第4話 煮えたぎるのはお鍋の中
存外――草引きは重労働である。ぐつぐつと煮立った鍋を横目に近くにあった件の草――薬を千切っては山のように積み上げていた。お陰で、辺りの草は一掃できて景観は良くなったように思う。ただ……疲れたけれど。
よく考えれば、乾かさなければいけないので、草をすぐに使えもしない。
はぁと一息。そうすればぐうっとお腹の虫が鳴った。空を見ればもう太陽は真上にあってどうやら昼時らしい。ちなみに施設の朝食はパン一つと薄いスープだ。
……昼食も変わらないけど。
なんにせよ。夢中になりすぎて多分食事の時間は間に合わない――残してくれるほど優しくはない――と考えながらこなれた手つきで残っていた水に草を浸して洗う。そのまま口に含めば青臭い味が広がって顔を顰めていた。
一言で言えばまずい。ただ。癖のある味な気がする。そう考えればなんとなく『通』になった気がして楽しくなった。
「いけないこともないとおもうの」
知ったかで独り言ちる。もちろん誰が聞いている分けてはなかったが。
今度は持ってきた干し草を煮えたぎった鍋に投げ込んでいた。ジワリと色素が溶けだして緑とも青とも言えない――ナイ曰く『それは人の飲み物では無いんでは?』と若干震えながら言っていた――色をしている。
それもよくは分からなかったが。
ともかく。木製のお玉で深皿に盛りつけていた。異臭と謎のとろみ。草を入れただけなのにどこから来たのだろうかと毎回思う。草自体のなにか成分なのだろうか。この姿もあいまってナイを始め同室の子たちには断固拒否をされてしまった。
ましになったと思うのに。と考えながら口に含めば――熱くてよくわからない。ただ、美味しくない事だけは確かなのだろう。誰もがいい顔をしないのだから。
とりあえず飲みやすくするにはどうすればいいのだろうと頭を捻る。
「砂糖とか入れたらもう少し飲みやすくなるかな?」
そんな事を考えていれば、ふと空気が変わった感覚――と同時に頭上に影が差していた。
何だろ。
見上げようとした刹那――。ぱんっと心地いい音が耳に響いた。同時ぐらりと歪む視界と自身の意思とは関係なく私の身体は地面に叩きつけられていた。
え――。
「え?」
何が起こったのか分からない。持っていた皿が私の手を濡らして地面に零れ落ち、ぶわりと白い煙が立ち込める。どこかスローモーションのような光景。それに現実感が見いだせなかった。
勿体ないな。そんなどうでもいい感想が頭の中を駆け抜ける。
しかし。
「小娘。何度言ったら分かるんだ。お前は?」
響く金切声。同時に伸ばされた手は私の胸座を掴んで無理やり立たせるように引き吊り上げていた。
刹那――把握してしまう現実と、それに伴う痛みがひしひしと頬に生まれてくる。首元を持たれている息苦しさと相まって、私は何とも言えない呻きを喉から漏らしていた。
「い、ん。ちょうせんせえ?」
見えるのは見慣れた初老の女性だ。細い身体に質素な黒いワンピース。白髪交じりの黒い髪。頬には深い皺が刻まれていた。高い鼻と合わせて魔女のようだ――と皆言っていたっけ。
はんっと女性――院長先生は私を一瞥し馬鹿にしたように鼻を鳴らしていた。
「寝ているだけの金食い虫に一銭たりともやれる金は無いんだよ。あぁあ。もぁ。それをお前は何度も何度も――人が優しく諭してやったというのに」
何時優しく諭してくれた事があったのだろうか。酸素が少なくなり始めた頭でぼんやりと考える。何時だって殴られていたような気がするが、気のせいだろうか。
殴られすぎて――もはやどうでもいいけれど。
このまま首元を持ってれば死ぬという事に気づいたのだろう院長先生は私を付き放つ様に放した。溜息一つ。頭から落ちてくる。
「ったく――来な。小娘」
院長先生の細腕にどれほど力があるのか。それとも私の身体が細すぎるのか。あるいはその両方なのかも知れない。院長は私の腕をぐっと強く掴んで歩き出そうとした。
どうせ何時さものように真っ暗な『反省房』なる監禁部屋に入れられるのだろう。もはや慣れてしまって怖くは無い。だから別にそれはいいけれど。あのせっかく作った『薬』を飲ませることが出来ないのは悔やまれる。まだ鍋には残っているというのに。
