第250話 蒼魔の記憶⑤


 果たして、僕の企みは上手く行ったのだろうか? 繰り返すが、世界移動に時間軸は関係無い。A世界からB世界へと移動する際に、誤ってC世界へと寄り道をしていたとしても、何らおかしくはないのだ。全ては記憶障害として処理されてしまう。世界と世界の狭間。何も無いその空間には僕の意識が存在しているのだが、この狭間には世界や宇宙。ありとあらゆる情報が海の様に流れていた。溢れ出る膨大なデータの中で、自己を確立するには意識を保つ以外に方法は無い。――我思う、故に我あり。デカルトの言葉は真理であった。1秒が10年に引き伸ばされる感覚を味わいながら、僕は世界の狭間で漂い続けた。本来ならば摩耗して消滅してしまう運命だったが、僕は生き残った。生き残り続けていた。一人で過ごす環境に慣れていたからだ。だから――


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 発狂して発狂して発狂して発狂して。


 記憶を失いながらも、僕はその世界に辿り着いた。記憶を喪う。過去を無くすという行為は防衛本能なのだ。キャパシティをオーバーしない様、僕は自発的に記憶喪失を起こしていた。


 むしろ、忘れなければ消滅していただろう。

 データとなり、永遠に狭間を漂う。

 成れの果ての完成だ。



「――」



 眩い光と共に、僕の意識が浮上する。何百年。何千年と漂って、漸く僕は到達した。


 ――新世界へ。


 顕現した肉体は異形のままで、また、正気すらも失っていたが、それでも充分だった。長い旅路を終えて、僕は御剣が飛んだ世界へとやって来たのだ。高揚する意識。子供が理由も無く走り出したくなる気持ちと一緒だ。新生した僕には自制心というものが無く、そこが何処かという、根本的な疑問にも目を向けずに、"塔"の外へと飛び出して行った。


 まるで、魔物そのものだ。


 本能のままに身体を動かすのは気持ちが良かった。駆ける肉体は光よりも速く、風よりも静かに動けた。生来の人間嫌いが影響してか、正気を失った僕は、人目を避けながら行動していた。だから、ABYSSから一体の魔物が飛び出しても、誰も気付かなかったのだ。


 ……奴以外は。


 差し向けられる追手。今思えばアレらは御剣の手の者達だったのだろう。正気を失っていた僕は、走りながら彼等を殲滅していた。


 時刻は夜だった。煌めく星をバックに夜天を跳躍する僕。そのまま日本中を駆け巡ったとしてもおかしくはない状況で、僕の魂はある一点に引かれていた。そうして、導かれる様に向かった先で、僕は翔真達と出会ったんだ。


 ……そう、石瑠翔真と鳳紅羽だ。


 彼等の姿を見た瞬間。

 僕は僅かに正気を取り戻していた。


 ――レガシオン・センス。


 幾度となく記憶を消去しながらも、決して消える事の無かったその情報が、僕に正気を取り戻させたのだ。――同時に、焦りも生まれていた。僕は、自分がこの世界の"異物"である事を察知していた。本能か。それとも、無くなった記憶に依るものか? このままでは直に世界に弾かれる。弾かれるだけなら、まだマシだ。最悪は世界に取り込まれてしまうだろう。


 ――どうすれば良い? どうすれば――


 考えていた僕に、石瑠翔真が投石をした。


 ……鳳紅羽を庇ったのか?


