第92話 全てを知ってる天樹院
4月28日金曜日。
クラス対抗戦の当日。
神崎の寮室で日々を平和に過ごしていた僕は、今日という日を「来ないでくれッ!」と、切に願っていたのだが……現実は非情。人の身から発せられた願いでは、東から昇った太陽が西に沈む事は止められなかった様だ。
時刻は朝の午前4時。
神崎の奴は今頃隣の部屋でぐっすりと寝ているのだろう。ジャージに着替え終わった僕は、軽く肩を回しつつ玄関口へと向かって行く。
……ワンチャン、今なら逃げられるよね?
邪な考えが脳裏に浮かぶ。クラス対抗戦と言えば聞こえは良いが、その実は石瑠翔真の公開処刑日だろう? 誰が好き好んで処刑台なんかに進んでやるかよ。残されたD組の生徒は僕に裏切られたなんて思うのだろうか? 勝手に持ち上げた癖に酷いよな。結局の所、何をしても僕は叩かれるんだ。
なら――何もしなくて良いんじゃない?
「……」
――ま、行くけどさ。
溜息を吐きながら靴の爪先で地面を蹴り、履いたシューズの足の位置を調整する僕。
現実世界の僕は屑だった。
典型的な社会不適合者。
人と関わるのが苦手で。
人と対話をするのが苦手で。
人の気持ちが一切分からない。
分かりたいとも思わなかった。
つまりは思考を放棄したんだ。相手の言っている意味は分からないけれど、きっと僕が彼等を不快にさせているのだろう。必死に繰り返される言葉は耳鳴りの様に不快で、僕は両耳を塞ぎながら一人の世界に閉じ籠った。
悪意も好意も全てが煩わしい。僕に触れるな。僕に話し掛けるな。僕を見るな。他人からの関心というものが嫌いなんだ。自ら命を断つ勇気は無いけれど、望めるなら無味無臭の空気になりたい。僕が本気で病んでそんな事を考えていた、その時だ――
レガシオン・センスに出会った。
没入型VRMMO。
現実を捨てた僕には、代わりとなる世界が必要だったんだ。生きていく為の新たな立脚点。僕を救ってくれたこの世界。レガシオン・センスにだけは嘘を吐きたくなかった。
逃げるなんて――出来る筈が無い。
「……ゲーマーとして、最善を尽くす……!」
今日という日の準備は万全。
僕には、恐れるものなど何も無かった。
◆
気付いたら登校時間を大幅に遅れてしまっていた。完全に遅刻だ。夢中になってランニングの時間を取り過ぎたのが原因だろう。
何をやってるんだか、僕は……。
内心で自嘲しながら、人影がいなくなった校門を潜り抜けようとした、その時――
「やぁ、おはよう」
「――」
純白の男子生徒に、声を掛けられた。
吹けば飛ぶような軽さの
だが、不思議と耳にしっかりと残る。
其処に居たのは生徒会長・天樹院八房だった。周囲には他に誰も居ない。
僕を待っていたのか? 自意識過剰と思われるかも知れないけれど、奴の突飛な行動はそうとしか思えないものがあった。
理由は不明だが――
僕にはこれを無視する気は無かった。
「天樹院……先輩。何でアンタが此処に?」
「――激励、かな。呼び難いなら呼び捨てで構わないよ。君の方が歳上でしょ?」
「……は? 何を――」
「君も知ってるでしょう? 僕のこの眼――
知っている。
そりゃ知っているけど――
まさかこんな――
「レガシオン・センス、か……面白いね? こんなに心が震えたのは生まれて初めてだよ――」
「ッ!」
「……信じて欲しいんだけれど、僕は君の味方だよ? 君の言う原作とやらではどうだったのかは知らないけれど、君の眼を見て――君が知り得る未来を観測して――僕は拷問の様な倦怠から回帰する事が出来た……だから、もう無駄な心配はしなくて良いんだ」
完全に――完全に読まれているという事か? 原作からの乖離。しかし、それで天樹院が改心したというのなら悪くは無いのか……?
天樹院八房という男は、原作レガシオンのシナリオではラスボスの様な立ち位置に居る男だった。プレイヤーの所属教室に関係無く、最後はアカデミーを掌握し、国家に対してクーデターを企てた天樹院との戦闘が行われるのだ。
天樹院は飽きていた。
この国に。この世界に飽きていた。
だから、何もかもを壊そうとして――アカデミー内にテロリストを呼び込んだ。魔種混交を中心とした組織。自存派と呼ばれる彼等の狙いはABYSSの占拠だ。魔種混交を生み出す諸悪の根源。ABYSSを無くそうとしたんだよな? 過激派だった彼等は多くの生徒や教師達を死に追いやり、アカデミー内を地獄に変えた。それに対抗するのは所属教室の級長と仲間達。そして、プレイヤーというシナリオだ。
正直、あのイベントが起こってしまったら、犠牲無しで事態を収拾する事は不可能だと思っていた。それが未然に防げたというのならば、天樹院八房が未来を知ってしまったというこの状況も然程悪い事では無いのかも知れない――
……いや、少し楽観的過ぎるか?
結論付けるのはまだ早い。
今はコイツの出方を見なければ――
「……すぐに信じろというのも、無理な話だよね。君の知る僕は結構な危険思想な持ち主だったみたいだし。未来の僕がそうなってしまうのも、何となく理解が出来てしまうんだ。……君と出会わなかったら、そうなってたかも知れない。でもそれは、僕本来の望みではない」
「……」
「僕なりにね、君には感謝してるんだよ」
「感謝――?」
「だから、君の邪魔はしない。これからも僕は、良き先輩として振る舞う事になるだろう」
「……良き先輩? ……これからも? ……何だかなぁ……やっぱりアンタ、ズレてるよ」
「うん?」
「その眼があるなら、僕の本来の性格も知っているだろう!? アンタと居ると目立つんだよ! 目立って碌な事にならない!!」
「……僕と居ると、目立つ?」
「あぁ、そうだ!」
「なら、他の手を考えないとね……?」
「ほ、他の手っ……!? いや、だから――」
余計な事をせずに、放っといてくれた方が僕は助かるんだけれど? 切実な願いは天樹院には伝わらず、奴は顎に手をやり、考える素振りを見せ始める次第であった。
本当に、何処まで本気なんだコイツは!?
「……クラス対抗戦、頑張ってね?」
「え? あぁ……」
「応援は――」
「しなくて良いから! マジでしないで!!」
天然なのか策士なのか――唐突にクラス対抗戦の話に戻されたのも混乱するし、もう何が何だか分からねェェ――ッ!?
まだまだ話し足りない事もあったが、一先ず僕は自身の教室へと急ぐ事にした。
本当にもう、調子狂うなぁ……っ!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます