第24話  対峙

 パラパラと扉であった残骸が音を立てて崩れているる。チリリと床で燻っていた炎はもう無く。その代わりと言わんばかりに青い鬼火が辺りを照らし出していた。青白い世界。それが功をそうしているのかどうか。生々しさは微塵もなく、視界に入ってくるのは立っている青年の姿も相まってまるで物語の一説のようだ。


 ――けれど。


 何もかも現実だ。咽返る様な血の匂い。一歩足を踏み出せばびちゃりと嫌な音がした。


 怒りを奥歯で噛み殺しながらアシッドは対峙する青年を見つめる。背中にいるのは大切な人が崩れ落ちている。刺されたのだうか。その肩口から血を流し床を染め上げている。それでも意思の強い双眸は光を失うことなく、その手の中に必死で少年を掻き抱いている。もはや左手は動くことなどないというのに。


 絶対に護る。そう言わんばかりだった。


「メリルちゃん。もう大丈夫だから」


「――」


 返事はない。聞こえてないようだ。その目は確りと青年を捉えて離しはしない。意識を辛うじて繋ぎ止めているものは痛みと怒りだろうか。眦に涙が滲んでいる。


 アシッドはぐっと唇を噛んでから青年に目を戻した。


 出来れば今すぐに安心させたい。駆け寄りたい。そんな衝動を抑えて、剣を持ち直す。切っ先を突きつけられた青年は顔色一つ帰ることは無かったし、それどころか馬鹿にしたような表情を浮かべていた。


 苛つく。憎い。それがアシッドの印象だ。


「は。つまんね。王子様のお越しかよ?」


「何のつもりだ? 場合によっては――」


 と考えて。場合に寄らなくても『殺す』の選択肢しか思いつかない。内心煮えくり返っていた。煮えくり返って冷静になってしまうほどには。


 すぐにでも斬りかかりたい。その衝動があるが、アシッドとて剣を握るものである。相手の立ち振る舞いでどれほどの実力を持っているかはある程度分かってた。


 それほど簡単には行かないだろうし――恐らく魔術を使う。賢者と似たような雰囲気を持つ青年はアシッドの内心を察したようににこりと微笑んでいた。それはとても綺麗で。賢者を知っていなければ息を飲むような笑みだ。


 ――なんだ。と小さくどこか不満げに漏らすのは青年で。軽く肩を竦める。まるで自分自身は悪くない。そう言うかのようであった。


「何のつもりか。そう言われても? 俺は『お姫様』を迎えに来ただけだし? あぁ。怪我はすぐ直るから気にしなくてもいいし、現に治っているだろ。ま、ほんっと。化け物だよな」


 そう言う問題ではない。言いたかったが感情の枷が外れる気がしてアシッドは軽く奥歯を噛んでから、声を絞り出す。


「迎えに?」


 ならばこの国の騎士と同じ感じだろうか。やり方は違えど――もちろんもう赦せるものではなかった。


 きゅうと剣を握りしめる手に力を込める。


「ん。お前、聖なる力を持つものの存在意義ってなんだと思う?」


「エネルギー供給源だね。人間にとってはね」


 それを言ったのはアシッドでは無い。響く声に顔を上げれば『鬼火』がゆらりと意思を持つように揺れていた。


 ――賢者がアシッドに渡した鬼火である。もちろんのことその元となったのは魔術で在った。である為だろう。声を乗せるのも簡単なのかも知れない。


「賢者様?」


「ユリオス」


「あぁ。そうだったね。そう言う名前だったかも。久しぶりだね。テアドロ君だっけ? あ――元気……そうだね? 僕を。僕らをここから引きはがすくらいには」


 ピリリと空気に糸が貼る。今までの余裕気な表情とは違いどこか剣呑な光をテアドロと呼ばれた青年は目に湛えていた。


「は。俺はてめぇより強いけど?」


「ふふふ。だったら引きはがす事もないのにさぁ。馬鹿だなぁ」


「そんな事より賢者様。目的は?」


 随分と少なくはなったが未だに外には異形が揺蕩っていた。現在対応しているのは騎士のみ。賢者曰く『大丈夫だよ。強いし』らしいが。――鬼かとは少し思った。まぁ残っていないアシッドがそう思うのもなんだけれども。


