第1章 鈴木の物語のはじまり
第2話 鈴木の日常と忍び寄る異常
2025年夏、東京都品川区。
蒸し暑い昼間、天井の低いオフィスビルの一室で男性が電話にでている。
「はい……はい」
「鈴木さん、たのみますよ。また不良品がはいっていたんですけど。おたくの会社はどんだけテキトーな仕事してるんですか?」
平謝りでクレームの電話を受けているのは、小さい会社で営業をしている鈴木はじめ。
先日納品した商材に、不良品が入っていたという連絡を受けて、客先からクレームを受けていた。
「はい。……はい。申し訳ございませんでした。至急確認をいたします。……それではまたご連絡いさせていただきます。失礼いたします」
なんとか電話を切り上げ、一息つく。部屋は冷房の効きが悪く、背中を汗が流れていく。
「ふー。相手は確か36歳だったな。10歳も下の若者に怒られるとは」
新卒でなんとなく入社した会社。営業の仕事は自分には向いていないと思いながらも、転職する勇気もでず、だらだらと続けて36歳になってしまった。
当然営業成績は悪く、万年平社員だ。独身で彼女もいない。趣味はDIYぐらいで、飲みに行くような友達も今ではもういなくなってしまった。
20代までは自分が何者かになれるような気がしていた。いつか自分は何かを成し遂げる人物なのだと。そう言いながらも、全力でなにかに挑戦することを避けてきた。失敗して希望を失うことが怖いからだ。
30代半ばを超えると、このまま自分は何者にもなれずに人生を終えていくことに気づき始めてきた。会社で偉くもなれず、彼女も友だちもいない。孤独のまま自分は一生を終えていくのだろう。
俺って生きている意味あんのかな?そんなことを考えてしまうことが増えてきた。
ヒーローになれなくていい。せめて誰かから必要とされたい。誰かの助けになりたい。
孤独だ。
「はー、もう一度学生時代から人生をやり直したいなぁー」
鈴木はハンカチで汗を拭きながら、パソコンを操作する。
「なーにいってんすか、鈴木さん」
隣の席に座る後輩、山田だ。うちわを仰ぎながら、アイスをかじっている。
「人生なんて適当が一番ですよ」
仕事熱心ではないが、卒なくこなすタイプの山田は、よくサボるくせに会社からの評価はそれなりにいい。もっぱらAIに仕事をさせていて、いかに楽をするかに時間を割いている。私生活でも可愛い彼女とこの前結婚して、奥さんは現在妊娠しているそうだ。
「鈴木さんは真面目で不器用だから、人生やり直したとしても同じように苦労してると思いますよ。人生ってそんなに変わらないんですよ」
「そんな気がするよ。おれは結局この人生を生きていくしかないんだろうなー」
鈴木は天を仰ぐ。
「そんなことよりも大変なことになってますね、千葉県」
鈴木の悩みトークをさっそうと切り上げた山田はパソコンでニュースサイトを見ている。
ここ数ヶ月の間に、千葉県で新種の昆虫が大量に発見されていた。蟻やバッタ、謎の新種生物など多様な種類が次々に見つかる。特徴的なのは、どれも日本固有の昆虫より明らかに巨大だ。1メートルを超えるバッタも発見されている。
また、千葉県内で失踪者の数も増えていた。
ネット上では新種の昆虫と失踪者の関連性が早くから疑われていた。先日、昆虫を研究している機関で、研究者が昆虫に襲われ死亡する事件が発生。新種の昆虫は人を食べることが判明し、日本社会はパニックに陥っていた。
この事件を受け、千葉県に緊急事態宣言が発令。指定地域の住民は避難生活を強制された。県外へ出ようにも、道路上で検疫が実施され、大混雑。避難に時間がかかり被害が拡大している。
SNSでは「千葉県民は逃げ場がない」、「対応の遅い政府に親を殺された」、「自衛隊でも倒せなかった昆虫がいた」などといった真意不明の絶望の声があふれている。取材に行ったクルーが行方不明になったことで、マスコミも伝聞のみの報道となってしまい、混乱が混乱をよんでいる。
