第3話 鈴木、トンボに襲われる

 クレーム対応を終えた夜の8時、鈴木は東京都大田区にある自宅へと帰っていた。


 駅前のスーパーでお惣菜を購入し、いつもの道を通り自宅のアパートへ向かっていた。

 

 そのとき、


「きゃーーー」


 大きな叫び声が聞こえた。


 声の場所は目の前にある小さな公園からだ。

 

 鈴木は一瞬迷った。何が起こっているかは不明だが、覗いたら自分が襲われる可能性だってある。


 その場から逃げ出そう、心のなかからそう声がする。


 しかし、足は反対の報告に向かっていた。好奇心なのか責任感なのか、鈴木は叫び声が聞こえてきた公園を覗き込んだ。


 住宅街の一角にある小さな公園だ。鉄棒2つに、滑り台1つ、3つのベンチが置かれているだけのシンプルな公園。


 暗闇の中、地面の上で巨大な何かが蠢いている。


 鈴木はよく目を凝らす。


「……はね?」

 

「きゃーーー!」


 再び叫び声が聞こえた。


 雲で隠れていた月が顔を出す。月明りが、その全貌が照らし出す。


 トンボだ。そこには巨大なトンボがいた。


 翅を広げた大きさは1メートルほどぐらいありそうだ。自分が両手を広げたときとほぼ同じだ。


 異様なのは大きさだけではない、頭にはまん丸の大きな目が1つだけ。さらに、翅の数は6枚、身体は黒と赤のまだら模様。


 明らかに自分が知っているトンボとは違う。一つ目巨大トンボだ。


 そんなトンボが6本の脚であばれる物体を押さえつけながら、大きな顎で獲物をかじろうとしている。


 押さえつけられているその獲物は、女性だ!


 20代ぐらいの女性だろうか、巨大なトンボに上半身を押さえつけられている。必死に手足をバタつかせながらなんとかトンボの噛みつきを避けていた。

 

 しかし、二の腕や脇腹から血が出ている。すでに何箇所かかじられてしまっているようだ。


 やっと状況が飲み込めた鈴木だが、身体がピクリとも動かない。冷や汗が背中を流れる。


「どうする?」


 あのトンボはニュースを騒がしている新型昆虫だろう。今まさに人間を食べようとしている。ネットの噂通りだ。


 逃げるか。助けるか。


 助けるったってどうやって?


 とりとめのない言葉たちが頭の中を流れていく。


「きゃーーー! 誰か助けてーーー!」


 女性は叫び続ける。


 助けを呼ぶか? けど今から警察を呼んでもあの女性は間に合わないだろ。


 自分がトンボを追っ払う?


 いいや無理だ。


 ここから逃げよう、見なかったふりをして。


 自分には無理だ。来た道を戻って遠回りして帰宅しようとする。


 その時、トンボが女性の肩に噛みついた。


「……いっっっっいやああああ……!」

 

 女性は言葉にならない悲鳴をあげる。


 涙と絶叫を吐き出しながら女性が首を左右にふる。そのとき、女性は入り口で棒立ちしている鈴木を見つけた。


「おねがい……助けて……」


 女性は鈴木の目を見つめながらなんとか声を絞り出した。

 

 その瞬間鈴木は走り出した。

 

 トンボに向かって。


 身体が勝手に動いていたのだ。何かを叫んでいた気がするが覚えていない。ただ、逃げようとしていた自分に腹が立っていたのだけは強く感じていた。


 鈴木の叫び声に驚き、トンボの動きが止まる。


 鈴木は手に持っていたスーパーのお弁当が入ったエコバックをトンボに投げつける。見事的中し、中に入っていたお弁当がばらまかれる。


 トンボにほとんどダメージはなさそうだが、トンボはいったん獲物から離れ、翅を動かし空中を旋回する。


 鈴木は地面に倒れている女性のもとへ近づく。女性は泣きながら鈴木の足にしがみつく。


「あ、ありがとうございます……」


「とにかく逃げてください!トンボから早く離れてください!」


 女性は足を引きずりながら、なんとかその場から離れる。


 トンボは体制を整えると、ホバリングをして、大きな一つ目で鈴木を凝視する。無表情な目で感情は読み取れないが、食事を邪魔され怒っているように見える。


「キィィィ!」


 トンボがすりきり声を出しながら、鈴木に向かって突進してきた。鈴木の後ろには女性がいる。


 鈴木は肩にかけていた仕事用のバッグをトンボに向かって投げつける。


 ガンッ! と鈍い音がする。


「どうだ! パソコン入りだ!」

 

