第88話 おっぱいごっこ
――SIDE:神崎歩――
ん……朝、か……。
鳥の囀りに起こされて、俺は自身の布団から起床する。時刻は午前6:30。そろそろ朝餉の準備を行わなければいけない時間であった。
俺の住む学生寮のアパートは一室が六畳二間で統一されている。片方を居間に。片方を寝室にしていたのだが、石瑠には前者で寝て貰っていた。調理時の音で奴が起きないかどうかを心配しながら襖を開けると――
「……いない、か」
存外朝は早い様だ。もぬけの殻となった布団を見下ろしながら、俺は呟く。
むしろ好都合と言った所か。
昨日は夜遅くまでABYSS談義に華を咲かせてしまった。無論、有意義な時間ではあったが、サラシを巻き直す時間を計算しなかったのは俺の不手際だったと言わざるを得ない。
「……ふぅ」
姿見の鏡の前で、俺は自身の胸を解放する。
目の前に現れたのは女の肉体。
無駄に大きく実った我が乳房である。
「これをサラシで隠すのも、そろそろ無理が生じて来るか……」
片手で乳房を持ち上げつつ、俺は呟く。その重量はずっしりと重く、今後のアカデミー生活を思うと、俺の気持ちさえも重たくさせた。
――武家に生まれた者は、武家に嫁がなければならない。良縁に恵まれた者は幸せだろう。だが、そうでない者は残酷だ……。
俺には鳳の気持ちが良く分かる。だから、石瑠についても最初は否定的だった。
神崎家というのは官位の低い弱小武家だ。その名を名乗ったとしても殆どのものはピンと来ないだろう。故に、付き合いのある家というのもそれなりのもの――
幸いにも、俺は良縁に恵まれた。
許嫁である
歯車が狂ったのは、あの事件からだ。
1-A所属の
10階層攻略に足踏みをしていたABC組。その状況から一早く脱却しようと強行したA組の作戦というのは、階層主の情報を探る為の斥候を使うというものであった。
斥候と言えば聞こえは良いが、その実態はただの捨て石。仲路が気に入らないと思った生徒を死地に追い遣る為の非情な作戦だった。
選ばれた生徒は四人。
その中には正樹殿も存在していた。
結果として――彼等は勝った。
死に物狂いで階層主と戦い、三人の死者を出しながらも、参戦者の一人である鶯卍丸が階層主に止めを刺したらしい。
――正樹殿は、帰らぬ人となった。
失意に暮れた俺は針将仲路を呪った。
呪う事しか出来なかった。
あの人の笑顔はもう見られぬのだと悟った時、俺の頬には一筋の涙が伝っていた。
そこからだ。
俺が自身の性別を偽り、女人禁制の天然火神流の剣術道場に通い始めたのは。
ただ力が欲しかった――何か目的があった訳ではない。我武者羅に剣を振るう日々は、俺に余計な感情を忘れさせてくれた。
そこで知り合ったのが相葉だ。
剣を交わす事により、奴が俺の同類だという事を察した。向こうも同じ気持ちだったのだろう。俺達は次第に仲を深めて行く。
奴の提案を切っ掛けとして、俺もアカデミーへの入試を受ける事とした。
正直、受からないと思っていたんだかな。
性別を隠した武家の娘。
学校側にはそんな情報は筒抜けだろう。
思っていた俺だったが……。
結果はまさかの合格。
通知書と共に男子用の制服が送られて来た。
狐に抓まれた様な気分とはこの事か。
同時に胸の内より湧いて来るのは針将仲路への復讐心。奴の側へとやって来た俺は、奴を蹴落とす事で正樹殿の無念を濯ごうと決意する。
学校側の真意は分からぬが、男子として合格した以上、女である事を公にする訳にはいかなかった。下手をすれば退学にも繋がるかも知れない。それだけは絶対に避けたかった。
誰にも――
そう、決して誰にも――
俺が女だと悟られてはいけないのだ。
「――たっだいま〜!! ふぅ! 朝のジョギングは清々しいね〜? 鬱陶しい姉さんがいないのが更に良い! 尻も蹴られずに自分のペースで走れるのって、本当サイコーだよ〜♪」
「――ッ!!」
「ん? どうしたんだい、神崎? そんな所で胸元なんか抑えちゃってさ? 何かあったー?」
「こ、こここ、これはその……っ!」
まさかこのタイミングで戻って来るとは――
不味い!!
慌てて胸元は隠したが、サラシを巻いていないのでその膨らみまでは隠せていない!?
このままでは、女だとバレてしまう!!
「……? あ、あれ? 目の錯覚かな……? 何だか、神崎の胸が詰め物でもしてるみたいに膨らんで見えてるんだけど……?」
「!!」
――詰め物!
そうか、その手があったか――ッ!!
「これは……その……っ……だ……!」
「へ?」
「だから……その……」
「……」
「……おっぱい……ごっこ……だ……」
「………………え?」
「その、詰め物をして……遊んでて……」
「――」
いかん。泣きそうになって来た。
何だ"おっぱいごっこ"って? 戯けがッ!! 他に幾らでも誤魔化し様があっただろう!? 己の貧困な語彙が情けないッ!! 見ろ! 目の前の石瑠をッ!! 余りの事に絶句しているぞッ!?
「あ、あぁ――? おっぱいごっこね……確かに、僕も昔やったっけかなぁ――? ははは……な、懐かしいなぁ……胸にタオルとか入れるんだよね――? 凄い……なつ、懐かしい……」
ひ、必死に擁護されている!?
視線を逸らし、絶妙に気不味そうにしながら俺の事を無理矢理擁護する石瑠。
間一髪、誤魔化せたのかも知れないが、何か大事な物を失った様な気がするぞ――
俺が思った、その時だ。
「……しかしまぁ、神崎は胸があるのも似合うね? ちょっと触ってみても良いかい?」
「――は?」
言って、むんずと私の胸を揉んでくる翔真。許可なんてしちゃいないのに、徐に素手でだ。
「え、柔らか――? え、ちょ!? リアリティ高くない!? タオル? ボール!? 一体何を入れたらこんな感触になるんだァァ――ッ!?」
「ぐっ! うぅぅ……っ!」
この馬鹿ッ!! まるでパンでも捏ねくり回す様に……私の胸を揉みしだくなッ!!
ぞんざいな扱いに、思わず吐息を漏らす私。
「あ、あれ……もしかして感じてます……?」
「ッ、馬鹿……! そんな訳ないだろう!?」
「だ、だよね〜〜? ははは、ちょっと驚いちゃった……あ、あれ? この胸の突起物は――?」
「ッ! い、良い加減にしろォォ――ッ!!」
「ケバブッ!?」
渾身のアッパーカットを翔真へと喰らわせ、私は動悸する胸と羞恥で赤くなる頬を手で抑えながら、その場にしゃがみ込んだ。
「が、ガクッ……」
……どうやら、気を失った様だな。
……そのまま記憶も失ってて欲しい。
――全く。朝から何て散々な一日だ……!
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