第21話 治療

 ――姉ちゃん。


 その言葉に私は我に返っていた。どれくらいの時間ぼんやりしていたのだろうか。いつの間にか落していた小さな箱。それを拾い上げると頭を振る。


 はあっと息をついてから辺りを見回していた。


 小さな家。床に寝かされているのはグスタと共に歩いていた騎士だろう。紹介はしてもらっていないので名前までは知らない。だけれど気を使ってもらったことは覚えている。


 その彼らは今や虫の息だ。


 血まみれの身体。服を脱がせば軽く脇腹が……欠損していた。その上腕には酷いやけどで、もはや意識は無く、うめきしか聞こえてこない。正直に言ってしまえば見るに堪えないほど酷い。


 もはや助からないかも知れない。そう誰もが思うほどの傷だった。『頼む』と言われたが――私だってどうすればいいのか分からない。


 分からないのに。とぐっと泣きそうな想いで口元を結んだ。


 ぺちゃりと床に、騎士の横に座りこむと箱を置いた。いろんな家でロナが漁ってきた治療道具――大したものではない――が入っている。当然こんな傷には対応できないだろう。ありったけの布で抑えている傷口からはとめどなく血が溢れ出しているようで、見る見るうちに赤く染まっていく。


 そんなに時間がない事だけは分かった。


 震える手で布を軽く押せばジワリと指先が赤く染まる。


「つ――ともかく出来ることをするしかないよ……私だって死ぬのは嫌だし。この人だって嫌だと思うし――」


「姉ちゃん。多分助からないよ。この人」


 震える声はどちらの物だったが。ロナも顔を強張らせていた。


 どうしたら。ぐるぐると考えが廻るが何も明瞭な考えは思いつかなかった。どくどくと心臓の音だけが煩い。


「わ、私は聖女なんだから。が――頑張らないと。放っておく。なんて出来ないし。――アシッドだって頑張ってる。何とかしないと。何とかしないと」


 一人呻くように付け加えた。そうだ。アシッド――賢者さえ――だって外で頑張っている。確りと閉じられた窓から外は見えない。けれど緊迫感と緊張感だけは伝わってきて私は息を飲んでいた。


「でも、何するんたよ……出来ることって何だよ? 姉ちゃん、誰も救えてないじゃないか――救えたことなんて無いじゃないか。まずい薬でも飲ませんのかよ?」


 言ってしまった。そんな顔でロナは口を噤んでから気まずそうに騎士へと目を落す。騎士は相変わらず呻いているだけだ。その顔色はすでに青白くを通り越し、土色に見える。


 私はぐっと口元を結ぶ。


 確かに。私は救えない。救えなかった、ずっと奇跡なんて起こせなかったけれど。さあっと視界が晴れていく。そんな気がした。


「ごめん、なさい。姉ちゃん。そんなつもりじゃ――」


「ロナ。私の鞄を持ってきて。あと、水を沸かしてくれる?」


「は?」


 私は顔を上げて真っ直ぐにロナを見つめていた。何を言っているだと困惑した顔が私の目に映っていた。


「ありがと。そうだね。うん。ロナが言ったように、そうする。私にはそうする事しか出来ないし。騎士や賢者も言ってた。――私の薬は何でも効くって」


 怪我に効く。その意味はよくわからないけど。


 鞄には薬というか、乾燥した薬草が入っている。ついでに持ち歩くのは癖というより落ち着かないのだ。別に何かあるかもと用意している訳てはない。


「でも」


 にっこりと圧を掛ける様に笑顔を浮かべる。もう――私はこれしかできないのだからこうするのみだ。私は腹を括るしかなかった。


 それで誰かが死んでしまったとしても。


 もう、手を拱いていたくはない。ただ嘆いていることはしたくない。


 それはどこか渇望のような感覚だった。まるで自身がそれを経験したかのような――。軽く手が震えるのが分かったが、ぐっと握りしめて押しとどめる。


「ロナ。早く――ロナも薬飲んでもらうよ?」


「……っ」


 どれだけ嫌なんだろう。それを考えるとやはり少し悲しいがそんな事を考えている場合ではない。


 ロナは強張った表情のまま身を翻すと速攻で私の鞄を持ってきた。ばかりと開ければ小分けになっている干した薬草と乳鉢。常に持っていて良かった。と軽く息を付いていた。


 ――よし。


「どうか、頑張ってください」


 お湯を向こうで何とか沸かそうと奮闘するロナを横目に見ながら私は騎士に声を掛けていた。ピクリと睫が動いた。そんな気もしたが、すぐに呻きに変わる。食いしばった歯からジワリと血が滲む。


 ――どうか。良く成るように。私に助けられるように。


 こんなところで終わらせたくない。


 そう心の中で重ねるように祈りながら私は薬を揉みほぐして乳鉢に入れていた。


 ガタン。何かが耳元で弾けてしまう音を聞くまでは。必死に『薬 』を作っていた。

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