第84話 奪われたJr.


「何処まで……何処までか……」



 呟きながら、僕は東雲歌音という女子生徒の設定を回想する。


 異次元へと繋がるABYSSは、そこから採れる資源によって人々の生活を豊かにした。軍需産業によって誕生した探索者という職業は、国民からも英雄視されている。この世界に於いてABYSSとは、無くてはならない存在なのだ。


 しかし、精神的に距離感を縮めたとは言え、ABYSSという存在が歪な事に変わりは無い。


 メリットが有れば、デメリットも有るのが世の常だ。異次元への繋がりにより流入した"魔力"は、人体に特異な影響を及ぼした。


 ――即ち、魔物化である。


 魔種混交ましゅこんこう。見た目から変異して産まれてくる者。外見は変わらず特異な能力を持って産まれてきた者。魔晶端末ポータルを介する事によって、レベルやスキルを得られた探索者も、元を正せば此れと同類なのかも知れない。


 魔物化とは様々だ。


 線引きするのは難しく、国家レベルで緘口令が敷かれたこの話は、アカデミーの研究員クラスでないと知る事は出来ない。


 イビルとは。魔の力が色濃く混じった人間が、転職する際に必ず就く事になる職業である。魔種混交の判別方法としては少々特殊で手間も掛かるが、確実性のある見分け方として、研究員の間では広く周知されていた。


 当然、一般人は知らないし。大半の学生は"イビル"という単語が指す意味さえ分からない。


 これで僕の現状のヤバさが分かったかな?


 知らない筈の単語を、寄りにも寄って魔種混交の東雲にメールで送ってしまったのだ。


 警戒されない訳が無い。


 場合によっては――消されるかも……?



「イビルの意味を理解している以上、君も側の人間なんだよね?」


「……こっち側って?」


「そんなの決まってるじゃん」



 椅子から立ち上がった東雲が、僕の耳へとその顔を近付ける。



「や・み」


「――」



 くすぐる様な吐息が耳元に掛かり、思わず身悶えしてしまう。快活な東雲らしくない蠱惑的な雰囲気に、僕は次第に飲まれていく。


 ――これは、危険な毒だ。


 長く接し続けたなら、身も心も彼女の奴隷となってしまうだろう。


 とは言え、逃走するのも難しい。


 唯一有った脱出経路は彼女の【結界】スキルで塞がれてしまっている。現状、僕に出来る事は彼女の攻めを全力で耐え続けるだけだ。



「イビルって単語は何処で知ったのかな? アカデミーの研究部門には、ある程度の繋がりはあるんだよね? どうして私の事が分かったの?」


「……」


「ね? 答えて?」



 ……このまま黙りを決め込むのは無理があるよな? 情報が引き出せないと分かったなら、東雲は強硬な手段に移るだろうし、原作知識を総動員しつつ、相手を納得させる方法――



「……生徒会だよ」


「生徒会?」



 僕の脳裏に思い浮かんだのは、此方を見下す我道の顔だ。昼間やられた事の意趣返しではないが、此処は連中を隠れ蓑に使ってやる!!



「魔種混交って言うんだろう? そう言った人間が居るって噂を連中から聞いていたんだよ」


「ふぅん……石瑠君って生徒会の人達とも交流があるしね? あの人達なら独自の情報網で、それくらいの事を知っててもおかしくはないか」


「……それだけじゃない」


「え?」


「連中はアカデミー内に魔種混交が紛れているのを察知していたよ」


「!」



 驚いた顔をする東雲。

 だが、これは嘘だ。


 危険な賭けになるかも知れない。しかし、現状を打開する為には、時には強引さも必要!



「その内の候補の一人が東雲歌音って訳さ。僕も聞かされた時はびっくりしたけど、その様子だとビンゴだったみたいだね……?」


「確証を持っていた訳では無いと?」



 首を傾げる東雲。

 此処でミスったら全てが終わる!!


 僕は懸命に自身の頭をフル回転させた。



「さぁ……? 僕自身は知らなかったけど、生徒会がそうとは限らないんじゃない? 何せ連中は朝廷とも関わりがあるからね。東雲の正体を看破していたとしても驚きはしないよ」


「……嘘だね。それなら私の正体を石瑠君に探らせる必要は無いよ」


「それって断言出来る?」


「何……?」


「世の中には絶対は無いんだ。君が僕の言葉を嘘と断言出来ないのと同じ。連中も確定に足る最後の一押しが欲しかったんじゃないかな?」


「そして僕を利用した」――ペラペラと嘘八百を並べる僕だが、東雲の表情は真剣だ。裏情報にもある程度精通しているのが真実味を増しているのかも知れない。……嘘なんだけどね。



「生徒会が石瑠君を動かした理由は?」


「それこそ連中に聞いて欲しいね!? 僕としても迷惑をしてるんだよ! 突然絡んで来たと思ったら、やれキスやら、強い奴を教えろやら、無理難題を押し付けられる……!!」


「……」


「連中にとって、僕は程の良い使い捨ての道具なんだろうさッ! 武家って言うのは朝廷には逆らえない。だから、無茶苦茶やったとしても反逆されない! この前なんて、連中に妹を人質に取られたりもしたしね!?」


「妹……? あぁ、あの時の……もしかして、私の正体を探る条件にでもされてたの?」



 よし、嘘に食い付いた! そんな事情は欠片も無いんだけど、此処は素直に頷いておこう!



