第297話 想いは帰結する


「やっと、着いた……」



 吐き出した息には、此処までの苦労が込められている。電車を乗り継ぎ、"東京ベックサイト駅"へと辿り着いた僕だが、大会が始まる前から既に疲労困憊となってしまっていた。


 何よりも、この人の多さよ。


 都市集中型のメリットは理解しているけれど、些かやり過ぎだと僕は思うね。人混みに酔ったのは久し振りだが、何度経験しても慣れないものだと悟ったよ。


 夏休み期間中だからか、"うにかもめ"の乗客も多かったね……大部分は"レガシオン・センス"の世界大会を観に来ているのだろう。……もっと言うと、お目当ては黄泉比良坂かな。アレから公式HPにも載ってたけど、連中もこのオフライン・イベントに参加するらしい。


 予想通りとは言え、今回ばかりは外れて欲しかったな――



「あっちぃ……」



 熱の篭った帽子を脱いで、自身の茶髪をガシガシと掻き上げる。こうする事で、少しでも熱を放出させようという魂胆だ。何せ、現在の僕の格好は帽子・マスク・サングラス着用と。暑っ苦しい事、この上ないからね? 不審者を見張りに来たというのに、パッと見、僕の方が不審者だよこれ!?


 素顔じゃ心細いから、この装備ってわけ。


 実際、この格好だからこそ、此処まで来れたまであるし。満更否定出来るものでもない。


 兎に角、今は会場へと急ごう……。


 思った僕は、ビクビクとした足取りで、ベックサイトまで歩いて行く。


 すると――



「へぇえ! めっちゃ混んでるじゃない!?」


「正気じゃない暑さ……やっぱり、オフライン・イベントは苦手だわ……」



 人混みにテンションを上げながら、眼鏡を掛けたOL風のスーツの女性が声を張り上げる。隣では首にチョーカーをしたダウナー系の女子大生が汗を垂らして項垂れており、両極端な反応を見せている。



「おいおい! アッチにコスプレイヤーの人もいるぜ!! 見てみろよ、野原!?」


「本当だ……! 凄い……!」



 こっちは高校生かな? 元気な赤毛の少年が、内気そうな文学少女に声を掛けている。



「……あの胸は、Fカップかなぁ?」


「倖田さんって……本当にそういうの好きですよね? 世界大会なんだから、もっと真面目にしてれば良いのに……」


「息を抜くのも大切だぜ? 鼎君も、そんなに緊張してたら本番で力を発揮出来ないよー? 俺を見習って、君もリラックスすると良いさ」


「……別に、緊張なんてしてませんし……」


「そう? なら良いんだけど」



 背丈の高い飄々とした帽子の男と、小柄な中学生男子のペアか? 何とも不思議な組み合わせだが、揶揄われている少年は鬱陶しそうだ。



「――いたいた! 皆!」



 個性豊かな一団に駆け寄るのは、耳にピアスをした黒髪の美形――御剣直斗であった。


 やっぱ、アイツらが黄泉比良坂か……。


 雑誌や、テレビの放送で見た通りの風貌をしている。周囲に居るファンは空気を読んで話し掛けない様にしているけれど、何れマナーの悪い連中に取り囲まれるのも時間の問題だろう。


 ――ていうか、あれ……?


 アイツらが黄泉比良坂だったとしたら、足りない面子が二人いるじゃないか。


 思ったのは、僕だけじゃなかった。



「……あれ? ペトラと、呉羽は?」


「あー……逸れちゃった……」


「え!?」


「ペトラの方が迷子なのよ。呉羽は一人で周辺を探してくれてるの。ほら、大人数で動くと、私達って目立つでしょう?」


「一人で、大丈夫なのか?」


「何かあったら、連絡するって言ってたぞ?」


「俺も着いて行きたかったんだけどなー」


「駄目……赤城君じゃ、二次遭難する……」


「刹那さん!? 俺の信用無さ過ぎでしょ!?」



 笑い合う黄泉比良坂のメンバー達。聞こえた会話の内容に、僕自身は焦りを覚えていた。


 ペトラ=アンネンバーグが、迷子……?

 鶺鴒呉羽が、単独行動……?



 ――嫌な予感がする。



 居ても立ってもいられなくなり、僕はその場から駆け出した。周囲から目立つのもお構いなしだ。意識と身体に身を任せながら、僕は走って、走って、走り続ける――。


 何故、こんなにも懸命になっているのだろうか? 自分でも分からない。運動不足が祟って心肺機能が低下している。心臓は馬鹿みたいに早鐘を打ち、自然と僕は口許を緩ませた。


 何て、道化なんだろう――。


 誰にも頼まれていない。勘違いかも知れない予感に必死になっている。守ろうとしている相手は僕を認知すらしていない女だぞ?


