第77話 詐欺とか引っ掛かりそうな眼鏡


 ――SIDE:卜部正弦――



 ……やはり、こうなったか。


 教室内で湧き起こる喧騒を冷ややかに見詰めながら、俺は内心で溜息を吐いた。


 生徒達が異議を唱えているのは、先日決まった級長の件についてである。主に反対しているのは磯野・榊原の両名であり、その取り巻きが事を殊更に騒ぎ立てていた。どうやら、石瑠翔真が級長では不服らしい。その気持ちは推して知るべしと言った所だろう。だが、彼等には事前に選択権が与えられていた。不服と言うなら自らが自由探索に参加すれば良かったのだ。自分勝手な不満に苛立ちを覚えたのは俺だけでは無い。話は絡れに絡れ、HR開始前から始まった会議は、昼休みにまで持ち越された。



「――ですから!! これはもう決まった事ですわ!! 何を言われたとしても、変える事なんて出来ません!!」



 大勢のブーイングの中、級長選出を取り仕切っていた武者小路が、声を荒げる。


 焼石に水とはこの事か。


 怒りに怒りをぶつけても、騒ぎが鎮静化する事は決して無い。むしろ火に油を注ぐが如く愚かな行為だろう。勢いを増して行く磯野達。


 石瑠翔真は、この事を見越して今日の授業を欠席したのかも知れない。


 だとしたら賢しいな。

 気に入るかどうかは別の話だが――



「賛成してる人には悪いけど。私、石瑠翔真が級長だなんて堪えられないわ! 他の皆だって気持ちは一緒の筈でしょう?」



 周囲を煽る様に発言したのは、女子の集団を束ねる榊原冬子だった。彼女の様なタイプは敵としても味方としても面倒極まり無い。自己中心的で、出来るだけ近寄りたく無い人間だ。



「……しかし、現に決まった事だ」



 神崎歩が正論を振り翳す。最もな意見だが、それだけでは弱いのだ。彼等は決まった事を感情論で覆そうとしているのである。


 故に、女子達の不満は止まらない。



「そんなの反故にすれば良いじゃーん。何かの手違いでしたって事で、また選び直したら?」


「選び、直す……?」



 思わず、椎名莉央の言葉に反応してしまう。


 此処までの状況は、俺が予想していた通りであった。彼等の主張は一貫しており、石瑠翔真を認めないというものである。ならば、再選出で芳川さんが級長に選ばれるという事も――


 俺が思った、その時だ。



「――そんなの駄目! 皆、正々堂々と級長選出に挑んだんですから、気に入らないなんて理由で結果を台無しにするなんて、有り得ない!」



 ……俺の邪な思いを祓うかの様に、芳川さんは声を大にして抗議をする。普段温厚な彼女にしては、珍しい行いだったと思う。その証拠に、生徒達は一瞬でも騒ぎを止めていた。


 恐らく、彼女は本気だったのだ。始まりは俺からの誘いだったが、彼女は本気で級長選出に挑んでいた。だからこそ彼等の発言が許せない。棚ボタを期待した己は、何たる浅はかだった事か。芳川姫子の言葉を聞き、俺は自身の考えを恥じ入った。


 そこから先は、鳳紅羽と磯野浩介の一騎打ち。石瑠を擁護する鳳と、それを侮辱する磯野の構図。両者は次第に白熱して行き――


 やがて、当事者である石瑠が登場した。



「石瑠……!」



 思わず、呟きが零れてしまう。


 何食わぬ顔で教室内へと入って来た奴は、そのまま自身の席へと向かって行く。こっちの騒ぎには、目もくれていない。堂々とした態度は清々しく、逆に感心を抱いてしまう。



「……あっれー? 皆揃ってどうしたの? 今って確か昼休みだろ? 飯食う時間が無くなるよ?」



 こっちの事情が分かっていながら、抜け抜けと言い放つ石瑠。此れに反応したのはアンチ石瑠を筆頭にした、磯野と榊原の両名である。



「誰の所為だと思って……!」


「はぁ? どういう事!? 言いたい事があるんなら、もっとキチンと言いなよ榊原ァ……!?」


「ッ! フン……!」



 憤る榊原を、石瑠の奴は一蹴した。


 意外と思った人間は少なくはないだろう。どういう訳かは知らないが、榊原冬子という人間は、好悪は別として石瑠翔真に弱かった。


 梯子を外されたのは彼女の取り巻きの椎名莉央だ。こういうタイプは、群れなければ強気には出られない。従って、この場では口を噤むしか無いのである。



「テメェ、石瑠ゥ……ッ! もう級長になった気でいやがんのかよ!? ――認めねぇ。俺はぜってぇ認めねぇからなッ!!」


「あ、僕が級長になったって話をしてたの? そりゃ親切に説明どうも。でもさー、昼休憩はちゃんと取った方が良いと思うよ? 磯野達って、ただでさえABYSSの探索遅れてるだろ? せめて万全な体調にしとかなきゃね〜?」


「グッ、こ、このッ!!」


「実績や経験が無い奴に限って、口では不平不満を言うもんだ。僕が級長に成って、反対する理由は分かるけれど、だからと言って、自分達の力不足を棚に上げるのは違うよねぇ?」



 石瑠翔真は、磯野浩介を煽りに煽った。元来の性格の悪さに因るものか? その弁舌たるや凄まじく、磯野は終始押されていた。


 ……しかし、この場で口喧嘩に勝ったとして、それが一体何になるのか? むしろクラスメイトとの不和を煽る形となってしまうのでは?


 俺が危惧した、その時だ。



「不満があるなら、まずは結果で示しなよ。僕は別に級長の立場が不動だっていう事は思って無いから。僕よりも秀でた探索者が居るんなら、喜んでソイツに席を譲るよ」



 石瑠の奴は半笑いを浮かべながら、そんな事を言ってのけた。途端、色めき立つ周囲。級長である石瑠が級長を代替わりしても良いと言った以上、それは真実として効力を発揮する。


 級長選出に出なかった彼等にも。また、今回敗れてしまった俺達にも、その機会は与えられるという事である。


 ――この提案は、劇薬だ。


 上昇志向の強い磯野は勿論、石瑠の事を嫌っている榊原まで奴の提案には息を呑む。相葉・武者小路も同様だ。敗北を受け入れていた俺達だが、再戦の目があるならば受けて立ちたい。そう思うのは必然だろう。



「……差し当たっては、そうだな――次のクラス対抗戦。僕よりも良い成績を残した生徒は、そのまま級長に成って良いよ」



 奴の言葉が、自然と俺達に火を付けた。今はまだ戸惑いの方が大きいが――此れは上手いやり方だと、俺は内心で舌を巻く。


 石瑠はそのまま、教室の外へと出て行った。


 残された生徒は互いに目を合わせながら、今起こった話について各々で議論を重ねている。



「卜部君……」


「えぇ、芳川さん……これはやられましたね」



 石瑠翔真は策士である。


 自身が嫌われている事を逆手に取り、共通の敵として演出し、1-Dを一つに纏め上げた。


 その手腕は凄まじく、俺や芳川さんでは、きっとこう上手くは事を運べなかっただろう。



「石瑠翔真は、成るべくして級長になった男。俺は此処で、再度認識を改めました……!」

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