫌いなユーロとしてはものすごく嫌だった。しかしながら背に腹は変えることは出来ない。塔の人間は異形を恐れ殺す可能性があるため――逆も然り――ユリオスしかいなかったのだ。
元々発生源は同じ――魔法石なのだから。ただ単に発生の仕方が少々違うだけだ。
断れるのを覚悟で言ってみれば案外すんなりと受け入れられた。ただし――外見は元の屑石に戻された訳ではあるが。それでもいいとユーロは思った。目の前で消されるよりマシだ。辛い思いをしないのならばそれで良かった。
所であまりも意外だったためユリオスにその理由を聞けば『ユーロ君が不憫で』と楽しそうに言われたのは忘れることが出来ない。ユーロとしては人間よりユリオスを呪い殺せないだろうか。と初めて殺意を覚えてしまったのは言うまでも無かった。
それから暫くし経たないうちにユーロの婚姻が慌ただしく決まりユーロは塔から出ていく事になり四年ほどの月日が流れていた。
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