第10話 六年後
――『あの日』から……僕らの
さわさわと、風が心地よく流れていた。抜けるような空に細く薄い雲が流れている。真上から少しだけズレた太陽は午後を示していた。
木漏れ日が揺らめく木々の下。辺りの緑と馴染むような美しい双眸の少年は疲れた様に地面に尻餅を付いていた。
「も――だめ。あの兎ぃ」
年の頃は十代中ごろから後半にかけてだろうか。大人でも子供でもない。幼さを微かに残した顔立ちをしている。少年と思えるのは汗で張り付いたシャツがぺたりと身体の線を浮き上がらせている為だった。少女特有のふくらみなどない。筋肉が薄くついた身体。しかしながら顔だけ見れば少女と見まごうほどの可愛らしさである。
少年は喘ぐようにして空を仰ぐ。その横で、もう一人。車いすに乗った青年が温かな面差しで小さく笑う。棒のような細い腕には少年に向けてタオルを差し出していた。その手は微かに震えている。それは恐怖や何か感情的なものではなく、単純に筋肉が足りないからだった。
誰もが『動くはずなどないだろう』と思うほどの腕は、偏に青年の努力の賜物で動かしている。
「シロト兄ちゃん。今日は起きて大丈夫なのかよ?」
どこか心配気な面持ちでそのタオルを手に取ると少年――アシッドは汗で滲んだ身体を丁寧にふき取っていく。
「ありがとう。悪くはないよ」
シロトは一拍置くとクスリと笑みを漏らしていた。困っているのか悲しんでいるのか。その実はよくわからない。
「なんだかおかしいね。昔は僕らがアシッドを心配してたのに。今では僕が心配される側か……。仕方ない、か。仕方ないね」
「……シロト兄ちゃん」
何かを言おうとしたアシッド。それに重ねる様にしてシロトは口を開いていた。
「うん――それで? 今日はどうだったかな?」
言いながらシロトは近くに投げる様に置いてある剣に目を向けた。古びた剣は所々錆び、刃毀れをおこしている。使い込まれた柄は握りこんだ指の後がありありと残っていた。視線を滑らせれば少年の硬くなった掌に微かに眉を寄せた。ただ一瞬のことでアシッドが気づくことは無い。
「どうって……特に何も無かったけど。……ったく。何も捕れなかったしさ。あーあ。頑張ったんだけどさ。ついてないの」
不貞腐れ気味にぱたんとアシッドは地面に倒れこんだ。
アシッドの『役割』として食材確保と資材確保がある。小さな村に住んでいるアジット達はたとえ年端がいかなくとも働かなければならなかった。裕福な村では無いのだ。それはそれとして、剣で狩りをするのは無謀なのではと誰もが思うが――そのお陰で戦績は悪い――アシッドはそれを止めることはしなかった。
であるのでアシッドの場合――食材というよりは資材確保を重きに置いているはずなのだが。
シロトは辺りを見回して何も無いなと改めて苦笑を浮かべた。
「それで……異形はいた?」
――異形。どこか重々しく響くその言葉にアシッドは緩やかに目を閉じた。
六年前。突如――『魔法石』を核にする様にして異形が生まれた。なにひとつの予兆などなく、生まれ落ちた数百、数万、もしかしたら数億なのかも知れない。魔法石すべてがそうなったわけでは無いのだが、生まれ落ちたそれらは人間を襲った。まるでそれが、義務であるかのように。
老若男女。貴賤の差別なく――平等に殺しつくした。
突如現れたそれらにほとんどの国はまともに対応することが出来ず、世界は混乱に陥る。さらに混乱に陥れたのは、異形が現在の武器がほとんど通じなかったことだった。鉄で出来た鍛え上げられた剣も。火薬を詰めて弾をはじき出す銃も――通じることが無かった。
前世界の武具が使えると判明したのは三年前――それまでに世界は多大な犠牲を払い、数多の国が消えていった。
対策がない多くの人々は、身を寄せ合い、息を顰めて生きる。それが特に意味を成さないとしても――。
アシッドは気軽く身を起こすと軽く肩を竦める。
「知ってるくせにさぁ。昼間はいないよ。そんなことより、メリルちゃんの様子は?」
「……いつも通りで問題は無いよ。大丈夫。今日は賢者様も気にしてくれているから」
賢者様。と口の中で転がしていた。
あの雨の夜。死にかけのシロトと意識を失くしたメリルを抱えてアシッド達の前に突如として現れた青年だ。あの青年が居なければ今のアシッドたちはいないし、シロトも生きていないだろう。彼らにとって賢者は命の恩人だった。そして現在進行形で様々な事を教えてくれる師でもある。
ただ、何者なのか。は詳しく未だに知らない。――もしかしらその容姿と相まって人間では無いのかも知れない。
この世で無くなってしまった『魔術――機械に頼らず魔力を燃やしその熱量で殆どのことを一人でこなす――』を使いこなすのだから。
ちなみに。賢者は一日のほとんどを寝て過ごすことが大半だ。曰く生きているだけで疲れるらしい。故に起きていることが珍しかった。
持ちなれた剣を一度横に振ってから、ベルトに固定してあった鞘に滑るようにして収めた。カチンと金属がなる音が響く。
「帰るの?」
「まあね。腹減ったし――賢者様にも会いたいし」
「そう? ああ。そう言えば、町から売り出しが来ているようだよ。何か見繕うといいよ」
くるりとシロトの背に回ると車いすの押手に手を置いた。ぐっと押し出すとからりと車輪が廻る。塗装されていないただの地面はガタガタと石を踏んで揺れるが、シロトは慣れているのか気にした様子は無かった。
どのくらい歩いただろうか。ふわりと風が頬を撫でるのと同時にシロトがぽつりと零す。
「そう。――ね。アシッド」
「うん?」
「――僕は」
いいや。なんでもないよ。と呟いて小さく息を付いていた。アシッドは小首を傾げたが『そっか』とだけ呟いて再び歩き出す。その視線の先にはままならない手をぎゅうと胸に抱えたシロトの後ろ姿だけだった。
その表情は窺い知ることなんて出来なかったがどこか寂しそうにも見えた。
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