 僕の知っている翔真とは違う、彼の献身的な行動に疑問を抱いた、その時だ。


 アレ? 似ている――? と、気が付いた。


 同一存在。


 その言葉の意味を、僕は何処かで知っていた。魂にはルーツがある。大元となった存在があらゆる理由で変異した事により、石動蒼魔は誕生する。同一存在とは、その大元を同じくする異世界の自分の事を指す言葉である。


 巷ではドッペルゲンガーとも呼ばれている。

 一つの世界に存在出来る"僕"は、一人だけだ。


 弾かれるのは異物である蒼魔ぼくだ。


 でも、僕はまだ何もやっていない。

 何一つ達成していない。


 こんな状況で、消えてしまうのは嫌だった。



「ひ、ひぃぃ――ッ! 来るな、来るなァ!!」



 僕は、一つの手段を思い付いた。


 この身体に変異した時、様々な知識が僕の頭の中に流れ込んだ。その中の一つで、習得していたのが【憑依】というスキルである。


 自身の魂を、相手の肉体に移す。


 もし、僕の考えが正しいのならば、恐らくはコレで世界を騙す事が出来るだろう。


 僕の魂は弾かれない。石瑠翔真の肉体の中で、僕はずっと生き続けるんだ――


 企みは――しかし、遅かった。

 すぐに御剣に見付かってしまった。


 奴の姿を見た瞬間。

 僕も、感情を爆発させた。


 起こったのは、一対一の殺し合いだ。


 話をするだとか、そう言った事はもう、頭に無かったんだと思う。目の前の男を、何としてでもやっつけてやりたい。僕の身体を支配したのは、そんな激しい怒りだった。


 ……まぁ、負けちゃったんだけどね?


 僕自身、PvPが苦手だという事を差し引いても、御剣の奴は強過ぎた。正気を失った僕が我武者羅に戦って勝てる相手では無かったんだ。


 アイツは、容赦もしなかった。


 化物の正体が石動蒼魔だと気付いていた筈なのに、或いは――気付いていて、敢えてかも知れないが、完全に殺しに来てたと思う。


 僕は死にたくなかった。

 死んで溜まるかと思っていた。


 折角、レガシオンの世界に来たのに。開幕と同時に終了だなんて、あんまりだろう?


 最後の力を振り絞って、僕はスキル【憑依】を石瑠翔真へと使用した。傍目からは死んで消滅したと偽装しながら、僕は石瑠翔真の中へと入り、奴を懸命に説得していたのだった。


 無理矢理、身体を奪う事は出来なかった。まぁ、出来たとして、やったかどうかは謎だけどね? 兎に角、僕は精神世界で石瑠翔真と対話をしたんだ。僕の中の記憶を見せながら、翔真には全てを話した。原作での立ち位置。この世界がヤバい事や。御剣の凶悪さ。その他諸々を。



『――で? どうすりゃ良いんだよ?』


『まずはこの場を切り抜けたい。消滅して見せたとは言え、まだまだ僕達は疑われている』


『その……神宮寺って奴にか?』


『神宮寺……まぁ、僕からすれば御剣だけど。奴が消えてからも、君には僕の代わりに原作通りの進行をお願いしたいんだ』


『へ? 原作通りって、まさか――』


『そう、闇堕ち』


『……』


『実際はそうじゃないにしても、高校に入学するまでは屑を演じて欲しい。これは、君の安全を確保する為に、絶対に必要な事なんだ』


『神宮寺を、欺く為……?』


『そうだ。僕は結局、奴と会話らしい会話が出来なかった。奴の目的は掴めないままだ。僕を殺しに来た以上、君の中で眠っている事を知られたら、君ごと殺しに来てもおかしくはない』


『だったら出てけよ!! 僕を巻き込むな!!』


『……だから、さっき話しただろう? 出て行っても良いけど、その場合は君が奴を止めなきゃいけないんだぞ!? アイツは――僕が生きていた世界を滅ぼした! 恐ろしく危険な奴なんだ! 君がアイツに立ち向かえるのか!?』


