第214話 目覚め最悪


 ――SIDE:相葉総司――



 午後の3時。自由時間の終わりが近付くと、俺達は海で泳ぐのを止めて砂浜へと戻っていた。軽く一泳ぎする程度だと思っていたのだが、途中で紅羽の奴が「勝負!」と言い始めてから、随分と趣旨が変わってしまった。


 こんな事なら、もっと翔真を誘っておけば良かったかもな? アイツ……荷物番をするとか言っていたけれど、此処まで待たされるとは思ってなかっただろう。悪い事をしちゃったな。



「何よ、寝てるじゃない!」



 パラソルの下。シートの上で寝そべる翔真を指差しながら、紅羽の奴が声を出す。



「随分と待たせてしまったからな……」


「荷物番失格ね!」


「……遅れた原因の貴女が、そんな事を言う資格は無いんじゃないの?」



 二対一。翔真を労う歩と榊原に押されて、紅羽は己の発言を「わ、悪かったわよ……」と言って、反省してみせる。



「翔真には後で何か奢ってやんないとな。俺達だけが楽しんだんじゃあ、流石に悪いだろ?」


「えー? でも、残るって言ったのコイツよ?」


「……貴女、本当に婚約者? 改めて発言を聞いてると、本当に信じられないのだけど?」


「な、何よ冬子……?」


「お節介だけど言わせて貰うわ。貴女達は何れは伴侶になるのでしょう? 人前だからって、相手に優しくするのは恥ずかしい事ではないわ。むしろ、そうやって思ってもいない事を口にする方が、外野からは見苦しく写るものなの」


「う……」


「本当は一緒に遊びたかったのでしょう? 断られて苛々していたのでしょう? でも、そんな事は本人には言えない。素直じゃ無いにも程があるわ。何が勝負よ。貴女の鬱屈をぶつけられる、コッチの身にもなって欲しいわ?」


『あー……』



 誰もが分かっていた事を。敢えて本人に伝えなかった事を。榊原の奴は、直球で口にする。


 ……こういう所は、凄いよな?


 俺達PTには無かった価値観だ。


 俺達って、基本的に紅羽以外は空気を読むタイプで構成されているから、どうしてもチームの和という物を壊さない様に動いてしまうんだよな? 時にはガツンと言った方が良いとは思うんだが、中々その機会には恵まれない。故に、こうして仲間の駄目な部分を直球で指摘出来る榊原の存在は、新鮮で有り難かった。



「――良い? 私達は探索者なの。何時何時いつなんどき命を落とすか分からない仕事をしているの。20階層を突破して、敵の強さは尻上がりに上がって行ってる。後悔を残す様な生き方は……辞めておきなさい」


「……」


「私はもう、辞めたからね?」



 ……本当に。


 ……本当に、榊原冬子は変わったな?


 初めて会った時は、正直そこまで好感の持てる生徒では無かったのだが、戦いを潜り抜け、経験を積んだ彼女は今までとは比べ物にならない程に"探索者"として成長していた。



「起こす? 紅羽ちゃん」


「……ん」



 眠りこける翔真を指差しながら、歌音が紅羽に位置を譲る。翔真の隣に座った紅羽が、躊躇いながらも、その手を奴へと伸ばした瞬間――



「ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!?」


『!?』



 絶叫しながら、翔真が飛び起きた。

 思わず、驚く俺達。


 夢見が悪かったのだろうか? 一瞬後に軽く考えた俺だが、翔真の錯乱は治らない。



「顔が!? 腕が!? うがぁぁぁ!? あぁぁぁあ!! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああッ!!」


「ちょ、ちょっと翔真!? 大丈夫ッ!?」


「翔真ッ!?」


「翔真君!?」


「お、落ち着けって!! 翔真ッ!!」


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」



 喉が張り裂けんばかりに絶叫する翔真。やがて奴は、己の身体を抱きながら、爪で自身の両腕を掻き毟り始める。明らかに正気じゃない。皮膚が抉れ、血を撒き散らした時、俺達は漸く、大変な事態に気が付いた。



「――歩は反対側を!!」


「分かった!!」



 歩と協力して、二人掛かりで翔真の肉体を抑え付ける俺達。しかし――その力は驚く程に強く、二人掛かりでありながら、翔真の肉体を完全に抑え付ける事は出来なかった。



「や、やめて……やめてよ、翔真ッ!?」


「――人を呼んで来るわ! 貴方達は石瑠をそのまま抑え付けといてっ!」


「翔真君!? しっかりしてよ! 翔真君!?」



 歌音が必死に呼び掛けた、その時だ。



「……? どうかしたのかい?」



 誰かが、こっちの様子に気付いて駆け寄って来る。しかし、一人増えたくらいでは、今の翔真を抑え付ける事は出来ないだろう。


 何処の誰かかは、知らないが――ッ!?



