第290話 世界の意志①


 10月28日土曜日。


 ABYSSの70〜80階層は"水中エリア"と呼ばれている。水没した迷宮内を潜水しながら探索して行くのだ。レベルアップの恩恵は心肺機能にも施されており、常人よりも長く呼吸を止める事が出来る――が、それでも水の中を進んで行くというのは陸地を歩むよりも遥かにハードだった。一応、酸素ボンベなどを持ち込む事も出来るが、嵩張るのでオススメはしない。敵も学習しているのか、ボンベを背負った探索者に対しては、ボンベ自体を優先して狙うという習性がある。水中で、且つ、面積の大きいボンベを庇うのは至難の技だ。却って危険を増やす結果にもなりかね無いので、基本的には素潜りで探索するのが最適解なのだろう。


 LV.70時点での僕の無呼吸記録は2時間だ。


 随所に休憩ポイントが用意されているので、そこで酸素を吸いながら、先に進んで行くというやり方である。何よりも厄介なのが、階層毎の広さだろう。――広く深く。何処までも続いているかの様な階層は、それまで有った、どんな罠よりも厄介だった。どれだけ身体能力が強化されたとしても、人は水の中では生きていけない。ふやける肉体が壊死しない様に、適度に陸地に上がる必要があった。強制的に取らされる小休止は肉体に疲労を思い出させ、探索の足を鈍化させた。出現する魔物も強力で、水の中での戦闘という事もあり、本来よりも苦戦してしまう。原作のレガシオンでも最難関とされていた区間である。その呼び名に相応しい難度を誇っていると、僕自身も感じていた。


 だから――無事10月中に80階層まで来れて、本当に良かったと思っていたんだ。


 このを、見るまでは――



「何だ……此処は?」



 80階層の階層主は、水神ヤマタノオロチ。


 鰻みたいなドデカイ水龍である。当然、相対するのは水の中であり、80階層は唯一呼吸ポイントの無い階層だった筈だ。挑戦する探索者は自身が窒息しない様、早期での決着を余儀なくされる。しかし、相手は水中戦特化のボスである。単純に滅茶苦茶強いし、環境は最悪だし、僕としても覚悟してこの場に転移して来たのだが――これは流石に予想外だ。



「まさか、バグってる……とか?」



 僕の相手は階層主ではない。それよりも強力な守護者の筈だ。しかし、この階層は何だ? 敵もいないし、景色もない。あるのは完全な闇だけだ。……順当に行けば、僕はこの場で世界ランキング第3位の相手――つまり、僕自身と戦闘をする筈だったのだが、知っての通り、石動蒼魔は此処にいるし。世界にも取り込まれていないから、こんな暗転空間が広がっているのだろうか? 戦わないならそれでも良いけど、問題は81階層に上がる為の転移石である。見た感じ何処にも存在しないんだけど……もしかしてこれって詰んでるのか? リセット案件? やり直し?


 初めての事に、軽く混乱してしまう僕。

 出直した方が良いのかなぁ――?


 思った、その時だ。



「――やぁ、待たせたね?」


「……ッ!?」



 闇の中から、一人の男が現れた。


 柔和な笑みを浮かべた、キザな男。

 その姿には見覚えがある。



「……御剣、直斗……ッ!?」



 世界ランキング第一位のプレイヤー。

 あっちの世界での、神宮寺秋斗。


 まさか、コイツが今回の敵なのか!?



「……おかしいな……? 予定では今日は、自分自身と戦う筈だと思ってたんだけど?」


「そうかい? 何も矛盾はしてないけど?」


「……はぁ?」


「……分からないならそれで良いさ。此処に立っている僕は、本物の御剣直斗では無い。彼の皮を借りた……謂わば、世界の意志だ」


「世界の意志?」



 それはまた、随分とスケールの大きい相手だね? 取り込んだ守護者では僕を倒せなかったから、直接叩き潰しに来たって訳かい?



「……誤解している様だから言っておくけど、今回僕は、君と争う気は無いよ。他ならない、君と対話をする為にやって来たのさ」


「対話だって――?」



 何を今更。コイツは自分の事を世界の意思とか言っていたな? つまり、旧・黄泉比良坂のメンバーを取り込み、僕と争わせたのもコイツ自身だ。世界がどうとか、小難しい事はどうでも良い。その一点だけで、僕はコイツが気に入らない。ぶっ潰してやりたいとすら思っていた。



「君の感情は理解出来る。望まぬ争いを強いられて来たと言うんだろう? だが、その道を行くと決めたのは君自身だ。僕に当たるのは筋違いさ。どちらかと言うと、僕は被害者の立場だ」


「被害者……? まぁ、そうとも言えるか……」


「話がしたい。まずは神宮寺秋斗についてだ」


「……」



 拒否は――出来ないんだろうなぁ?


