第209話 臨海合宿① 翔真


 7月17日月曜日。

 臨海合宿の当日がやって来た。


 30階層を突破してから、僕は物憂げな気分で日々を過ごしていた。そんな中でもやる事はやっており、"雪原エリア"を攻略する為の寒冷地装備を整え、現在では32階層まで歩を進めていたりした。順当に行けば、8月には40階層まで攻略する事が出来る筈。


 しかし、そうなると待ち受けるのは新たな階層主だろう。これまでの経験から言うと、コイツもきっと、黄泉比良坂のメンバーだ。


 元は人間……という事になる。


 連中は世界の修正力という奴で、望まぬ役割を与えられているらしい。


 何故こんな事になったのか?


 その原因は、ABYSSにあるらしい。


 ABYSSの100階層を攻略する事で、世界を移動する何らかの出来事が起こってしまったという事か? 鼎の発言を纏めると、そういう事になってしまう。僕の頭では処理し切れない事柄だ。だから僕は、全ての謎を道明寺へと丸投げした。30階層で起こった出来事を、一言一句違えずに、道明寺へと伝えたのだ。世界の謎は彼女が解き明かしてくれるだろう。他力本願だが、今は頼るしか術が無かった。


 現状、僕に出来る事と言えば――



「この状況を楽しむ事……かな……?」



 青い海。白い砂浜。


 照り付ける太陽に――


 ――眩しいばかりの、女子の水着。



「う、う、う、うっひょ――――ッ!!」



 林勝が、興奮した猿の様に飛び上がる。


 いやまぁ、気持ちはわかるけどね?


 臨海合宿初日。


 船に揺られてやって来た場所は、美しい島のシーサイド。岩戸島に上陸した僕等は、暫しの自由時間を満喫する事が許されていた。海辺には先んじて到着していた他教室の生徒達の姿があり、その眩いばかりの水着姿を、これでもかと眼窩に刻み付けるのであった。



「早く……早く着替えようぜッ!!」



 下心丸出しで、皆へと号令を出す林。


 近くには海の家が存在している。恐らくはアソコで着替えるのだろう。



「ABYSS関係の人工島で、何故あんな物が?」


「そんな事、どうでも良いじゃない。暑いんだし、さっさと着替えましょう?」



 相葉の疑問を、能天気な紅羽が一蹴する。

 まぁ、考えても分からない事はあるからな?


 一先ずは、着替えるのが先決か……。


 予め、島での遊泳について説明を受けていた僕達は、各々が好きな水着を用意していた。女子達なんかは仲良く探索区で買い物をしていたグループもいたぐらいだ。


 真面目にABYSSを探索していた僕は、水着なんて選んでいる暇は無かった。


 なので――



「すいません、これ下さい」


「あいよ、Mサイズのサーフパンツね。料金は3000円だよ。学生さんならMP払いも出来るけど、どうする?」


「あ、それで」



 言って僕は、海の家の売店で白いパンツを購入した。中から出て来た店員さんは、熊でも殺せそうな体格をした、銀髪オールバックのサングラスを掛けたお兄さんである。


 岩戸島基地の関係者かな?

 施設の人間が、海の家を営んでいるのか?



「おーいバイトー! こっちこっちー!」


「ウッス! 今行くっスー!」



 レジを打ってくれた男性は、奥から来た更に年上の男性に呼ばれてしまう。



「じゃあな、少年! 海、楽しんどけよ!」


「は、はぁ……?」



 慌ただしく去って行く男性。


 ……まぁ、買う物は買えたし、今は更衣室に向かうのが先決だろう。


 海の家の更衣室は、狭かった。

 というか、個室じゃないのかよ。


 海という場所に縁が無かった僕だから、こういう所の勝手という奴が分からない。


 思わず、立ち往生してしまう僕。そして、そんな様子の男子は僕だけでは無かったみたいだ。



「う……く……っ!」


「どうした歩? 着替えないのか?」


「いや、俺は……その……」



 男子更衣室の入り口で、立ち止まっていた神崎に、相葉が声を掛けてやる。


 必然的に、皆の注目は神崎へと向かう。



「……? まだ着替えないのか?」



 半裸の眼鏡――卜部正弦が神崎に問う。



「何だぁ? もしかしてお前ぇ……恥ずかしがってんのかぁ?」


「……男同士だ。今更恥ずかしがるものでもあるまい。体調でも悪いのではないか?」


「本当? 大丈夫、神崎君?」


「だ、大丈夫だ! ……不用意に近付くな!」


「え、えぇ……」



 拒絶された事で、しょぼんとする森谷君。



「元気そうじゃねぇか……チッ、だったらさっさと着替えろよ……」


「んだんだ、そこに立ってられると邪魔だべ」


「そそそ、それか、神崎殿は我々が居ると着替えられない理由でもあるのでしょうか?」


「――ッ!」



 杉山が余計な事を口走った。

 神崎の奴、明らかに動揺している……!



「そうなのか、歩……?」


「そ、それは――」


「――分かった!!」



 会話に割り込んだのは、林勝だ。奴は下卑た表情を浮かべながら、神崎の事を指差した。



「神崎の奴、きっと皮被ってんだよ!! だから裸を見られるのが恥ずかしいんだッ!!」


「………………は?」



 言われた瞬間、思考停止をする神崎。

 僕も思わず釣られてしまう。


 一体、何言ってんだコイツ……?



「――下品な。口を慎み給え」



 卜部が顰めっ面を浮かべながら、林に向かって注意する。しかし、奴は止まらなかった。



「だってそうだろう!? 男同士で裸を見られるのを嫌がるのっておかしいじゃん! イケメンの癖に皮被りだったんだろう!? だから恥ずかしくて、皆の前じゃあ着替えられないんだ!!」


「……そう言うオメーはどうなんだよ……?」


「僕は包茎に決まってるだろ!? 今は神崎の話をしてるんだから放っとけよォッ!!」


「なんつー開き直りだべ……」



 困惑する、磯野と葛西。

 皆も同じ気持ちだろう。



「絶対そうだって!! 神崎は包茎! はいこれ決定!! 女子の前で言いふらして――」


「――いい加減にしろ!」


『!!』



 僕は思わず、怒鳴っていた。



「何が皮被りだ……これ以上、神崎を困らすのは僕が許さない! 級長として命じる! 林勝……その下卑た口を今すぐ閉じろッ!! 言う事を聞かなかったら、タダじゃおかないぞ!!」


「ひ、ひぃぃ!?」


「翔真……」


「フ、流石は級長――」


「……やるじゃねぇか」


「アイツ、いいとこ持ってったなー?」



 林勝という悪を黙らし、皆の僕への好感度が高まった、その時だ――



「お〜い! 何を騒いどるんじゃ〜!? ――てぇ、おっとっとぉっ!?」



 瀬川三四郎が蹴躓く。


 当に着替え終わっていた彼だったが、騒ぎを聞き付けて戻って来たらしい。


 その手には――僕のズボンが握られていた。



「あたたたた……転んでしまったわい。スマンな、石瑠。……石瑠?」


「………………皮だ」


『……』



 林の呟きが、男子更衣室に木霊する。


 もういっそ、殺せ。


 僕は腕を組みながら,そう思った――

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