第23話  問い

「初めまして――お姫様」


 床に落ちた灯火がチリチリとくすんでいる。その灯りが照らし出すのは美しい青年の姿だった。まるで月明りを映しこんだかのような銀髪と銀の双眸。スラリとした手足と、長い睫。薄い唇は鮮やかで、弧を描いている。人間の造形を超えた人間とでも言えばいいのだろうか。この世に二人と居ないであろう青年は私の前にゆっくりと膝を折っていた。


 白い滑らかな衣服。それにジワリと赤い血が染み込んでいく。それを青年が気にする様子はなく、優しく――冷徹に私に微笑みかけていた。


 そう――血だ。


 突然現れた青年に視線を取られている場合ではないと私は口元を結ぶ。抱きすくめているのは少年――ロナの身体。その身体は力を失いぐったりとしていて、胸元からはだらりと血が流れ続けている。もう――助からない。そう思うほどには。それでも小さく息をしている。


 それでもまだ。と私はぐっと肩を抱きすくめた。


 私に本当に力があるのであれば。――いや。と私は口元を結んだ。


 ある。と。現に向こうで眠っている騎士はほとんどの傷が塞がったと思う。自分でも驚く程に。だから、きっとロナは死なない。


 死なない。そう信じるしかない。


「――どうしてこんな事を」


 掠れる声は上手く出ない。その声に不思議そうに小首を傾げた。『なにが悪い』とは分かっていないように。


「あんたと一緒に行こうと言っただけなのに俺の前に立つからだな。うん。邪魔だったのでしかたねぇよ。止めなきゃ別に目こぼししてやったのに。多分?」


 治療が終わりかけて一息吐こうとした時に入ってきた青年は、突如として私の腕を掴み上げて連れて行こうとした。それに割って入ったのは当然ロナで。そのロナを何の躊躇もなく、持っていた剣で刺したのだ。まるで――虫を払うかのごとく。


 視線をずらせばその剣は今も右手に持ったまま。たらりと銀の刀身にロナの血が滴っている。それは倒れているロナと共に何とも言えない生々しさを感じさせた。


 きゅうと口元を硬く結ぶ。怒りで取り乱しそうな自分を必死に制御しながら私は辛うじて言葉を紡いでいた。


「なんで……私があなたと行かなきゃならないの?」


 無論行くつもりは無い。誰も置いて行きはしないし何よりこんな人間と行く気は無かった。このままでは――。どうしたらいいかと必死に頭を動かしながら青年を見据える。


 時間を稼げばアシッドたちは駈けつけてくれないだろうか。――きっと疲れているのにとても申し訳ないとは思うのではあるが、今の私にはどうすることもできない。そう都合の良い事しか考えられなかった。


 早く。と思う度に心臓がどくどくと早鐘を打つ。


「うーん。そのままあんたが『聖なる力を持つもの』だから。そのまま幸せに暮らしてりゃこんな事にはならなかったのに。あんたがこんな所に来なければ俺だって起きることも無かったのに。というか――『塔』から出なければこんな事になんてならなかったのに。ほんとうに可哀相だよな。あんたも、今の時代も」


 特に可哀相とは微塵も思っていない。そんな様子だった。むしろ嬉しそうでもある。それがとても歪な気がして私は軽く息を飲んでいた。


 ともかくとして。言っている事は一つだって理解できない。脳が理解を拒否していた。


「せ……聖なる力を持つもの――どこかの国の人?」


 騎士達は私を利用するために連れていくのだと言った。他にも知られているのであればどこか――別の国の人なのかも知れない。そう考えていると『あはっ』と楽しそうな笑いが聞こえる。それはどこか吐き捨てる者の様に聞こえた。


「気持ち悪。そんな訳あるわけねぇよ。――俺が人間ごときに組するなんて。心底嫌だね」


 笑顔がぞっとするほど笑っていないというのはあるのだろうか。輝く様な笑顔であるのに酷い嫌悪を感じさせた。


「じゃあ……塔?」


 訝し気に行ってみたけれど。塔。って何なんだろう。と言う疑問は残る。


 ともかく会話をと考えながら紡ぐ。と溜息一つ。ゆるりと立ち上がりながら言葉を青年は紡いでいた。


「あぁ。もっと無いな。大体あんたを本気で利用できるのは俺たちだけだし。人間が本気で利用できるものではないけど。――さ、てと。そのクソガキは離して行こうぜ? ったく。これでもあんたの意思を尊重してんだ。お姫様」


 意思を尊重とは何なのだろうか。理解はもちろんできない。


「貴方と行けば、ロナを助けてくれるの?」


「あ――わりぃ。あんたと違って、俺達には治癒魔術なんて持って無い。ま。そいつはそこで野垂れ死ぬだけだ。仕方ないだろ? あんたが助けたアレを殺さないだけ良しとしてくれないと困る」