千葉県を囲む川沿いには高さ2メートルほどの防護壁が敷かれ、新型昆虫が東京に侵入するのをなんとか防いでいる。ニュースでは、防護壁の前で自衛隊が殺虫剤をまく様子が何度も映し出されていた。幸い東京都で昆虫が発生したというニュースはまだ出ていない。
山田がネットサーフィンをしながら記事を読み上げる。
「死亡者・行方不明者は100人を優に超えているらしいですよ。本当は都民も避難させないといけないけど、受け入れ先が見つからないから政府は躊躇しているらしいです。お偉いさんたちはすでに関東から避難しているっていう噂もありますよ」
混乱の中で、真偽不明の噂が飛びかっている。
「頼むから東京には出てこないでほしいですよね」
山田だけでなく、東京都民はみんなそう願っていたはずだ。
「千葉県といっても、新種の昆虫が見つかっているのは東京から離れている海側の地域だから大丈夫だと思うんだよね。都知事も東京は安全と言っていることだし」
不安に感じながらも、どこか映画を観るような感覚で鈴木はニュースを眺めていた。
「気になるのはこのカラーズって組織ですよねー。最近ニュースでよく取り上げられているの知ってます?」
山田はニュース動画を流し始めた。動画は、厚労省の職員主体で結成された昆虫駆除チーム通称「カラーズ」を特集していた。
「カラーズ」と呼ばれる団体は、新型昆虫を研究している女性職員が結成した少数精鋭の新型昆虫駆除集団だ。情報収集をメインに活動しつつ、昆虫の駆除にも乗り出すなんでも屋組織だ。
防護壁近くで勤務しており、防護壁から侵入してきた昆虫を自衛隊と協力しながら駆除している。
この組織の特徴は倒す武器のユニークさだ。日本刀やハンマーなどを使って昆虫を駆除している。本来なら銃刀法違反だが、緊急事態の特例ということでどうやら認められているらしい。
最初は世間からも奇異な目でみられていたが、政府や自衛隊の対応が遅れる中、彼らの実績を買われ、今ではマスコミがヒーロー扱いするほどになってきている。
二人の女性がインタビューを受けている。
「私たちは私たちができる範囲のことを最大限行っています。1つ言えることは、決して私たちの真似をしないでください。新型昆虫は皆様の想像以上に危険な生き物です。もし発見したらすみやかに逃げてください」
インタビューを受ける女性は30代前半だろうか。テロップに「代表 赤城真希」と出ている。キリッとした目つきには意思の強さがうかがえる。こういう人を上司にしたら大変だろうなぁと鈴木は漠然と思う。
赤城と一緒にいる黒宮のぞみという女性は非常に若い。女子高生だろうか。黒髪ロングでモデルのようなスタイルだ。彼女の手には日本刀が握られている。彼女はこれで昆虫を駆除をしているのだという。
インタビューを見ていた山田が茶化してくる。
「自分より年下の女性に危険ですと言われてもなかなか説得力がないですよね。むしろ自分も刀なら戦ってみたくなりますよ」
山田はアイスの棒を刀に見立てて振り回す。
ニュース動画はまだ続いていた。赤城がカメラ目線になって語りかけた。
「私たちはつねに新型昆虫の情報を求めています。どんな経験のものでも、どんなレベルのものでも、情報があればぜひ私たちのサイトの問い合わせフォームにご連絡ください。」
「経験?レベル?」
鈴木は言葉のチョイスに引っかかる。
「たった数人で駆除にあたっても、気休めぐらいしかならないんじゃないですかねー」
アイスを食べ終えた山田は、ニュースサイトを閉じて仕事を再開した。
つられて鈴木も自分のパソコンにログインし直して、仕事に戻る。
テレビやネットからは「危険」という情報が溢れかえっているが、どこか遠くの出来事に感じていた。鈴木の日常はいつもの退屈な生活だ。
しかし、そんな日常もその日の夜に崩壊することとなる。
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