第15話 記事



 雲一つない晴天。その下で雲のように白い花弁が舞い上がっていた。


 各国の要所に繋がる中継地点。人々が賑わいごった返す中で、その新聞は配られていた。


 白いローブ。フードを目深に被り、その男は子供から粗末な紙で出来た新聞紙を受け取る。小銭を受け取った少年は『ありがとうございしたっ』と微妙なイントネーションの感謝を述べて男から次の客に視線を向けていた。


 皺が深く刻まれた手。細く枯れ枝のようだ。影になった顔は見えないが、艶を失くした白い髪がはらりと頬に落ちた。


 『 ――聖女、現る!? 』


 決して確定しようとしない仰々しい見出しが踊る。『聖女』とひしゃげた声で呟いてから、男は細かすぎる――老眼には些かきつい――文字に目を通していた。


 『 わが隣国ミツドフルの名もなき小さな村。そこには一人の少女が住んでいる。少女の年齢は―― 』


「何を読んでいらっしゃるんですか? 塔主様」


 突然声をかけられて塔主と呼ばれた男は肩を揺らして新聞を落としていた。それを同じく白いローブを纏った青年が拾い上げる。こちらはフードを被っていない。あっさりした顔つきの誰の記憶にも残らないような雰囲気を持つ彼はその新聞の文字を視線で辿っていく。


 青年は新聞から視線を離すと、塔主に目を向けた。寄せた眉がありありと『眉唾』と言っているようだ。そのままで青年は軽く掌で新聞を叩く。


「ほんとうっすかね? ……これ? ただのゴシップではないですか」


 嘘か本当か。面白おかしく、真偽も確認しないまま載せる新聞も珍しくはない。


 塔主は男からごく自然に新聞を取り上げる。それに青年が抵抗することはない。抵抗しないように手を上げているきらいさえあった。


 溜息交じり、青年を一瞥した後で塔主は新聞に視線を落とす。


「――まぁ、この娘が起こした奇跡を見れば我らが『聖なる力を持つもの』と符合するがね。新聞が正しければ、だが」


 新聞によれば少女は『祈る』だけで奇跡を起こしたのだと書いてある。治癒の奇跡。もう治らないと見放された病気でさえも治してしまうと。それは神の御業と称賛で描かれていた。続くのは少女の人となりで、大げさに書かれているで在ろうそれは、まるで物語や伝承に登場する聖女の様に慈悲深い。


 ――そんな人間はいない。と誰もが呟いてしまいたくなるには、だ。恐らくだが、件の少女が見ればこの描かれている現実を直視出来なくなるのではないだろうか。そこは同情を禁じ得なかった。


 ポリポリと青年は短い髪の頭を掻いた。


「あぁ、『聖なる力を持つもの』もすべて治しちゃうんでしたっけ? 俺は知らないですが、先代もそうだったらしいですし。――凄いですよね。聖なる力を持つものっていうのは」


「ま。人間では無いからな」


 凄くて当たり前だ。と塔主は付け加えた。聖なる力を持つものは人ではない。この世界の人間であろうものが『そんなこと出来るはずもない』が考え――教えと言っていいだろう――の根底にある。故に人では無いのだ。この塔主の中で。いくら人間と似ていてもそれを受け入れることはできない。相容れる事は出来ない。それは塔主自身の心情というものよりか、職務もしくは刷り込まれた信条から来るものだった。


 溜息一つ。ゆらりと塔主は青年に目向けた。その目に少し困惑した青年の顔が映る。そんな事を言うなんて思ってもみなかったのだろう。


 青年にとって塔主は人格者であったのだから。ふっと塔主は薄い口元から笑み漏らした。どこかその心を踏みにじるのが楽しい。そう言うかのように。


「すべてだな。他人も厭わず。本人も。あれらが怪我と言うもので死ぬと言うことはまずない。何処を刺しても死なない」


「……羨ましいと言うべきなんですかね?」


「痛みは普通にある」


 どうという事もない。そう平然と言われて顔を顰めるしかなかった。死ぬほどの痛みが続くとしてどんな地獄だろう。そう思ったからだ。そんなものは嫌だと。


 そう思えば可哀相なのかも知れない。そう考えて顔を上げる。


「もし――聖なる力を持つものだったとして。塔に居ればその力を発現することも無かったんですかね。その子」


 塔とは少なくとも世界の災いとなりかねない『聖なる力を持つもの』と呼ばれる人間を保護するところである――と少なくとも末端に属する青年はそう思っている。ただ、どう世界の災いなのかはよくわからないのだが。


 ともかく世界最大の慈善団体。それが『塔』と呼ばれるものであり、どこの国にも属さない。


 尤もその塔に保護するべき人間は今は存在していない。まぁ――。時代に一人か現れればいい方なのでいない方が通常運転なのかも知れないとは思っている。


「……そうでもない」


「え?」


「お前が知らなくてもいいことだ――いくぞ」


 塔主は雑踏の中を歩き出す。なぜだろうか。その背中はどこか寂し気で。楽し気な雑踏の中で浮いているようにも青年には見えていた。

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