 アレ。眠っている騎士を軽く差して、肩を竦めて見せた。その騎士は未だ目を覚ましはしない。担ぎ込まれた時は息も絶え絶えで、その顔は苦渋に満ちたものだったけれど。安らかそうな顔に少しだけ安堵を覚えていた。


 意識が戻ってくることも、動くことすら出来ないだろう。表面だけ。命をただ単に繋げただけという感覚だったから。あの騎士に何かを期待すると言うことは難しかった。


 となれば。と私はぐっと口元を噛んだ。ロナを救えるのは私しかいない。だらだらと流れ続ける血は恐らく致死量――ナイから少し習った――に達している。それでも未だ呼吸もあるし苦しそうに眉を顰めているのは多分私の持っている治癒能力というものが効いているためだろうか。


 分からない。ここで見捨てるわけには行かなかった。縋り付いているのはどちらか。私はぎゅうとロナの薄い身体を掻き抱く。


 大丈夫――救える。救えるんだ。


 いつかのように救えないわけじゃない。地獄のような光景が目の前に浮かぶ気がして私は頭を振った。


 もう。失いたくない。救いたい。


 祈るように紡ぎながら私は青年に目を向けた。


「行かない」


「なら仕方ねえな。面倒だし殺すしか無いじゃん? まぁ。どうせ生き返るから良いけどさ。痛いのは平気か?」


 ひゅっと青年は持っていた軽く剣を振り払うとぽたりと私の頬に血が張り付いた。ロナの血。それがたらりと頬を伝って落ちる。思わずカタカタと鳴りそうになった奥歯を無理やり抑え付けて口を真一文字に結んでいた。


 殺すことに恐らく躊躇は無いだろう。ロナにそうした様に。


 殺される訳には行かないと私は慌てて口を開いていた。


「い、生き返るってなに?」


 人間は生き返ることなどできない。そんなのは当たり前の話で、シロトや騎士。あの少年を救えたのは『命』というものがきっとそこにあったからだ。死んでいるものは救えるわけがない――と賢者は言っていた。


 それは私でさえきっと例外はないし、死にたくはない。そもそも私に治癒能力が効くのか分からない。


 ついでに痛いのは嫌いだ。


 私の言葉に意外そうな顔で青年は怪訝そうに眉を跳ねて見せた。


「は? 知らねぇの? いくら塔から離れて市井にいるとは言え――それは無くね? あんた父ちゃんか母ちゃんからか何も教わってないのか?」


「……何の話?」


 生き返る云々の与太話だうか。


 そもそも両親などとっくに他界しているし、顔すら覚えていない。記憶の隅に微かな思い出が残るのみだ。温かで柔らかな記憶ばかりだ。


 そんな馬鹿らしい記憶は、無かった。


「あ――あんたが特殊という話だろ。というかあんたの父ちゃんか母ちゃんのどちらかが特殊な。聖なる力を持つもののはずだ。それは血で継承されるものだからな。突然変異で生まれることはまず無い」


「そう。なの?」


 くくく。と喉を鳴らすのが聞こえる。堪え切れない。そうとでもいうように。


「あんたの両親はおそらくあんたに知られたくなかったんじゃない? 覚醒しないとか信じてたのかよ。まじで笑える。あんたそれだけ力があるなら直系。どっちか知らんけど、死んじまったら力の受け渡しなんて自動で行われるものだろうに。馬鹿じゃねの。意味がねぇんだよなぁ」


 私にどれほどの力があるかなんて分からない。もしかしたら聖女は他の力が何かあるのかも知れない。


 けれど、そんなものはどうでもよくて。両親を馬鹿にしたことは赦せなかった。穂トンとせ覚えていない両親。けれど大切な思い出で、それを怪我されることはとても嫌な気分だ。


 ぐっとテアドロを睨みつけると馬鹿馬鹿しそうに鼻を鳴らす。別に怯んだというわけでもない。


「――まぁ。俺たちに取ってはここにあんたがいることは都合がよかったんだし。いいけどさぁ。でも、さぁ。やっぱ俺はあんたは知らなければいけなかったと思うぜ。『こんなこと』になる前に――聖なる力を持つものとして。それは親の責任だろ?」


「……でも――」


 両親のことを擁護しよとしてその先はどう言えば分からなかった。私は思わずぐっと喉に言葉を詰まらせる。


 それに気を良くしたのか何なのかテアドロはその薄い唇を軽く歪めて見せた。それがまた悔しいのだけれど。


「はぁ。あんたが少しでも自分の事について知っていれば世界が変わることも無かったのにな。多分だけど。ま。その身を以て思い知ったほうがいいと思うぜ。自身がいかに愚かな存在であるかと言うことに。絶望してみせろよ」


 最後の言葉と共に爛々とその双眸が鮮やかに輝いた。そんな気がした。まるで月の光の様に。


 刹那――。


 振り下ろされる銀の一閃。それをぼんやりと眺めていた。



 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。


 私のその問いは誰にも届くことはなかった。

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