第249話 蒼魔の記憶④


 勘違いなら、それで良いんだ。

 僕の杞憂なら、笑って終わりにしよう。


 意を決して、僕はアパートの外へと出て行った。時刻は昼過ぎである。太陽が昇っている状態で外出するのは久し振りだった。……朝から買い物に行くと、高確率でペトラと遭遇していたからな? 避ける訳ではないが、やっぱ気不味いし、自然と出掛けるのは夜になっていた。


 暫く道を歩いていると、遠くの民家からガラスの割れる音と、叫び声が聞こえて来た。


 痴話喧嘩か、何かだろう……。


 頭の中で決め付けながら、僕は実家までの道のりを耳を塞いで歩き始める。……見えている景色は普通なのに。どうしてこんなにも心臓は早鐘を打つのだろう?


 嫌な予感が止まらない。

 僕は、次第に走り出していた。


 日常の風景に現れる、小さな違和感。


 信号機が点灯していないだとか、人っ子一人歩いていないだとか、遠くに見える煙や、聞いた事の無いサイレンだとか。道路に蹲った熊なのか猿なのか不思議な生き物の死体だとか。


 まぁ、ソレらは数えればいっぱいあるよ。


 ――でも、嘘だろう?


 現実味が無い。自分に振って湧いた不幸だとは思えないんだ。勿論、世界には色々な不幸の形があるのは知っている。自然災害や戦争。避けられない被害に翻弄される人達だっている筈だ。けれど――それが自分! 自分自身に当事者として起こり得るなんて考えられないッ!!


 ――何処か、夢じゃないかと。考えてしまっている自分がいるんだ。ゲームのやり過ぎか、漫画の読み過ぎか。その何方かが悪影響になってこんな悪夢を見ているんじゃないのか!?


 夢なら、覚めてほしい……!!


 切に願いながら、遂に実家へと辿り着く。



「――」



 僕の実家は、古びた日本家屋だった。


 昔は武家屋敷みたいで格好良いと思っていたけれど、思春期になってからは不便が目立ち、自分の家だけれど、段々と嫌いになっていたのを覚えている。


 一人暮らしを始めて、実家から徒歩30分圏内にアパートを借りたのは、困った時は親の脛を齧ろうと思っていたからだった。所謂、保険って奴かな? 誤算だったのは自分のコミュ症加減だろう。いざ実家を出た後は、僕は親達と交流を取るのを止めてしまった。別に嫌っていた訳ではないのだけれど……何となく、ね。だから、齧ろうとした脛も齧れず終い。こんな事なら、もっと遠い場所にアパートを借りれば良かったと、本気で思っていた始末である。


 ――近くて良かった。


 今は正反対の事を思っていた。



「……開いてる」



 玄関を開けて、僕は家の中に侵入する。親達を探すなら、声を掛けた方が良いと思うのだが、僕は何故か、そんな気にはなれなかった。


 板張りの床を踏む度に、木の軋んだ音が聞こえて来る。……古い家だからな。仕方が無い。


 台所には、母が居た。



「――」



 僕は、別の場所を探す……。


 次に向かったのは、父の書斎だ。扉には鍵が掛かっていたが、チャチな代物で叩いてやればすぐに壊れた。中に侵入して、父の姿を見た後は、僕は無言のままに退室する。


 姉は、自室に居た。


 アレは……多分、姉だと思う……。


 正直自信は無い。



「それじゃあ、コレが莉亜かな……?」



 居間に居た物体を指して。

 僕はコレを、妹だと認識した。


 身体の内側から、硬い表皮が突き出ている。内側から全身に棘が突き刺さり、僕の妹は死んだのだろう。顔も身体も原型を留めていない。レガシオンに出て来る魔物の死体だと言われても、納得してしまう姿である。



「……何で?」



 悲しみよりも、怒りが湧いて来る。

 沸々とした怒りだ。


 彼等はこんな死に様をする程、悪い事をしたのだろうか? ただ生きて。普通に暮らしていただけなのに。妹の遺体には可愛らしい洋服が着せてあった。今日はクリスマスイブだもんな? もしかしたら友達と遊ぶ約束でもしてたのかも知れない。おめかしをして、楽しみに準備をしていたのかも……。