「貴方は……神宮寺……ッ!?」



 呟いた瞬間。

 翔真が俺達を吹き飛ばす。


 何て力だ、と――驚いている暇はない。


 奴は、あろうことかプロ探索者の神宮寺秋斗へと向かって行ってしまった……ッ!!



「きぃさぁまぁがぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


「……へぇ? 成程……」



 正気を失った翔真が、神宮寺秋斗へと襲い掛かる。――その、瞬間だ。



「――ごぼッ!?」



 神宮寺秋斗の拳が、翔真の鳩尾に深く突き刺さる。一拍遅れて吹く突風。巻き起こる砂嵐が、拳の威力を物語っていた。残像すら見せなかった神速の一撃により、翔真はその肉体を脱力させ、再び眠りの世界に戻って行った。


 正に、一瞬の出来事だった。


 これが――日ノ本最強。

 これが――神宮寺秋斗。


 

「……怪我は無かったかい?」


「あ、ありがとうございます……」



 その場にへたり込んでいた紅羽へと、手を差し伸べる神宮寺。――そうだ! そんな事より、翔真の奴は大丈夫なのか!?



「……翔真! 翔真は!?」


「加減はしたさ。打った部分は痛むだろうが、命に別状は無いと思うよ?」


「よ、良かったぁ……」


「……」



 ほっと、安堵の息を漏らす紅羽。神宮寺秋斗は、そんな彼女を見下ろしながら、何かを思案している様子である。



「――皆! 大人の人達を連れて来たわよ!」


「神宮寺! それに、コイツは――?」


「……石瑠、翔真……」



 榊原が連れて来たのは、体格の良いサングラスをした銀髪オールバックの男性と、大人の魅力を感じる黒髪ロングの女性であった。


 二人は此方を見るなり、驚いた様な表情を浮かべていたが、すぐに気を取り直して翔真の救護を行ってくれた。



「回復させます――養命光……!」


「! そのスキルは――」



 見覚えのある回復スキルを行使しながら、女性が翔真を癒していく。青白かった表情からは、ほんのりと赤みが生まれていた。



「――うっし。コイツは俺が医務室まで運んでやる。お前らは集合場所に急げよ? もうとっくに自由時間は過ぎてやがるからな?」


「は、はい!」


「神宮寺、お前は――」


「後で向かいますよ。気にしないで下さい」


「……フン」



 翔真を抱えながら、ドスドスと走り去ってしまう男性。……顔に似合わず、優しい人だ。


 俺達も、忠告通りに急いだ方が良いだろう。



「あの、ありがとうございました!」


「子を助けるのは大人の務め……貴方達も、無茶はしない様に」


「……はっ、肝に銘じます」



 生真面目な歩の返答に笑みを浮かべながら、女性はその場から離れて行った。


 多分……いや、確実にそうだ。


 アレが、御子神さんのお姉さん……。



「……それじゃあ、僕も行くよ」


「神宮寺さん! 私達、合宿では神宮寺さんの教導を選んでて――」



 最後まで言う前に、神宮寺秋斗は紅羽の頭を優しく撫でた。ぽっと、頬を赤らめる紅羽。



「――分かってる。また、後で会おう」


「は、はい……!」



 言って、神宮寺秋斗はその場から去って行った。紅羽の奴は、すっかり手懐けられてるな?


 強いは強い。

 遥か異次元の強者だろう。


 だが――何故だ?


 俺は、あの人を尊敬したいとは思わない。



「総司……」


「あぁ、分かってる」



 歩も同じ気持ちなのだろう。確かめてはいないが、歌音だってきっとそうだ。


 神宮寺秋斗を認めちゃいけない。

 この感覚は、理屈じゃなかった。

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