第11話 賢者
その村は山の麓。鬱蒼とした深い森を切り開いたところに存在した。たどり着くまでの道は、獣道のように細く、暗い。獣道とは違い確りと固められてはいるが、どこかその道は村に来るものを拒んでいるようにも見えた。
申し訳程度の門と境界は特に意味は成していない。もはや森と一体化しているようだった。そこを抜けて少し進むと漸く開けた村の全容が見えてきた。
皆が集まる広間。ざわついているのは滅多に来ることの無い商人が居る為だろう。子供は燥いで、大人は浮足立っている。昼だというのに――酒を酌み交わしているものもいるだろうか。出来上がって踊り出すものも散見できた。
軽いあいさつを交わして、その場を抜けていく。その先にあるのは彼らが見慣れた小さな家だ。
それは背後まで迫った森に今にも飲み込まれそうなぎりぎりの所にある。よく言えば可愛らしい家。悪く言えば狭くてみすぼらしい家だった。
二階にある小さな窓辺。そこにその少女は座っていた。銀色にも見える灰色の目には何か映しているようで映してはいない。光さえ映すこともなく、ぼんやりとどこかを見つめている。身じろぎすらしない身体。息をしていなければまるで精巧に、人間に似せて作られた人形のようだ。
アシッドはその横顔を見てきゅうとどこか泣きそうに顔で口元を真一文字に結んでいた。それでもすべての感情を飲み込んでからパッと顔を上げる。
努めて明るい声を出すのは子供の頃からの癖でもあった。
「ただいまっ。メリルちゃん。お昼持ってきたんだ。一緒に食べよう?」
たんっと軽い音を立てて持っていた盆を小さな机の上に置き、いそいそと昼食を並べる。尤も大層なものでなく、パンとスープ。恐らく夜もパンとスープだろう。少しだけ味が変わるとはいえ。ついでに朝は食べない。
アシッドは驚くほど細いメリルの身体を支えるとテーブルの椅子に座らせた。やはり視線は何処を見ているのか分からない。その唇からは何も紡がれる事は無かった。
それでも。と折れそうな心に叱咤してアシッドは続ける。
「今日はロナが作ったんだぜ。あ。中に入っている野菜はシロト兄ちゃんが育てたやつで……俺が――」
ひょいと摘ままれたパン。その先を見るとそこには峰麗しい青年が立っていた。宝石をはめ込んだような輝く赤い双眸。蜜を溶かしたような琥珀の髪は長く背中でまとめられている。
その美貌は人間というより、人間が作った想像上の『完璧』な美貌だ。人形のような――絵画に書かれているような。人が持つ理想そのもの。誰もが惹かれるが、誰もが違和感を覚える。そんな美貌。それ故、本人曰く『モテたことは無い』らしい。
そんな彼はパンを豪快に齧るとその切れ端を皿に戻した。
「うんうん。アシッド君はいつも元気でけなげだなぁ」
「……賢者様。俺の……」
当然予備などない。端切れを恨めしそうに見つめてからアシッドは賢者と呼ばれた青年を見つめた。ひらひらと手を振るが謝ると言う辞書はないらしい。
「気にすることはないよ。人は夜も食べることが出来るだろう?」
言いたいことはある。だが言っても無駄だとアシッドは溜息一つ落としていた。わざとらしく。ただ、その意味は賢者には届かない。賢者は近くの粗末なベッド――同室であるナイのものだ――に腰をかけた。近くに高く積み上げられていた分厚い本をパラパラと目を通す姿はなんだか様になった。
「お久しぶりです。賢者様」
メリルのパンを小さく千切ってから、薄い唇に押し当てると小さな唇がばかりと開く。それはなんだか雛の餌付けを思わせた。
「うん。うん。元気そうで何よりだよ。人間の子供はすぐに大きく成るから嫌だねぇ――君、また身長伸びたかい?」
「残念ながらもう伸びませんよ。どちらかと言えば、ロナの方が伸びたと思いますよ」
残念ながら成長期は終わったようだ。高くもなく、低くも無い。大体平均的な身長である。不平不満というものがあるわけではないが、アシッド的にはもう少し欲しい所だった。
「うん。まぁ確かに。あの子前見た時よりは大きく成っていた気がするねぇ。あいさつそこそこに逃げてくれたけれども」
ロナは賢者が嫌いだというわけではない。むしろ好きな部類に入るのでは無いだろうか。ただ単に――勉強から逃げ出しただけだろう。賢者から勉強を教わっているロナは大量の宿題を出されていたはずだ。それを消化できない。と泣き言を言っていたのはつい数日前。
諦めたのは昨日ぐらいだろうか。すがすがしいくらい、いい笑顔だったと記憶している。
そしてそれを許す賢者では無い。どこか冷気を含んだ笑みにアシッドはパンを持ったまま顔を引きつらせている。
巻き込まれるのはごめんだとアシッドはそれに付いて何かを言うつもりは無かった。アシッドもまたこの賢者にいろいろ教わっているためだ。主に剣術を中心に――だが。
「あ――。……ま、まあ。町の商人がこの村に来ているから見に行っているんだと思います」
アシッドの言葉に少しだけ楽し気に目を見開いて両手を合わせた。その顔はどこか子供の様にも見えて意外だった。存外人間味溢れているように見える。
「へぇ、珍しいね。商人がかい? 私たちの時代の商人と言えば――いや、いいや。うん。そう言うことなら私も見に行こう。おも――いい素材とかあるかも知れないしね」
もしかして買うつもりなのだろうか。そしてそのお金はどこから。という言葉をアシッドは飲み込んでいた。どうせ家の何かが消えるのだろうな。しかも了解もなしに。主に怒り狂うのはナイの役目だが。
考えつつ今度はスプーンでスープを掬ってちらりとメリルを盗み見る。
相変わらず目の前ではメリルがもそもそと目に光の灯らぬままでパンを咀嚼していた。
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