第59話 ウェアウルフ戦①


 ――SIDE:武者小路美華子――



「不覚……っ」



 壁に手を突き、負傷した足を引き摺りながら、私は第3階層の通路を進みます。相手が新種の魔物とは言え、何たる無様。


 武者小路家の名が泣きますわ。


 回復を【ヒーラー】任せにしていたのも不味かったですわね。魔晶端末ポータルの次元収納には傷薬の一つも無く、有るのは直前に入れていた携帯食と水筒のみ。準備段階で失敗していたと言わざるを得ませんわ。


 何よりもウザったいのが、――この、狼ッ!



「また出ましたのね……!? 良い加減、しつこいですわ!! もうお諦めになってッ!!」



 躙り寄る人狼へと叫びながら、私は愛用の薙刀を構え、壁伝いに後退します。


 ウェアウルフという魔物ですわよね!?


 ええ、存じていますわ!! 遭遇したのは今日が初めてですけれど、図書室の魔物図鑑に書かれていた通り――いえ、それ以上に底意地の悪いクソ狼ですわ……ッ!!


 ジリジリと獲物を追い詰め、遊んでいるのでしょう。一思いに殺さないのはそれが理由。


 ――接敵時。不覚にも初撃で左脚を切り裂かれた私は、その場での応戦の末、形成不利を悟り、恥ずべき逃走を図りました。その場では撒いたと思っていたウェアウルフでしたが、暫くすると私の前へと現れる。


 奇襲に次ぐ奇襲で精神の糸を緊張させながら逃走を続けていく私。この時点で敵の術中に嵌っていたのでしょうね? 恐らくは血。流れる血液の臭いを嗅ぎ、ウェアウルフは私の位置を把握しているのでしょう。


 制服を千切り、止血をした左脚ですけれど、充分な治療とは言えません。動かす度に流血してますし、このままでは不味いと思っていても、切り抜ける術はありません。


 ――正に八方塞がり。


 けれど、探索者にはこんな時の為の緊急回避が預けられておりますわ!



魔晶端末ポータル……!! これの機能で【緊急脱出】を行えば……!!」



 少なくとも、今は助かる……!

 

 転送区へと戻ると言う事は、第3階層からの探索記録を無にする事になりますわ。探索域の情報は引き継がれますけれど、ランダム転移では同じ場所に出る確率は低いでしょう。


 実質的に、私が単独ソロで歩んで来た時間は完全な無駄となってしまう。



「……ッ、命には代えらませんものね……!」



 呟き、私は断腸の思いで魔晶端末ポータルを操作します。野生の勘か。その瞬間、様子見を決めていたクソ狼は、突然私へと襲い掛かって来ましたわ。


 けれど、もう遅い――



「行きますわ、【緊急脱出】――ッ!?」



 指が――硬直して――!?



「くぅううう――ッ!?」



 襲い来る鋭い爪撃を寸での所で回避する。回避――というよりも、後ろに倒れ込んだだけ……恐るべき切れ味を誇る爪は、制服の生地を紙クズの様に切り裂きましたわ。後少し動くのが遅ければ、きっと胸が抉れていた――


 慌てて立ち上がった私は、露出した乳房を手で抑え、脱兎の如く逃走します。荷物となる薙刀はその場へと置いて来ました。


 まるで暴漢に襲われた婦女子の様……ッ!


 これが武者小路か!?

 武家の当主の姿なのですかッ!?


 私は――私は認めませんッ!!



「私は――ッ!?」



 背後から頭上を飛んで来た狼が、私の目の前へと着地する。異常な跳躍力への驚き。先回りされた事への焦り。薙刀を置いて来る際、魔晶端末ポータルすらも手放してしまった事への絶望が私の頭の中を支配する。


 ……どうして、こうなりますの……?


 単独編成ソロ

 石瑠翔真。


 ――あの者に出来て、私に出来ない事なんてありませんわ。そう高を括って、此処まで一人でやって来ました。増長・慢心・失態・死……頭の中でぐるぐると渦巻く単語の羅列。


 ――嫉妬。


 結局の所。私は、生まれながらの武家に対して、醜い嫉妬を抱いていたのでしょう。見返したいという思いが認められたいという欲求に端を発した事に気付かなかった。いえ、見ないフリをして来たのかも知れませんわ。


 あの時、指が硬直したのもその所為。


 引き際を誤った。退いてしまった後に、重い後悔をするのが分かっていたから、それに堪えきれずに最悪の結末を招いたのです。



『――休もうよ、武者小路さん』



 何故あの時、意固地になってしまったのか? 今思えば、もっと仲間達と話しておけば良かったのですわ。



『武者小路――? あぁ、"あの"』


『算盤だけを弾いて置けば良いものを……』


『才能は無いな――』



 ……何で? 何でそんな酷い事を仰るの?


 私だって頑張っているのに――!

 お父様だって必死に――!?



『美華子……』


『お……父様……?』


『…………分相応に、生きなさい……』



 ――嫌。

 ――嫌嫌嫌嫌!!



「いやぁあぁぁぁぁぁ――ッ!!」



 現実を否定する為、私は叫びました。魔物の腕が心臓を穿とうと伸びて来る。一瞬ですが永遠。引き伸ばされる光景を他人事の様に俯瞰しながら、"小さな"私は諦めた――


 ――あぁ、やっぱり。


 出てくる言葉は、そんな溜息。


 ――お父様の。


 やめて。

 その先は言わないで。


 私、まだ頑張っておりますの――!!


 だから――!!



「言う通りにしておけば良かった……」



 呟いた言葉は、私の意識を死に追いやり――



「……え? 何か言った?」



 ――場違いなまでの暢気な一言に、私の意識は再起します。



「石瑠、翔真……?」


「ギリッギリ……良いタイミングだったんじゃない? 今から邪魔者を片付けるから、武者小路はその辺に座っててよ……!」



 言いながら、石瑠翔真は手元の細剣レイピアを器用に操り、繰り出される人狼の魔爪を捌いて行く。間隙を突いた蹴りが狼の腹部へと入った事により、両者の間合いは一時離れる。


 構えた細剣レイピアを素早く戻し、胸元へと掲げる彼。洗練された所作。ウェアウルフを油断なく見詰めるその眼光は、私の知っている石瑠翔真ではありません。



「……さ〜て、時間も推してる事だし〜? チャッチャと行こうか……チャッチャとね?」

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