『お、お前だって負けてた癖に……!』


『それについては、弁解の余地も無い。ただ、君が戦うよりはマシだとしか言えないよ』


『……この世界を、救ってくれるんだよな?』


『――あぁ、約束する』


『……紅羽も、助けてくれるんだよな?』


『あぁ』


『最終的に、僕と紅羽はくっ付けろよ!!』


『……まぁ、うん……善処するよ……』


『お前が紅羽とくっ付くんじゃないからな!? 僕が紅羽とくっ付くんだぞ!? 分かったな!』



 ……うるさい奴だなぁ……? まぁ、身体を使わせて貰うんだから、文句は言えないか。



『高校……原作通りならアカデミーかな? 入学式になったら、僕の意識が浮上するから』


『そこで、お前と入れ替わりか……』


『体力が戻るまでは、屑で頼む』


『……フン、まぁいいさ。原作って言うの? あの、どうしようもない僕に成り切れば良いんだろう? 後々お前が困るくらいには、徹底的に嫌われキャラを演じてやるよ。実際、僕の方も結構ストレス溜まってたからね? 大義名分が出来て暴れられるなんて、最高じゃない?』


『お前……この一瞬で性格変わったか……?』


『お前が変なもんを見せるからだろう!? アレで擦れない人間がいるんだったら、連れて来て貰いたいくらいだよっ!!』



 まぁ、それもそうか……。

 僕は、翔真の言葉に納得する。



『……目覚めた僕は記憶を失っていると思う』


『はぁ? 何で?』


『世界を移動した時の代償だよ。普通ならピンチなんだけど、この状況では、それが有利に運ぶ事だってあると思う』


『記憶喪失を、逆に利用するってこと?』


『あぁ。僕の性格上、目立つ事を嫌う筈だからね。意識せずに人目を避け、プレイヤーとして自身を高めていくと思う。時には神宮寺とバッティングをする時もあると思うけれど、その時に記憶を失っていれば、僕自身がシラを切るよりも上手くやってくれるんじゃないかな?』


『希望的観測だと思うけど……』


『どっちみち記憶を喪うのは確定なんだから、少しでも前向きに考えた方が良いだろう?』


『どうだかね……?』


『まずは、強くならなきゃ話にならない』


『……』


『ABYSSを攻略するんだ……僕流のレベル縛りで、レベルを99にまで上げる。力さえ互角になれば、絶対に勝機は生まれる筈だ……!』


『ふぅん――? じゃあ、それまでの間。僕はせっせと屑行為でもして、神宮寺の目を誤魔化しておくよ。丁度お金に困ってた頃だったしね? 姉さんや麗亜。メイド達の入浴シーンでも盗撮して、学校の皆に売り捌こうかなぁ?』


『……え?』


『まぁ、普通なら反撃を喰らう所だけど、未来の知識でどうやったら逃げ切れるのかも知った事だし、精々上手く活用するさ。僕と意識を交換した瞬間、お前の方が虐められたりして? そこんとこは個人の要領の問題だからな? 僕は知らない。――精々頑張りなよ?』


『ほ、本気……か?』


『こっちは高校生活を捧げるんだぞ!? これくらいの発散が無けりゃ、やってけないよ!!』



 それを言われたら、確かに……。



『仮に何かあったとしても、姉さんはチョロいから、簡単に逃げられるよ。折檻だって一度もまともに受けた事無いし。特訓? とかも基本的には逃げてOK。麗亜は厄介だけど、まともに取り合わなきゃ平気平気。所詮はガキだから、無視されると堪えるみたいなんだよねー? やり過ぎたらメイド達が出張って来るけど、そこら辺はライン見極めて行動すれば問題無いよ』


『そ、そうか……』


『まぁ見てなって。お前が動き易いよう、財布にはたんまり金を入れといてやるからさ。アイツ等、見た目はかなり良いからなぁ? 下着とか売ってくれっていう同級生はいっぱいいると思うんだよ。それでさ! 他にも動画を……』



 僕に攻略情報を教えてくれる翔真。今言われても忘れちゃうから意味無いんだけどな……?


 僕は『お手柔らかに』と、祈るのだった。


 実際にどうだったかは、知っての通りだ。

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