第17話 不穏
アシッドは特殊な剣を持っていた。前世界で使われていた剣。それは異形を屠るのだという。なぜかは分からない。前世界の武器しかあれらには傷一つ付けることすら出来ない――そう聞いた。であるので、アシッドは『それ』を生かした職業に付いている。
まあ、仰々しく言う必要もなく。単なる護衛だ。その分稼ぎもいいのだけれど当然怪我することも多くて。
店はロナにまかせて――雑誌を用意していたけど――奥の応接室までアジットを引っ張りこむとペタペタと腕やら足に触る。それがくすぐったいのか身を捩るアシッドは軽く抗議の声を上げていた。
「ちょっ……メリルちゃん」
「怪我は無いようだね。あ。今すぐ特製ジュース作るから待って――」
「いら。ない」
言い聞かせる様に真剣な顔で言われても。身体にいいのに。と呟いてすとんと前面に腰を掛けていた。昔から飲みなれているはずなのになぜ嫌われるんだろう。不思議で仕方ない。
「そんな事より元気そうだよね。メリルちゃん ここ最近何かあった?」
言われて私は軽く肩を竦めた。
アシッドの仕事上、ここに帰って来るのは一週間ぶりだ。であるので会えたら嬉しいし、心配になってしまう。まぁ――抱き着いてしまうくらいには。
「相変わらずだよ。変わってないよ。賢者様は起きないし。お客さんは来ないし」
「あ――お客さん来なくてよくない?」
「は?」
生活が出来ないだろうがとじっとり睨んでみた。ただでさえ開店資金等はアシッドに借りているのに。どうにかして踏み倒せないだろうか。なんて事は――言わない。
……忘れてくれたら有難いかな。と毎日祈っていたりする。
「いや。メリルちゃんの薬で何かあったら困る……いや。ごめんなさい」
手慣れた手つきでお茶を淹れるとアシッドの前に置いてみる。緑が深い。匂いは……ヘドロのようだろうか。体にいいことだけは確約する。昔、おじいちゃまに淹れてみたら『二度と出さなくていいですよ』とやんわり言われた逸品だ。
にっこりと笑顔を深める。
「特製ジュースじゃないけど、粗茶ですが」
「いや、ごめんって。ただ、俺は……」
「お菓子も持ってくる?」
腰を浮かせるとぎゅうと服の裾を捕まれ阻止される。整った顔立ちの青年。それが若干の涙目で見上げてくる状況は一体外からどう映るのだうか。ふと思った。まあ――私自身は見慣れているので正直何も思わないのだけど。
「いや、メリルちゃん? 聞いて。あの――」
「メリル姉ちゃん」
アシッドの声を遮るようにだんっと乱暴に扉が開いていた。乱暴すぎて何かがペキペキと剥がれる音がしたが気にせずに飛び込んできたロナに目を向けた。
「ロナ?」
ロナは視線を滑らしアシッドを見ると『うわぁ』と軽く声を上げている。なんとなくその目が冷たいのは気のせいだろうか。
「兄ちゃんダサっ」
「……煩い。そんな事よりどうしたんだよ? 賢者様でも起きたのか?」
「賢者が起きてたらここに俺はいない」
どや顔で言う事ではない。ロナは賢者に勉強を教えて貰っているらしい。大量に貯めた宿題はもはや昨日今日でできるレベルではなく、逃げるしかないと笑っていた。捕まれば捕まったで、数日は机に貼り付け――物理――にされている……。まぁ可哀相でも何でも無かった。本人はそれでも飄々としているのだし。
ちなみにロナが習っている事柄は非常に高度でこの国最高学府に並ぶくらい……と賢者は自負していたが私たちには比べる者が無いのでいまいち良くは分からない。まぁいつかロナを学校には入れたいとは思っているのだけれど。
「いや。んなことではなくて」
「どうしたの?」
座りながら、ずずっとアシッドに出したお茶を啜る。あぁ。まずい。だけどこれがいい。やはりお茶請けが必要だろうか。そんな事を二人の様子を見ながら考えていた。
飲む? そう聞けば首が千切れんばかりの勢いで首を横に振る。
「あの、『騎士』が姉ちゃんを出せって」
「は?」
予期のできなかった事態に口を開けたためだらりと口からお茶が漏れ出ていく。それを慌てて手の甲で拭った。
ええと。聞き違いではないだろうか。『これで拭いて』と出てきたハンカチ。それにお礼を述べながらロナを再び目を移す。
「騎士……」
騎士。それは国直属。要人を護る軍人の名称だ。元々は馬に乗って――いやそれはいい。ともかくとして、その騎士が民間人を直接尋ねてくることはまずない。というより、民間人と騎士の接点なんて逮捕以外の何かあるんだろうか。
え。逮捕?
何かしたかと考えて薬しか思いつかなかった。巡り巡って要人に被害が出たのかも知れない。被害が出るような薬なんて作ってないのだけれど。
「うん。間違いないと思うぜ。……制服着てたし。偽物なら昼下がり堂々と着られなぃっしよ? で。薬の事で聞きたいことがあるって――逃げる?」
ぐっと口元を結んでから頭を振った。心配そうなアシッド。大丈夫とにこりと笑いかける。微かに震える手は後ろに隠していた。
もしかしたら。と嫌な考えを頭から振り払う。
「メリルちゃん」
「ま。仕方ないよね。私には責任があるのだし――行くわ」
子供では無いのだし。
ロナは軽く眉間に皺を寄せた。そんな事は期待していなかった。そう言う様に。呆れた様に溜息一つ。ぼりぼりと頭を掻いていた。
「ん――分かった。俺は賢者を叩き起こしてくるよ。兄ちゃんは姉ちゃんについてて。何かあれば……」
「ん。分かってる」
すっと私の横にアシッドが立った。きゅっと伸ばされた手は私の掌を緩く掴む。その向こうでぱたぱたとロナが掛けていくのを見送ってから視線をおずおずと上げた。
「あの、アシッド。アシッド迄いく事ないけど? 何かあったら巻き込んでしまうかも、だし」
「良いんだよ。巻き込まれても、何だって。そんなことより。俺がメリルちゃんの役に立てないことが嫌だし」
あの時みたいな子供じゃないし。
低く呟く言葉に若干の悔しさが滲む。精悍な横顔。ぐっと口元は硬く結ばれていた。
――あれほど、子供だと言う事が悔しかった事はない。何も出来ない自分に絶望した事はないよ。
いつだったか、シロトが静かに語っていた。何でもない、過去だ。という様に笑っていても、その目に影を落すのは後悔だろう。行くべきでは無かったと言うより――言っても何も出来なかった。そんな後悔だった。
苦しんでいるのは私だけではない。私はその事にこの時初めて気づいたのだ。
その上で今できることを必死に頑張っているのだと。
「……ん。分かった」
シロトと同じ色の影を宿したアシッドもまた後悔しているのかも知れない。私はきゅうと温かな掌を握りしめ、グイっと引っ張ってみた。
驚いた表情が少年の頃変わっていなくて可愛らしい。私は少しだけ楽しくなってくすりと笑みを落す。
「行こう。何があっても、アシッドの事は私が守るから」
とっと軽く歩き出す私の背中。アシッドがどんな表情をしているのかは分からない。ただ、軽くその掌が熱を帯びた気がした。
「――つ。それは。こっちの……」
その続き。言葉が私に伝わることは無かった。
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