第16話 月日

 青い空に広い花弁。それを私は思わず掴むと口に含んでいた。無味無臭のそれを飲み込むと近くの古びた扉を開ける。


 蝶番が軋む音。踏み込んだ床は微かにたわむ音を立てる。明るくはないが、暗くもない。埃っぽい近くの机に荷物を置いて小さく伸びをしていた。


「いらっしゃ――って。メリル姉ちゃん。お帰り」


 奥から出てくるのは少年はロナ。村にいた頃より少しだけ伸びた身長はもう私を追い越しそうだ。ぱっと嬉しそうに笑うと私に近づく、というより荷物を漁っている。目的のもの――町ではやっている焼き菓子を見つけると嬉しそうに笑う姿はまだまだ子供で可愛らしいものだった。


「お客さんは来た?」


「ん。姉ちゃんがいないからって帰ってく人が多かったよ」


 視線をずらして奥の棚に目を向けてみる。何も変わりは無いようだ。


 溜息一つ。どうやら今日の売り上げは無いらしい。


 村から離れて一年程になるだろうか。平和で静かな村。本来ならあそこにずっと住み続けたかったし、そうなると思ってた。村の人たちは優しくて、豊で。楽しかったと今でも思う。


 ――だけど。


 あのまま住むことは出来なかった。


 くじけそうな自分に喝を入れる様にして両頬を挟む様に叩くと小気味いい音が店内に響く。


 ここは、この町に来てから始めた薬屋――非公認――だ。今は勉強中で……それでも生活の糧は必要だったのでこの店を開いている。まぁ、一応簡単なものしか置いていないので、この通り毎日が閑散としている訳ではあるが。


「頬叩くと不細工になるってアシッド兄ちゃんが言ってたよ。ま、姉ちゃんの場合少しくらい崩れたほうが兄ちゃんたちが安心するのかもね」


 私は決して美人と言うわけではない。アシッドと賢者が異様すぎるのだしシロトもそれなりに美男子で合ったりする。ついでにナイは可愛い系の美人だ。それはそれとして。


 崩れたほうがいいとはどういう……。


 もしかして不細工になれというこ――。なんだか知らないが、ロナも可愛らしい顔をしているため憎たらしく感じる。


「どういう意味か分からないけど?」


 半ば殺気立って告げれば焼き菓子を齧りながらぶんぶんと首を振る。『そう言う意味じゃないって』と言い訳しているがやはりよく分からなかった。


「で、でもさぁ。メリル姉ちゃん。あの村に残らなくてよかったの?」


 この店を借りた時に備え付けであった古びた木製の椅子。それにロナが腰を掛ければみしりと小さく軋んだ。いつか折れるのではないだろうかと思っている。


 私は荷物から買ってきた商品と集めてきた素材を取り出していた。一つずつ確認する様にしてテーブルに並べていく。ほとんど素材なので、ぱんぱんに詰まっているように見えるが軽い。もりもりと置かれた雑――薬草にロナは少しだけ嫌そうに眉を顰めた。


 美味しくはないと思うがまずくは無い――のに。夕食に出すつもりはないと告げればホッと息を吐く。


 雑草入れるぞ。と笑顔で思った。まぁ、そんなことより。


「……あれで居られると思うの? 私がいたら迷惑が掛かるよ」


「そうかなぁ?」


「ま、私は何も出来ないしね。仕方ないよ」


 私には『治癒の力』があるらしい。シロトを救ったのも、村の少年を救ったのも私らしい。らしいと言うのは私がそのことに対して何の記憶を持っていないからだった。


 助けた二人――。シロトには後遺症が残ったが、少年はあの後村を駆け回っていたのを覚えている。


 少年を助けた以降私には何の力も発現されなかった。どんなに頑張ろうが些細な傷でさえも治すことなど出来ない。どうすればいいのかすら分からなかったのだ。


 噂を聞きつけ、村に押し寄せる人々。にも関わらず治せないものだから――。


『詐欺師か』『嘘じゃねぇか』『せっかくここ迄来てやったのに』『治せ――』『死にたくない』『金ならあるんだ』『警察に突き出してやる』


 ――助けて。


 浴びせられる阿鼻叫喚。肩を落して危ない道を帰っていく人達。それが申し訳なくて、苦しくて。何も出来ない自分が嫌で。


 静かだった皆の生活を潰す私が嫌で仕方なかった。


「姉ちゃんが風潮した訳でも無いのに、さ。勝手に押しかけて失望して怒って。何なんだよって感じだよな――アイツらは」


 最後のひとかけらを口に投げ込んで不快そうにロナは言う。それに苦笑を浮かべて見せた。


「まぁ。それだけじゃないよ。後は。シロト達の邪魔したくなかったというのもあるよ」


 ナイとシロトは村に残って結婚した。私にして見れば予定調和だ。子供の頃の夢が適ったね。とナイに言えば少しだけ複雑そうだったけれど、幸せそうに笑っていたと思う。


「あれで幸せなのかなぁ。ナイ姉ぇは――俺は嫌だけど」


「シロトの身体はナイの尽力で良くなっているから大丈夫だよ」


 手紙に依れば、最近は足にも少しずつ筋肉が付くようになって歩けているらしい。これも私の薬――そう信じたい――とナイの努力合ってのことだ。ふんすと息を鼻から吐けば『そういうことじゃない』と半眼で言われたがどういうことなんだろう。


 溜息一つ。


「誰だって、ナイ姉ぇだって気づくのに、なんで気づかないのか不思議だよな。知ってて結婚するナイ姉ぇもだけど」


「何が?」


 なんとなく口に含んだ草。ジワリと苦みと土の味が口いっぱいに広がった。それを咀嚼しながら飲み込むと『うわぁ』と言う顔を目の前でされる。


 なぜだろう。まずくはない。土も悪くはないと思うのに。毎回そんな顔をされても。


「これのどこがいいんだろう?」


「――何の事か分からないけど、しみじみ言うのは止めてくれる? なんとなく悪口と言うのだけは分かった。食べる?」


 昔はもっと素直で可愛かった気がする。ミーナの後ろをちょこちょこと、ひよこみたいな感じで。どうしてこうなったと私が聞きたい。


 ミーナが向こうで泣いてそうだ。


 ツンとしなびた薬草を突き出せばそっぽを向かれた。


「食べないよ」


「ふんだ。いいもん。別に」


 はむ。と口に含もうとしたのだが、軽い音を立てて合わさった歯に草が挟まるることは無かった。消えたんだけど――とじっとりロナを見ると『俺じゃない』と肩を竦めて返される。


 影が差して上を向くと一人の青年が立っていた。諦めた様に私を見下ろしている。もちろんその手には草が握られていた。


「せめて洗ってよ。メリルちゃん」


「アシッド」


 思わず抱き着く私にバランスを崩したのかアシッドは私に抱きつかれたまま尻餅を付いていた。微かに朱がさす頬は驚いたのか何なのか。


 ともかくとして。


「おかえりなさい」


 全力で告げれば固まったのはどうしてだろう。

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