第22話 下弦の月
下弦の月の下で篝火が揺らめいていた。赤く、淡く照らした世界。その中で黒い。闇夜を吸い込むような闇が踊る。その動きにつかみどころは無い。だが。
ひゅっとアシッドは空気を飲んでから思いっきり空間を薙いでいた。まるでそこに影が来るのを分かっていたそう言う様に。パンっと軽い音がして弾ける影。それは霧のように淡く消えていく。ただ、それに安堵した様子もなくアシッドは身体を捩じると地面を強く踏み込んだ。剣先を掬い上げながら空間を斬る。
黒い霧のような何かが消え去っていくのを見届けるとアシッドは漸く息を付いた。篝火に照らされた緑の目がゆるりと闇夜に投げられる。その双眸はどこか険しいもののように見えた。
「――賢者様」
そう呼べは闇夜に浮き立つような白い影。それは揺れる様に揺らめき、人間の形を取っていった。
ふわりと太陽の光を閉じ込めたような色の髪が闇夜に舞う。人形のような整いすぎた顔立ち。赤い目がアシッドを捉えている。
トンっと彼――賢者は地面に足を付けた。その様子はまるで重力も体重も感じられない。なんとなく天使が降り立つようだという錯覚。
「うん。こっちは片付いたよ――グスタ君も問題ない。強いね。あの子はさすがと言うべきかな。ま。当然に私より弱いけど」
消えかけた黒い霧。触れようとした手を避けるようにそれは消えていった。それを見ながら賢者は溜息一つ。そのまま滑らせるように指で空間を撫でれば青白い炎が現れる。
鬼火――と言って良いだろうか。
魔術の光。それは熱くも冷たくも無い。それを見ながらアシッドは軽く眉を寄せた。こんな事は聞いていない。そんな顔で賢者に目を向ける。
「どうなっているんですか? 一体」
「どうって?」
「普通――影……異形のものは沢山現れない――群れない筈ですよね? 俺、普通に十体以上も相手しましたけど?」
その声はどこか恨みがましい。賢者は肩を竦めて見せた。大したことなどない。そう言う様に。
「何の自慢だい? それなら私はもっと倒している。あ、グスタ君よりも多いよ」
「そう言うことではありません」
何を競っているんだ。
はぁ。と疲れた様に息を吐き出して頬に張り付くべたついた髪を耳に掛けた。じっとりと見つめた先の賢者は何を考えているか分からない。平然とした涼しい顔がそこにある。本当に動いていたのだろうかと思うほどだ。
通常――異形のものは群れることは無い。集団で現れる事はまずないのだ。世界が変わった初期には多々在ったこと――実際に遭遇もしている――ではある。しかしながら魔法石の回収が進み、厳格な管理と監視の下に置かれている。この破棄された小さな集落が大量に保管しているとは考えにくかった。
考えられることとすれば、この集落に残っていた異形だけだけれど、それほど多く残るものだろうか。
あれらは獲物を探して動く。食べる為ではなくただ、殺すために――。まるで人間に対して復讐でもしているようだった。
それに。と考えてアシッドは掌に目を向けて軽く握ってから口元を結んで見せた。
「一部、手ごたえが無かったんです」
いつもの異形もいることには居たけれど――手ごたえのないそれもちらほら混じっていたと思う。どれほどの比率と言われれば圧倒的に『いつもの』が多いのではある。
手ごたえが無い。ということは不安要素だ。またどこかから現れるかもしれないと軽くアシッドは手を握った。大抵『異形』と言うものは定められた剣で斬ってしまえば現れない。ただの屑石に戻るというのに。
何が起こっているんだろう。
一拍。漸く静かな声。凪いだ視線現れた異形を捉えぱちんと指を鳴らす。そのまま赤い炎を立ててめらめらと燃えてしまうのを何の感慨もなく見つめていた。
じゅつと最後の音を立てて消えるのを確認し、長い指はひょいと屑石を拾い上げる。なんてことはない小さな石だ。アシッドには暗いのも相まってそれが屑石なのか分からなかった。
「あぁ。あれらは呪いだよ。ある意味異形と同じだけれど、根本が違う」
「呪い?」
ポンポンと手持ち無沙汰であるかのようにポンポンと天に投げはキャッチしている。相変わらずその目は凪いでいる。なんとなく何処も見ていない。そんな気がした。
「ん。そうだね……悲しい。悔しい。苦しい。殺してやりたい――生きたい。なんで私だけ。皆、死んでしまえばいいのに――その想いが形になったものだ」
「形に? ……何だよ――それ」
ぱちんと石を乱雑に手で受け取ってゆらりと空中に浮遊させる。そのまま弾けて粉々になるまでそう時間は掛からなった。
「ん、けれど、そんなこと人間なら、誰もが思うし、持つものだろう? ――けど。一人だけ『それ』を思ってはいけない人物がいるんだ」
可哀相だよね。
賢者はぽつり呟くように付け加え、視線を空似投げていた。
そこには暗い夜空に相変わらず下弦の月が輝いている。
その横顔をアシッドは半信半疑で見つめる。アシッドにはどう考えても本当の話とは思えない。揶揄っているのだろうか。そう思うほどだ。
「そいつが。思ったから、影が? そんなことってありえな――」
言葉を遮るようにゆらりと青い視線がアシッドを捉える。その薄い唇はなんとなく笑っているように見えるのはアシッドの気のせいだっただろうか。
怪しげな視線。なんとなく嫌な予感がしてアシッドは息を飲んでいた。さあっと風が流れて金の髪を巻き上げる。
「可哀相だよね。メリル君は――この世界に生まれ落ちさえしなければこんな事にはならなかったのに」
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