第26話 過去1

世界の中心には『塔』がある。


 世界最大の慈善団体。どこの国にも属さず。実像はどこにあるのかすら分かっていないが、ともかくそれは世界の中心にあると言われている。そのアクセスの方法は秘匿されており、世界でも一部の王侯貴族。財界の雄。政界の支配者。それに古来から続く一族しか知らないと言われている。


 人々の間で実しやかに囁かれるのは彼らが世界の支配者ではないかと言う事だった。真実はどうあれ。塔には表向き一つの役割がある。それも大きく知られてはいないのであるが。


 『聖なる力を持つもの』を保護するという事であった。


 保護し――その力を塔と世界の為に癒しの力を利用するというのは建前で、魔法石に魔力を充填するために搾取するためにそこに留められているのはほとんどの人間が――聖なる力を持つものでさえ知ることは無かった。




 蒼穹に雲が浮いている。さわさわと揺れる草木。小さな丘の上。一つの大きな木の下で一人の少女が座っていた。膝を抱えて息を詰め。その灰色の双眸は微かに涙に潤んでいる。その視線が向かう先は微かに見える塔。幻の様な、絵の様な。それはどこか霞んで見え、現実の物とは思えない。実際に現実ではなく、向かえば何もない虚像のはあるが、そこには確かに『何か』はある。


 少女――ユーロはそこから逃げてきたのだから。


「戻りたくないな」


 きゅうと口元を噛みしめる。


 とは言っても。齢七歳にも満たないユーロには何もない。生き抜く力も。本来『聖なる力を持つもの』が持つ魔術を扱えることもなかった。そのお陰で『出来損ない』なんて揶揄されているのだけど。


 ユーロは『聖なる力を持つもの』であった。この世に一人。治癒を使える人間である。何があっても――死の淵にいてもそのものを引き上げる事が出来るという力を持っているらしい。らしいというのはユーロ自身扱えないから。それがユーロのここにいる存在意義であるのに。ユーロには何もできない。


 母は素晴らしい力の持ち主であったが、ユーロに力を譲ると――。


 嫌な事を思い出してポロリと涙が落ちる。両親の温もりなく、母の顔もそれほど知らないユーロだったが、やはり肉親が死ぬのはすこし悲しい。


 何もできない。そうして、母親の死。それが重なってユーロは塔を逃げ出していた。特殊な環境でいた為の癇癪だったのかも知れない。子供らしさを許容され所ではなかったのだから。


 尤も子供の足。それほど遠くに逃げられるはずもなく。こうして途方にくれているのだけれど。


 どうしたものか。辺りを見回しても、塔以外は見当たらない。それはそうだろう。ここは世界の中心で。塔以外は存在していないのだから。


 そんなことは教わっていたはずなのに。子供だな。とそれが悔しくて、やはり唇を噛むしかなかった。


「どうしよう?」


 戻りたくはない。かといってどこにも行く事が出来ない。行く方法も分からない。どうしたらいいのか――考えても分からなくて悲しくなってくる。


 このまま。ここにいるしかないのかな。


 聖なる力を持つものは心配されない。――だって。死なないから。寿命以外で死ぬことはできないから。俄かに信じたかったが、それが現実だとユーロは知っている。


 実際――事故ではあったが――窓から落ちたことがある。何階かは知らなかったが相当高かったと思うが、それでもユーロは生きていた。次の日には元気に歩き回るというおまけ付きで。後は腕を斬りつけてみたり……痛いのでもう二度としないが何ともなく傷は治ってしまう。


 それでも他人にそれを分け与えることが出来る『治癒』は発揮できはしなかったのだけれど。それが何とも悲しかった。


「餓死とかは……」


 試したくなくて慌てて頭を振る。基本痛みや、苦しさはあるのだ。怖くて出来るはずもない。それに泣きついたところで説強か怒られるだけなのだ。


 ユーロは溜息一つ。手持ち無沙汰も相まって、近くの石を手に取って投げようとしたが――ふと、気づく。


 黒く、何の変哲もない小さな石。だけれど微かな熱を持っている気がした。なんだか不思議で暫くユーロは見つめていると黒は闇に吸い込まれるような色に変化する。


 ――刹那。


 ユーロは小さく悲鳴を上げて石を投げ捨てていた。ほとりと音も立てずに落ちたそれ。その周りの草木が軽く焦げる。


 ちなみにユーロの指も軽く火傷を負ったが、痛みだけが残り痕跡は少しだけ赤くなっている事だろうか。


 涙目で痛みも消えてくれたらいいのにと愚痴を吐きたくなる。ともかくとして石が以上に熱を持ったのだ。


 ユーロは地面に落ちたそれを覗き込む。


「魔法石?」


 魔法石。前世界の遺産であり――現在のエネルギー元。これを燃やすことに寄り現在のほとんどの生活が賄われている魔力を帯びた石だ。


 ユーロは魔法石を見るのが初めてと言うわけではない。むしろ仕事柄見飽きるほど見てきているものだったが、魔力が無くなった屑石――もはや屑石とは言い難いが――を見るのは初めてだった。鈍い光を放つそれぱ、ユーロが軽く突くとなぜだかポコリと形を返る。まるで触られることを嫌がっているかのようにも見えた。


 そう。意志と言うものがあるかのように。


 ユーロは不思議そうに小首を傾げて見せる。確かにユーロは知っている。魔法石には意志があるものもいる。いや、元々すべての魔法石に意志はあったのだとユーロは習った。


 どんな屑石にでさえ。


 だから不思議ではあった――ほとんどの石はそんなものを持っていないから――がなんとなくそうだったら嬉しいと思う。


 味方になってくれるかもと思ったのかも知れないが、自分でもよくわからなかった。


「うーん。貴方のお名前は?」


 口も耳もない。当然ユーロの言葉に答えることはなかった。


 ユーロは再び魔法石を突いて、熱が収まっている事を確認すると、ひょいと摘まんでポケットに入れた。少しだけ抗議するかのように身動ぎしたが石に決定権はない。足も手もないのだから仕方ないだろう。


「ん」


 満足げにポンポンとポケットを叩くと向こうから走ってくる視界に入って顔を上げていた。塔の人間だ。連れ戻しに来たのだろうことは明白だった。


 でもどこか安堵を覚えた自分が嫌だったが今の自分にはここを出ていく事もままならない。仕方ないと顔を上げる。その顔は先ほどまでの不安げな子供の顔でなく、どこか大人びた様子を見せていた。


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