「ふふふ、あははははは……あっはっはっはっはっは!! あ――っ! はっはっはァッ!!」



 気が付けば、僕は笑っていた。

 感情がバグっていた。


 泣きたいのか怒りたいのか、分からない。


 唯々、この理不尽が許せなかった。


 その時だ――



「――ぐッ!?」



 僕の体に変化があった。


 熱した鉄を、心臓に流し込まれたかの様な激痛。味わった事の無い苦しみを受け、僕はその場に倒れ込んでしまった。



「アガガガ、ギギギ……ギ……ッ」



 喉から己が発したとは思えない擬音が鳴る。身体の内側から響く"パキパキ"と言った音は、鳴る度に視界に星が飛ぶ程の痛みを感じた。


 ……し、死ぬ。


 その時僕は、死を覚悟した。


 人の身では抗えない大きなうねりが、今この世界に襲って来ている。母や父。姉や妹も先に逝ってしまった。全貌は見えないが、この残酷な結果だけは事実であった。彼等の亡骸を目の前にして、現実逃避などは許されない。


 肉を食い破る新たなる"肉体"。


 ――新生は、今だった。



「がぁぁぁぁぁぁァァァァァァァ――ッ!」



 咆哮と同時に、僕の

 ガラスの様にパリンと、割れた。


 現れたのは醜い化物。

 蒼炎を纏った憤怒の鬼神である。

 


「――」



 何かを、考えている余裕など無かった。


 急き立てられる様に家の外へと出た僕は、そのままの足で都心部へと向かって行く。


 目的地は――あの塔だった。



「ア、び、ス……ッ」



 突如、東京に出現したABYSS。聳え立つ透明の塔と、直上に発生した天空の亀裂を見据えながら、僕はフラフラとした足取りで、目的地を目指した。それは、反射的な行動だった。人が産まれた時に呼吸をする様に。僕は己の生存本能に従って、ABYSSを目指していたのである。


 都心部は、まるで地獄だった。


 誰かが発狂して暴れたのだろう。パンデミックが起こったかのように人が死に。物が壊れていた。ビルには火災が発生している。鎮火する者など誰もいない。横転する車に破壊された建造物。……誰も。動く者など、誰一人いない。



「――」



 ただ歩いた。

 歩く中で、色々なものを見た。


 不思議なもので。

 社会性など一つも宿していない僕が。


 嘆いていた。

 世界が終わってしまった事を悲しんでいた。


 感傷的になっていたんだ――



『この世界は、もう終わりだ』



 ……アイツは……御剣直斗は、全てを知った風な口振りをしていた。もしも……もしも、この現実を引き起こしたのが奴ならば……。


 許してはいけない。僕は絶対に許さない。



「――かナらず……応報、しテやル……ッ」



 ABYSSの入り口に辿り着いた。


 目指すは頂上。

 ABYSS100階層。



「……いク、ぞ」



 その時、僕は初めて現実世界のABYSSに潜った。魔晶端末ポータルなんて必要ない。頭の中に転移方法が記憶されていたからだ。人間の僕の意識と、化物の僕の意識が混ざり合う。数瞬毎に自我が飛ぶ。その度に僕は激しい怒りと共に、我を取り戻すのだ。そんな事を何度も何度も繰り返しているから、遂には怒り以外の感情を無くしてしまったよ。


 でも、それで良かったのかも知れない。余計な感情を挟まず、実に効率的に探索を進める事が出来た。90階層から始まったABYSS探索は、十数時間を経て、遂に100階層へと到着する。


 到達した100階層は荒涼としていた。最後の階層主グランドガーダーの姿も無い。あるのはただ、紫に染まったこの空だけだった。


 終わる。

 世界が終わってしまう。


 見た事の無い空を見て。

 僕はそう感じていた。


 タイムリミット、ギリギリか……。



「――」



 自分が化物になったからだろうか? 天空から下界を見下ろし、分かった事がある。


 ――もう、この世界には生きている者は存在しない。それは何も人間に限った話ではなく、動物や昆虫。植物すらも同じだった。


 環境が変わり、命は排斥されたんだ。

 

 この世界に残っているのは、僕だけだ。


 僕だけが、最後に生き残った。


 最後の、人類――



「ラグナード・ロード」



 覚えた言葉を、僕は呟く。

 何時からか、舌は流暢に回っていた。


 世界を移動するのだ。


 金色の粒子が僕を包み込み、何処いずこへと誘おとしていた。一目見ただけで、その性質は理解出来た。この道に連続性は無い。時間という概念もない。故に、同じ場所で転移したとしても、同じ場所に辿り着くとは限らない。


 けれど――



「意志によって、未来は変わる――」



 崩壊した世界。

 連れ去られた黄泉比良坂。


 全てに決着を付ける為――僕は願った。


 ――再会を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る