それに飲ませないと。薬――自称だけれど――とはそう言うものだと思っているので。
「せんせい。あの……っ。まっ――」
言葉を聞いてくれたのか、何なのか。院長先生はピタリと立ち止まり、私の手をまじまじと見つめていた。
「……お前――手を怪我してなかったかい? ほら、熱湯が掛かって」
「え?」
してたっけ。怪我。と小首を傾げ手を見つめた。当然のように何もなくて綺麗なままだが……と考える。そう言えば皿の湯が掛かったような――思い出せば痛かった気もする。ただ、引っ叩かれた頬の方が痛い。ついでに強く持たれた腕も絶賛痛いのであるが。
院長先生は『疲れているのかしら』と訝し気に軽く目頭を揉んでいた。疲れを吐き出す様に溜息一つ。ぐっと再び私の腕に力を込めると痛みが走った。痛い。そう言ったところで放してくれそうもない。それもいつもの事だったけれど。
「まぁ――いいわ。ほら、行く。帰って罰をうけ……」
こつん。
何かが院長先生の頬に何かが当たり地面に落ちる。それは小石のようだ。力なく落ちるそれを院長先生は拾い上げるとその方向に目を向けた。
「おまえ……」
「アシッド?」
そこには一人の小さな少年が石を握りしめて立っている。ふわりと吹く風に長い前髪が浮き上がる。その奥から明るい緑の双眸が見えた。それは太陽の光を受けて明るく輝いている。まるで森の緑の様に。
「め、メリルちゃんを放せっ」
よく見ればプルプルと棒きれのような足が震えている。息は荒く、立っているだけでもやっとの様子だった。限界だ。それは私にだって分かった。
アシッドはほとんど歩かない。最近漸く、少しずつ短時間立つ様になっただけで。立つだけでも相当体力が削られるというのに。
「アシッドっ」
ずしゃりと鈍い音を立てて倒れこむ少年の身体。私は自身に使える全部の力を使って院長先生を振りほどいていた。
抱き起こす身体は本当に生きているのかいつも不思議で。泣きたくなる。そんな私を『へへ』とアシッドはなぜか嬉しそうに笑って見せた。それがなんとなく納得いかなくてペチンと額を叩いてみればまた嬉しそうに笑った。
そんな私たちに影が差す。それを見上げれば院長先生が、私たちを驚いた双眸で見下ろしていた。
思わずきゅうとアシッドを抱きすくめる腕に力が籠る。痛いだろうに、アシッドは少し顔を歪めただけにとどめていた。
「まさか。嘘でしょう――どうして回復しているの? お前――本来なら……」
もう、死んでいるはずだと言うところを私は遮るように口を開いていた。それはほとんど口元から零れ落ちるような言葉。自分でも何を言っているのかよくわからない。
ただ、ただ。その言葉を利かせたくなかったのかも知れない。
「あのっ。せんせい。ろ、アシッドは。治るんです。絶対にわたしが治します。だから、だから皆と同じように。皆と同じような生活をさせてください」
お願いします。と付け加えて私は院長先生をまっすぐに見据えた。困惑した双眸が私を見下ろしている。
ここでどうあろうと引く気は無かった。たとえ追い出されても。とごくりと唾を無意識に飲み込んでいた。まるで緊張を飲み下すように。
「お前――まさか」
何が『まさか』なのだろう。息を軽く飲んでから、暫く考えていた院長先生は視線を一巡させてから、私に戻した。どこか値踏みするような視線だ。そう思った。
『は』と軽く息を吐き捨てて歩き出す。その意味が分からなくて、その背中を見ていると少し忌々しそうな顔で院長先生は振り向いた。
顎を軽くしゃくる。その目は相変わらず冷たく、子供に向けるようなものでは無かった。本当に孤児院の院長なのだろうかと思うほどに疑わしい。
「……いいだろう。付いてきな。――歩けるならね」
そう言った院長先生の後ろを、私は緊張した面持ちのままアシッドを担ぐようにして追いかけていった。
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