 此れを滑稽と言わないで、何と言う?



「――ッ!」



 内心で自嘲していると、西展示棟の一角に立ち止まった二人の姿を目撃した。一人は金髪の幼女・ペトラ=アンネンバーグだ。彼女の手を引いている赤髪の女子大生が鶺鴒呉羽だろう。


 ……無事、だったか。


 ほう。っと、息を吐き出した。


 その時である。



「鶺鴒呉羽ぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」


「え?」



 チェックのシャツを着た痩身の男が、呉羽に向かって雄叫びを上げる。駆け出した男の手には一本のナイフが握られており――彼女を亡き者にせんと、凶刃が向けられていた。突然の事に目を見開いた呉羽は、咄嗟に、側に居たペトラを庇う素振りを見せた。自身の保身など何も考えていないのだろう。ナイフを振るう男にとって、その姿は何処を突き刺しても良い、隙だらけの体であった。



 馬鹿が――ッ!!



 頭の中が痺れていた。


 僕は自分でも驚く程に迅速に。且つ、素早く彼女の元へと駆け付けた。


 割って入った僕に驚く素振りを見せつつも、男はナイフを振り翳す。


 伸ばしたのは左腕だ。

 僕の利き手。


 この腕が彼女の盾となる様に。

 願いを込めて、腕を伸ばした。



「ぐ、おぁぁぁぁぁ――ッ!!」


「ひ、ひきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」



 ナイフの刀身を、手の平で受け止める!!


 突き刺さり、貫通し、流血する左手で……そのまま男の右手を握り締める!!


 暴れようが何しようが、絶対に逃がさない!


 左手の激痛に堪えながら、僕は身体全体を使って男を拘束した。マスクが飛び、サングラスは割れ、帽子が吹き飛ぶ。それでも何とか取り押さえていると、遠くにいた警備員が異常を察して駆け付けてくれた。


 数人がかりで男を抑え付ける。

 もう、滅茶苦茶だったよ。



「あの、あの……ッ!!」


「……?」



 捕らえられた男の背中を見詰めていると、ふいに、鶺鴒呉羽が話し掛けて来た。冷静沈着な彼女にしては、珍しい様子だ。焦り。慌て。泣き出しそうな顔で僕を見ている。


 一体、何だろう?


 あ。もしかして、コレかな……?



「っ!!」



 僕は、自分の左手に突き刺さったナイフを思いっ切り引き抜いた。アドレナリンが出ている所為か、痛みとかは余り無い。ただ、血がドバドバと出ているなぁ? これって、引き抜いちゃいけない奴だったりするのかなぁ……?


 まぁ、良いか……。


 兎に角、守れたんだもんな……?



「……借りは、返したからな……?」


「え……?」


「これで、対等だ――」


「貴方、は……?」


「……」



 いかん。


 頭がくらくらして来た。

 流石に、少し血を流し過ぎたか……?


 ボーっとする……。


 視界が、回る……。



「す、すぐに止血しないと――ッ!」


「良い、から……」


「え!?」


「そのままで、良いから……」



 何も考えずに、僕は自然とそんな事を口走っていた。戸惑う彼女の表情が、おかしくて。こんな時に何だが、僕は笑みを浮かべてしまう。



「……やっと、見て、くれたな……?」


「……」


「そうだ……そのままで良い……ずっと、見守っててくれ……」


「……見守る? 見守れば良いの?」


「……」


「ねぇ!? 本当に大丈夫なのッ!?」


「――呉羽」


「え」


「……きだ」



 呟きを最後に。フワフワとした意識の中、僕はその場で気を失ってしまう。


 自分が何を口走ったのか分からない。

 相手に伝わったのかどうかも。


 だけど、気持ちだけはハッキリとしていた。


 本当に僕は残念な奴なんだ。

 ナイフでブッ刺されて、気絶して。


 そこまでされて。


 漸く、自分の気持ちに気付くなんてね……。



 ――石動蒼魔は、鶺鴒呉羽を愛している。



 出会ってからずっと、僕は彼女の事が好きだったんだ。だから、あんなにも必死になって追い掛けた……彼女に認めて貰いたくて。見返したくて、僕は頑張っていたんだろう。


 言葉にすると、情けないなぁ……。

 見詰められただけで、自覚してしまった。


 此れが、僕と彼女の関係だ。


 覆す事の出来ない――


 僕と、彼女の現実。


 この恋は、きっと実らない。


 何となく、理解はしていたんだ。


 僕と彼女では――住む世界が違うのだから。

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