第71話 氷解する麗亜


 ――SIDE:石瑠麗亜――



 魔神イーフリートとの戦いは、長時間に及んでいたわ。際限なく撒き散らされる火炎。地獄の業火を躱しながら、兄・翔真は細剣一本で凶悪なる魔神へと立ち向かっていく。


 自殺行為と思えた戦いは、意外にも拮抗し、むしろ翔真が押していた。傍から見た力量差は凄まじいけれど、それを覆す程の技量を翔真は有している様だった。敵の攻撃を先読みして躱し、隙が出来た所に一撃を入れる。言うは易く行うは難しい事を、翔真は淡々と熟していた。


 兄・翔真が、階層主・魔神イーフリートを相手に良い勝負をしているだなんて、そんな事はどう考えても有り得ない。けれど、目の前で起きた事は現実で――翔真が見せた無駄の無い立ち回りや洗練された動き。蛮勇とも言える特攻は、私の脳裏へと鮮烈に記憶されていた。



「……凄い……」



 見惚れた私は、思わず小さく呟いた。そこには兄に対する侮蔑や嘲りは何も無く、唯々純粋に綺麗な物を綺麗と感じる心が残っていたわ。


 魔神を圧倒していく翔真。


 長い、長い戦いだったわ。


 やがて限界が訪れ、崩れ落ちる魔神。翔真が止めを刺した事により、この戦いは終結した。


 光となって消えて行くイーフリートの姿は、この世の物とは思えない位、幻想的だった。


 昇る燐光は星々の様。


 綺羅綺羅とした光景に目を奪われながら、私は光の前で立ち尽くす翔真へと意識を向ける。


 家に居る翔真と、ABYSSに潜る翔真。


 二人の翔真は一致せず、私は自分自身がおかしくなったかの様に錯覚をしたわ。



「……何だよ、まだいたのかよ?」



 制服の上着を肩へと引っ提げながら戻って来た翔真は、私へとそんな事を言ってきた。



「だ、だって、脱出方法が――ッ」


「階層主を倒したから、もう【緊急脱出】は出来る筈だぞ? ……試してみろよ」


「え!?」



 翔真に言われ、私は魔晶端末ポータルを確認する。……確かに、さっきまで使えなかった【緊急脱出】が使える様になっているわ。



「……貴方は、帰らないの?」


「折角イーフリートを倒したんだから、階層更新だけはしておかないとね。それが終わったら転送区に戻ってキャンプかな? クラスの連中との約束があるし、家にはまだ戻らないよ」


「そ、そう……」



 そっか、翔真は帰って来ないんだ……。


 私は内心、残念がってしまう。


 助けてくれたお礼も言いたかったし、今日の事の説明も聞きたかった。


 勿論、今までの謝罪も――



「待てよ……やっぱり、僕も一緒に帰る」


「ほ、本当っ!?」


「あぁ、本当――って、何でそんなに嬉しそうなんだよ? お前、僕と一緒は嫌なんだろう?」


「べ、別に嬉しそうだなんて……!」



 言ってから、失敗したと思った。翔真は特段気にした風では無かったけれど、こんな事を続けていたら、何時まで経っても謝れない。



「……はいはい、知ってた知ってた。お前一人を帰したと知ったら、家の連中が五月蝿そうだからね? 嫌いな相手と歩くのは苦痛だと思うけれど、態々助けに来てやったんだから、それくらいは我慢しろよな?」


「……」


「……また無視かよ……はぁ……」



 ……謝罪、か……。


 振り返ってみれば、私は翔真に大して何て酷い事をして来たのだろう? 姉様を当主にする為と息巻いて、無視や嫌がらせは日常茶飯事。朝の挨拶では土下座を強要し、足を舐めさせた事は幾度もある。姉様の目を盗んでは虫やら唾液やら腐った食材を無理矢理犬食いさせてたし、昼にはメイドに命じて部屋を荒らさせたり、戯れで洗濯物を切り刻んだりもしていたわ。


 正直言って、謝って許される事じゃないと思う……私はメイド達と一緒に徹底的に翔真を虐めて来たわ。それも、"必要悪"として自身の誤ちを正当化しながら――ね。


 ――何て、愚かだったのだろう。


 藍那姉様は、翔真を立派な当主にする事に心血を注いでいたというのに、私としたら、勝手に見限り排除しようとしていたのよ。


 他人を審美する眼なんて持ち合わせていないのに……こんなの、余りにも滑稽だわ!


 ……謝らなきゃ。


 翔真はこんな私を、自らの危険を顧みずに助けてくれた。その行動に報いる為、私も今此処で変わらなきゃいけないんだわっ!


 拒絶されても構わない。

 私はそれだけの事をして来た。


 だから――!!



「――ごめんなさい! 翔真兄様ッ!!」



 目を瞑りながら、私は兄が居るであろう方向へと頭を下げる。声は震えていたけれど、口に出したら止まらなかった。



「私、兄様の事を誤解してました! 今まで行って来た数々の非礼、此処にお詫び致します!」



 兄の反応が、怖い……!


 拒絶されても仕方が無い。罵倒されたとしても自業自得。そんな風に考えてはいたけれど、いざ目の前にしてみると、私の覚悟なんて小さなもの。どんな言葉を投げられるのか、不安で胸が締め付けられていたわ。


 刻々と経過する時間。

 沈黙は、私への罰なのかしら?


 いっそ殺して欲しいと思った頃、私は場の空気に堪え兼ねて視線を上へと上げてしまう。



「――あれ?」



 目の前には、兄の姿は何処にも無かった。


 呆然とする私。


 独りぼっちのまま、魔晶端末ポータル機能の【緊急脱出】を使用したのは、それから20分が経過してからの事だった……。

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