第3話 うすぐらいへや

 窓はなく、ただ板を打ち付けられた壁は風でカタカタと鳴っている。隙間風を遮る為に張り付けられた布は大して意味を成さずひらひらと揺れていた。


 薄暗い小さな空間。そこに響くのは乾いた咳で。


 咳くたびに小さな身体が揺れる。


「だいじょうぶ?」


 粗末な寝台――と言っていいのだろうか。ただ、厚めの布に寝かされている少年は、慌てて駆け寄る私に薄い笑みを見せた。震える手で自分の身体を精いっぱい起こしてから、私を緑の双眸で見る。その双眸は透き通っていてとても綺麗だ。それを細めて精いっぱい笑った。


 青白くこけた頬に軽く朱がさす姿は五歳の少年そのものだった。


「メリルちゃん」


 こほっと一つ咳を漏らす。それを宥める様に私は細い――ほとんど骨と皮だけになった背を撫でる。出会った時からそう変わりない姿に私は泣きたくなったが泣きたいのは多分きっと少年――アシッドの方だろう。見透かされないようにぐつと唇を噛んでいた。


「あのね。わたしが来るたび、いっつも起き上がらなくていいよ」


 ねめつける様に言うと何が嬉しいのかヘラリと笑う。そのまま縊れた枕を支える様にして自分の腰に置いた。どうやら眠る気は無いらしい。こうなると小さいくせに頑なだ。『もぅ』と呟いて溜息一つ。その横で私はゴソゴソとカバンからいろんなのを取り出しては置いていく。


「ん。でも。今日はきぶんが良いんだぁ。メリルちゃんが持ってきてくれるにがいお薬のお陰だと思う」


「え――アシッド苦いから嫌だって言ってたよね?」


 近くの甕から水を汲み――残量はほぼ無くなってしまった――鍋に移した。これを外で火にかけている間にいろいろな作業をしなければと頭で順番を考える。そのまま胡乱な表情でアシッドを見れば引きつた顔で視線を逸らされた。


 あぁ。と私は意地の悪い笑顔――あくまのようだと後のアシッドは語る――を浮かべて口を開いていた。


「ふぅん……分かった。そんなすきなら、いっぱい用意するね?」


 幸いにして現在は初夏。草には困らないし、どうせ中庭の草引きで大量に出る。これが食べられる――というか薬――ということは同室の子供たちしか知らない。当然試食で、もりもり食べる私をナイを始め皆ドン引きしていた。そして好奇心から齧って壮絶な現場になったのはいい思い出だったり。


 なぜだろう。


 まずくはないと思う。ただ、青臭いだけで。その臭みも干して熱湯に入れれば取れると思ったのだけれど違うらしい。


 私が飲んだ時は無味無臭だったと言えば、味覚を本気で心配された。


「いや、あの」


 『ごめんなさい』なんて小さな声。それを無視して私はパンを取り出してアシッドの手に置いた。温かくは無いけど、フカフカの筈。上級生のお姉さんが端正込めて作ったパンだ。お姉さんに変わってから施設の食環境が変わった気がする。


 そのパンを手に取ると口に含んでもしゃもしゃと食べているのは小動物みたいに見えた。果実を紙でできた皿の上に。その横にコップに汲んだ水。


「それを食べたらおきがえだね。身体を拭いてから――ひとりでできる?」


「ん。できる。ぼくはもう六さいだし」


 軽くアシッドは小さな胸を自慢げに張った。


 アシッドと私は同じ年だったけど、病気がちなロガーンは同じ世代の子供たちより小さい。もちろん私よりも小さくて。私から見たら友達ということは間違いない。けれど、弟のようでもあった。それを言えば多分怒りそうなので言わない。なぜだかは、知らないが。


 私はなでなでと頭を撫でた。ぽうっとアシッドの頬が朱に染まる。


「全部食べないと、大きくなれないし、よくなれないから、ちゃんと全部食べてね?」


「……ん」


 大きく成るのだろうか。そんな疑問を飲み込む様にしてアシッドは頷いたように見えた。


 これでも『まし』にはなったのだ。出会った頃に比べて見れば、顔色もいいし、身長だって伸びたと思う。相変わらず骨と皮のままで、風が吹けば折れそうだけれど。


 あのまま――私がここを見つけなければどうなっていただろうか。ふと考えて薄ら寒くなる。ふうっと感情を吐き出す様にして私はアシッドを覗き込んだ。


 ぱちぱちと大きな目が瞬かれる。


「あのね。いつかわたしがここから連れ出したげる。そうしたらいっぱいおいしいもの食べさせたげるるね」


「パンも美味しいよ?」


 言いながらパンを千切ると私の口に含ませる。これをかみ砕いて飲み込んでからアシッドを見つめた。


「あのね。これもね。美味しいけど。せかいにはもっといっぱいあるはずだよ。わたしだってそんなには知らないけど。きっとおいしいもん。あのね。だから。だからね」


 ここからが上手く言葉に出来ないのはなぜだろうか。『だから――』と何度か呟いてしりすぼみになってしまう。そんな私を見ながらアシッドは数回瞬いた後で口を開いていた。


「じゃあ。ぼくがメリルちゃんを連れ出すよ。メリルちゃんの美味しいものはしんようできないから、僕が連れ出すんだ」


 目をキラキラさせて楽しそうに話すことは私にとつてとても嬉しい事だった。嬉しいことだけれど、なぜか納得いかないのはなぜだろうか。


「わた、わたしだって味くらい分かるし」


「……えつと」


 無言で草を見るアシッドにつられて私も草に目がいく。なんとなく『この味が分からないのに』なんて言われている気がして、私はすくっと立ち上がり、いい笑顔でアシッドを見下ろしていた。


 びくっと固まるアシッド。思わず咳きこみそうなのを無理やり飲み込んだようで口を抑えている。


「――ふぅん? そんなに食べたいんだ。これ」


「え?」


 かたかた軽く肩を震わせているのは気のせいだと思う。だって私は笑っているのだから。すうっと域を吐きつつ言葉を綴る。


「沢山取ってくるね」


 言い残して『いや、あの。ごめんなさい』そんな言葉を聞かずに飛び出していた。


 ――別に怒ってないし。そう言い分けしながら。

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