 賢者が対応していない理由は他に会って『気になることがあるから』とアシッドに鬼火を渡して森の奥に消えている。


「私が見つけられないと思うのかい? 相当老いたとはいえ――私はね賢者なんだよ」


 ゆらりと楽し気に鬼火が揺れ、それと共になぜかテアドロが息を飲んでいた。何かを感じ取ったらしい、さっと変わる顔色は今まで見たこともない。


「……てめぇ、まさか。なんで」


「あぁ。不思議だったんだよね。通常異形は群れないし。メリルちゃんの事を除いても――この村には異形が居すぎる。そんなこと在りえるわけが無いのに。異形は人間を求めて揺蕩うものだから。……そこまで考えたら誰だって気づくだろ? ね。アシッド君?」


 突然話を振られてアシッドは目を瞬かせた。少しだけ考えて口を開く。まぁ。ほとんど当てずっぽうではあったが。


「ここに留まっていれば得なことがあるから、とか?」


 その得がなにか分からない。尤も異形に損得の感情があるのかすら分からなかった。ちらりとテアドロを見れば少し顔色は悪い。


「そうだね。うん。アシッド君は賢いね。爪の垢をあそこで寝ているロナ君に飲ませたいくらいだよ」


「……厭味は止めてもらいませんか?」


 ははは。と笑っている賢者が鬼火の向こうで見えた気がした。大体賢者は適材適所で物事を教えている。シロトには生きていくだけの生活とその知恵を。ナイには基本的な薬学の知識。アシッドには武。ロナには学問を。と言う程度には。ちなみにメリルには教えていない。そのすべてをアシッドを含めた周りが教えていたりするからだ。


 だからと言って万能にメリルが出来るわけはない。


「ともかくとして。ここに居れば『魔力』が補充できるからだよ。だからやつらはここに留まっているんだよね。――補充出来れば屑石になることもない。ずっと動いていられるからさ。まぁ。うん。異形になり果てる事が条件ではあるけれども。その補充をしているのがテアドロ君だ。わーい。すごいねぇ?」


 何が凄いのか。本人も疑問に感じるほどなのだろう。言ってみた感が凄い棒読みっぷりであった。


「で。私はいま。それを握りつぶしに来ていまーす」


「……え。あ。はい」


 楽しげに何の宣言をしているのだろうか。アシッドにはよく分からなかった。しかしながらテアドロの勘に触ることだけは分かる。ギリリと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。その両眼は居殺しそうな程に殺気を灯っている。


「てめぇ。――ユリオス。人間ごときに組みしやがって」


「ん。違うよ? 私は私の弟子に組しているだけだ――護って何が悪いんだい? ともかく。本体をここに置いておく君が悪いよ。祀られていい気になって。馬鹿なんだろうね。――ということで、君。僕がいる限り魔術はもう使えないよ? そうなればどうたろう?」


 勝てるよね。とどこか飄々と言われてアシッドは頷くしかない。もちろんそのつもりたし逃がすことは無いだろう。問題は……。殺したいとは思っていても殺せないかもしれないという事だけだ。


 アシッドは人間を殺したことはないのだから。まあ考えないに越したことは無いのかも知れない。


 考えるのを放棄すると同時にぐっと拳を握りこんだ。


「……そんな分けが無いだろ。ガキごときに――人間ごときに。あとで俺に泣いて詫びろ」


 テアドロは吐き捨てるように言葉を紡ぐ。その目には明らかな怒りが灯っているように思えた。


「ふふふ。ここで握りつぶさないくらいには私は怒ているんだよ。私は。テアドロ君。よくも、『上級』の分際で私の弟子を傷つけてくれたね?」


 鬼火向こうから冷気が漂う。それは気のせいだろうか。鬼火自体は何も変わらないというのに。ぞわりと何かが背に這うようだった。怒っている――のだろうか。


「賢者様」


 アシッド君――行きなさい。そう言われる前にアシッドはだんっと床を踏みしめていた。




 ――一つだけ。約束してね。アシッド君。


 メリル君の意識は繋いでおいで。なにをどんなことをしても。


 今ある細い意識を繋ぎ止めていて。私がそこに戻るまで。

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