 それに、僕自身も世界の意志という奴が語ろうとしている内容に、若干の興味がある。


 耳を傾けてみるのも、良いかも知れない。



「――御剣直斗、神宮寺秋斗。それ以前は名無しか――彼には様々な顔がある。総じて言えるのは、彼が謎多き人物だという事だ」


「……」


「その素性は全てが謎。世界の意志である僕ですら窺い知る事は出来ない。唯一分かっている事は、彼が"虚数より出し存在"という事さ。虚数とは――つまり、今は存在しない時空の事を指す。彼は何らかの要因によって消失した世界から、消失を免れて、この世界へと移動して来たんだ……謂わば、バグみたいな存在だね?」


「神宮寺が、バグ……?」


「彼が移動して来た事が全ての始まりなのさ。本来であれば彼は、崩壊した世界と運命を共にし、世界から抹消される筈だったんだ」


「……そこまでは道明寺からも聞いている。並行世界っていうのは、基本的に行き来をしちゃ駄目なんだろう?」


「世界に穴が空いてしまうからね? それでも致命傷ではない。流出した情報は仮想シミュレートで誤魔化せるし、外部から異分子が侵入したとしても、こちら側に取り込んでしまえば問題無い。けれど、君達の場合は別だった。しっかりと異分子として存在し続けて、僕等はABYSSなんてものを展開する羽目になってしまった」


「ABYSSは世界の修復機能だろう?」


「だが、バランスブレイカーでもある。生命の進化を一方方向に促す危険な代物だ。本来であれば常用するものではない」


「……そんな危ない代物に手を出す程、世界が弱っているっていう事か?」



 "世界の意志"は、黙って頷いた。しかし、此処までの情報は既に撲も知っていた事だ。


 世界の意志とやらは、僕に何を聞かせたいのだろう? ……一体、何を言いたいのだろう?



「神宮寺秋斗は、元は君と同じ立場だった」


「?」


「断片的な彼の情報をシミュレートして、僕達はそう帰結する。神宮寺秋斗は"救済者"だ。故に、あれだけの力を有している……」


「……救済者?」


「世界を救った者という意味だ」


「……いや、それは流石に分かるけど――アイツが僕と同じ立場って言うのは、具体的にどういう事なんだ?」


「それは、言った通りさ」


「……はぁ?」


「世界を救う為、君は我が身を犠牲にして虚数空間に身を置こうとしている。神宮寺秋斗も同じだったんだろう。でなければ、彼が虚数に存在し続けられた理由が証明出来ない」


「……」


「――彼は後悔したんだろう。己を犠牲に世界を救った事を。孤独に耐えきれなくなり、やがてその力で禁忌である世界移動を行なってしまったんだ……此れが、負の連鎖の始まりさ」


「始まり? いや、違うだろう? 神宮寺が悪いみたいに思われてるけど、実際の始まりは神宮寺の世界が崩壊した事が原因じゃないのか!? アイツを擁護する訳じゃないけれど、そこんとこは分けて考えなきゃ――!?」


「――いや、始まりだよ」


「は、はぁ!?」



 何だ!? 意味が分からん!?



「逆説的になるけれど――彼の世界が崩壊したのは、彼自身が【未来で世界を崩壊させる】という結果を決定したからなんだ。過程は問題ない。結果だけが問題なんだ。世界というものは結果を逆算して事象を起こす。書き換える。存在しない事象を作り出し、あたかも整合性が取れていると思わせる概念なんだよ」


「――だから、この世界に存在しない筈の黄泉比良坂のメンバーも……?」


「守護者として取り込んだ。まるで昔からそうだったかの様に、矛盾を消したんだ」


「……」



 意味、分からねぇ……っ

 まるで穴だらけの世界じゃないか?


 そんなんで本当に良いのか?



「――この例は、彼が"超越者"という特殊な立ち位置に進化した事が原因だ」


「超越者……確か、不老不死で、世界に干渉されない独立した存在だとか言ってたな……?」


「不死ではないけどね? 同格以上の存在に殺されたなら、普通に死ぬよ。世界に干渉されないのは本当さ。都合が悪い時の書き換えが起こらない……取り込まれない。逆に世界側が設定の変更を余儀なくされる、唯一無二の存在――」


「……神宮寺が、そこに至る可能性を秘めていたから――」


「だから、世界は自死したんだ。本来なら設定変更で乗り切れた所を、彼というバグが癌細胞

の様に滞留し続け、世界は崩壊してしまった――此れを始まりと言わないで、どうする?」

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