「察しが良くて、助かるよ……」


「……」



 コレ!! このくらいの控えめさが丁度良い! 下手に話を盛って墓穴を掘っては意味が無いしね。相手の想像に任せる形で、何とかこの場をやり過ごそう!!



「……となると、こうして不用意に接触する事は悪手だったのかも知れないね? 監視――されてるんでしょう?」


「まぁ、恐らく……」


「此処で君を殺したなら、私は魔種混交として捕えられ、また研究所送りにされてしまう」


「……」


「ねぇ、どうしたら良いと思う?」


「どう、と言われても……」



 ある程度の話の着地点は思い付いたが、此処では敢えて分からない演技をする。相手に主導権を与え、上手く話を誘導する為だ。



「話を纏めると、このままだと私が生き残る道は無いみたい。自暴自棄になって石瑠君を殺してみるのも良いかもね?」



 こ、怖え――!

 目が一切笑っていない!?


 そうなったら、東雲は本気で僕を嬲り殺す気だろう。子供が虫を痛ぶる様に、残酷に。


 それだけは――

 それだけは、回避してみせるッ!!

 


「――ま、待て! 僕に考えがあるっ!」


「うん。いーよ。言って見て?」


「……っ」



 落ち着いた声色が逆に恐ろしい!?


 今の所、僕の作戦通りに話が推移していると言うのに、一片だって気が抜けねェェ!!



「東雲の正体は、僕が黙っておく……! 奴等に問題無かったと報告すれば、万事心配は無くなるだろう? な? これが僕の考えさ……!!」


「……そんなに上手く行くかなぁ? 君に監視が付いているっていう事は、相手はこの接触も把握しているんでしょう? 普通は私に懐柔されたんだと思うけれど――?」


「大丈夫さ! 誤魔化し得るッ!!」



 だって本当は、監視なんて付いてないんだも〜〜んッ!! 生徒会が魔種混交の生徒を探しているなんて話も僕の大嘘だァァッ!!


 謂わば、東雲の心配は超・杞憂ッ!!



「さっきも言っただろう? 断言なんて誰も出来ないんだ!! 僕がシロと言ったなら、連中は一先ずその情報を信じるしか無い!! 仮に嘘がバレたとしても、連中が最初に処理するのはこの僕さ。何せ明確に裏切者な訳だからね。東雲に累が及ぶのは僕から情報を抜き出した後! 魔種混交だという確証を得てからだよ!!」


「……その根拠は?」


「朝廷が出している緘口令。アレを遵守する為にも連中は不用意な行動は侵せない筈さ!」


「下手気な行動は魔種混交に対する秘匿性を失い兼ねないから――か。ふぅん……? 確かに、道理かも知れないね?」


 けれど――と、東雲は話を続ける。



「石瑠君が裏切らない保証は何処にも無い」


「――確かに、そうだ。……けれど、こればかりは素直に信じて貰うしか無いんじゃないかなぁ? ほら、僕に危害を加えたなら生徒会は異常を直ぐに察知しちゃうしぃ? 逆に僕の事を信じてくれたなら、東雲が生きる未来も生まれて来るんだよ!? 選択肢なんて、有って無いようなものだと僕は思うけれどなぁ……ッ!?」


「…………」



 突き刺さる様な殺気を向けられながら、僕は冷や汗をだらだら流しながら詭弁を弄する。


 長い長い熟考の末――


 やがて東雲は、答えを出す。



「……良いよ。石瑠君の口車に乗ってあげる」


「!」



 た、助かったァァァ――ッ!!

 勝利のファンファーレが聞こえて来る!!



「ただし、条件付きだけどね――」



 ――え? と、言葉を返すよりも先に、東雲は僕の唇を素早く奪った。


 それは濃厚。


 舌が絡まったキスは、東雲の体液を暴力的に僕の喉奥へと押し込んだ。


 抵抗なんて、出来やしない。



「っ、ぷは! ――ななな、何を!?」


「ふふふふふ」



 東雲は答えず、ただ嗤っている。


 咳き込んだ僕はその場にしゃがみ込むが、同時に得も言われぬ快感が身体の奥から迫り上がって来るのを感じていた。


 これは、まさか――!?



「――眷属化って知ってる? 淫魔族の血を異性に流し込む事によって、相手を奴隷に出来ちゃうの……最も、別に血なんかじゃなくても、私の体液なら何でも良いんだけどね」


「ど、どどど、奴隷!?」


「安心して良いよ。私に流れる淫魔族の血はそこまで濃くは無いから、完全に肉体をコントロールする事は出来ないの。でも――」


「ほひゅっ!?」



 東雲が軽く指を曲げると、僕の恥ずかしがり屋なJr.が突然大きく怒張する。


 これは、淫魔族サキュバスの力――!?



「ふふふっ、面白いでしょう? こんな悪戯も出来るんだ〜♪ 指先一つで私の意のままに動かせるの。大きくする事も、小さくする事も。当然その先も……ね?」


「!」



 た、確かに厄介な能力ではあるが、それだけか!? 自身の意に沿わずに硬くなる事は男子ならば皆が経験している事である!! 主導権を握った気でいるなら、それは大きな勘違い――



「更に更に〜不能にする事も出来ちゃうの♪」


「――」


 ――あ、駄目だ。終わったわ。

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