 在宅勤務がいつでもできるように、毎日仕事用のパソコンを持ち帰っていたのだ。


 パソコンをぶつけられたトンボはバランスを崩すと、真横に旋回をして再び体制を整える。


 襲われていた女性はなんとか公園から出ていったようだ。


 自分も逃げようとするが、旋回したトンボがそのまま鈴木に向かってくる。


 もう手に持っているものはなにもない。思考がまとまらず、恐怖で固まってしまう。大きな丸い一つ目がぐんぐんと近づいてくる。


 くずれるようにしゃがみこむ。頭上をトンボが通り過ぎる。なんとかトンボの攻撃を避けられた。


 トンボは鈴木の背後にあった桜の木にぶつかりそうになる。このままぶつかれ! と鈴木は願うが、急旋回して避ける。トンボの翅が木の枝にぶつかったが、ダメージを負ったのは枝だった。枝がスパッと切り落とされたのだ。


「木が切断された!?」


 左右についている6枚の翅のうち、頭部側についてる1組の翅だけはキラリと光っている。どうやら翅の先端が刃物となっていて、切れ味抜群のようだ。


 避けていなければ、首が切断されていたかもしれない。鈴木の背中を冷や汗が流れる。


 旋回したトンボはそのまま、地面に尻をつく鈴木に向かってくる。大きな1つ目で鈴木の居場所をすぐに見つけだす。


 トンボの突進を横に転がりなんとか避けようとした。しかし、トンボの大きさは1メートルほど。急には避けきれず、背中に大きな傷ができる。


「ヴッ……」


 血が流れてるのがわかる。


 鈴木は激痛で脂汗がじっとりにじみ出る。


「やばい……このままじゃ本当に死ぬ」


 痛みとともに死が目の前にあることを実感し、足が震える。


 なんとかしてこのトンボをやっつけないと。でもどうやって?


 再びトンボが近づいてくる。鈴木はすぐさま立ち上がり、激痛にたえながら公園内をがむしゃらに走り出す。


 ふと、視界に公園の端にある鉄棒が目に入った。急いで鉄棒へと向かう。トンボはすぐ背後まで迫ってきている。


 キラリと光る翅が鈴木の背中に当たる瞬間、鈴木は鉄棒の下をスライディングで通り過ぎる。

 

 猛スピードを出していたトンボは、鉄棒の2本の支柱をスパッと切断する。


「そのまま鉄棒で潰れろ!」


 握り棒が落ちて、トンボにダメージを喰らわせる狙いだ。


 しかし、トンボのスピードが早く、落下する握り棒は尻尾をかすめたぐらいで大きなダメージは与えられなかった。


 トンボも思わぬ接触でバランスを崩し、上空に旋回し、態勢を整える。


 再びトンボは、尻もちをついた鈴木に猛スピードでむかってくる。


 次の作戦を考えようとするが、何も思いつかない。


 トンボの顔がドンドン近づいてくる。


 このままでは死ぬ!


 とっさに、地面に落ちている鉄棒が目に入る。先程トンボが切断したものだ。


 この鉄棒を右手でつかむ。


 たのむ!


 タイミングを合わせてトンボの頭めがけて思いっきり振り下ろした。


 弧を描いて振り下ろされた鉄棒は、トンボの大きな一つ目に見事ヒット。グシャッという音を出しながらトンボは地面に激突。大きな頭が潰れた。


 翅をバタつかせ、再び飛ぼうとしていたが、すばやく鉄棒を持ち上げ頭を再度潰す。


 グシャ!グシャ!グシャ!


 ついにトンボは動かなくなった。


「ハァ……ハァ……、助かった……」


 あまりにも突然のことで、体が動かない。腰が抜けてしまった。


 すると、頭の中で無機質な声が聞こえてきた。


「経験値100ポイントを獲得しました。

 レベルが1から4にあがりました。

 筋力が7あがりました。

 耐久力が9あがりました。

 俊敏度が7あがりました。

 器用度が14あがりました。

 魔力が18あがりました。

 熟練スキル<恐れぬ心Lv1>、<身体強化Lv1>を獲得しました。

 ユニークスキル<武器錬成>を獲得しました。」


「誰の声だ? レベルアップ? なんだこれ……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る